第17話 「り、リアル目つぶしですか……!?」

「あ、彩花さん落ち着いて! わたしなんかと心中なんてだめです!」

「しん……先生は『なんか』じゃありません。そしてこれは別に心中のために出したわけではありませんよ」

「そ、そうなんですか? じゃあいったい何のために……」

「魔法をかける準備、してもいいですか? って言ったじゃないですか。その耳は飾りなんですか?」

「な、なるほど」


 さりげなく吐かれた暴言は流して。魔法もやっぱり準備って必要なんだなと座ったままぼんやり考えている唯子をさらっと無視して、鋏をYシャツの胸ポケットにしまい。ボストンバッグから大量の新聞紙をどさどさと取り出し、それをフローリングの床へと敷き詰めていく。

 これもやっぱり準備には欠かせないのかなと思いつつ唯子は立ち上がって、お盆に自分が食べた皿とマグカップとティーカップ、ケーキの皿とフォークを乗せて、台所まで運んでいる間に。

 畳二畳分くらいに新聞紙を敷いて、その真ん中には折り畳み式のイス。紫色のナイロンでできたようなさらさらした表面の畳まれたなにかと、タオルを持って彩花は待っていた。できる男である。


「彩花さん、お待たせしました!」

「いえ、特には。では先生、どうぞこちらに」


 そう言って彩花が手のひらで優雅に示したのは敷き詰められた新聞紙の真ん中にある折り畳み式の丸イス。ローテーブルにメガネを置くと新聞紙を踏みつつイスのところまで来て、ちょこんと座る。

 それを確認してから、彩花はまず首にタオルを巻いて次に紫色のナイロンの謎布を広げてタオルの上から首に巻く。

 それはまるで。


「美容院さんみたいですね」

「……髪、ぼくに切られるの嫌ですか?」

「えっ!? 彩花さんは怖くないです! ただ……」

「ただ?」

「……なんでもないです。髪切られるの嫌じゃないですよ」

「じゃあ、切ってもいいですか?」

「はい」


 こわいだけ。13年間伸ばしっぱなしにしてしまったそれと、別れるのが怖い。自分を隠してくれる、道具がなくなるのが怖い。あの嘲笑が耳から離れないうちはまだ、怖くてたまらない。人の視線が、怖い。それだけ。

 首もとに冷たい感触がしたと思ったら、軽い音と共に頭が軽くなる。するすると切れた。さらさらと落ちた。髪は光に照らされてまるで黄金の泉のように床にたまった。

 そして左の額に冷たい感触がしたとき。一回だけ、まるで嘆くみたいに唯子は身体を震わせた。

 彩花は気付かないふりをして、しゃきんと髪を切り落とす。切り落とした瞬間、唯子の心の中がパニックになったのを知りもしないで。


(いやああああああああああああ、やめてやめてごめんなさいごめんなさい、お願いしますどうかわたしを……)

「はいできました。先生、お綺麗ですよ」


 みないで。かすれた声で呟かれた言葉は、誰に届きもせず宙にとけて消えた。言葉を紡いだのと同時に、彩花が「綺麗だ」と言ったからだ。そう、「綺麗」と。

 お世辞なんだとわかっている、それでも。おそるおそる振り向いた先の、彩花は笑っている。まばゆいばかりの笑みで、悪意など一切感じさせないそれに。いつの間にか肩に入っていた力を唯子は抜いた。強張った肩が重くのしかかるが、大丈夫と感じさせる。

 彩花さんは、影で人を笑いものにするような人じゃないそうわかってる。だから大丈夫、と唯子は自分に言い聞かせて、白金の切り落ちた海の中。唯子の前になにかの小さな紙の箱を持って跪いた彩花が尋ねる。


「先生、以前先生の眼鏡を見させていただいたときに、伊達メガネと感じたんですが間違ってませんか?」

「……はい。あれ、左目を隠すために使ってました」

「じゃあ視力に問題はないんですね?」

「? はい」

「よかった。では、このまま魔法をかけるので左目だけ開いていてください」

「わ、かりました」


 なぜ、左目だけ? 首をかしげたくなったがとりあえずは言われるままに右目を閉じる。

 すると、どぎついくらいの青いなにかを箱から出して人差し指にのせた彩花の指が左目に近づいてくる。一瞬怖さに閉ざしそうになったが、彩花の小指で無理矢理開かれる。

 つぷっと網膜にその青いなにかがあたる。そして離れていく彩花の白くまだ強張っていない手にはなにものってなかった。ということは、あの青いのはいま唯子の目の中にあるということで。唯子は震えた。


「り、リアル目つぶしですか……!?」

「違いますよ。カラーコンタクトです。瞳の……網膜の部分も覆うタイプの。これかなり稀少というか特殊でして。見つけるのにかなりかかりました。でも視界は青く見えてないでしょう?」

「はい、彩花さんがいつもよりイケメンに見えます!」

「それは気のせいです」

「えー……。というかこれがカラコンですか、わたし初めてつけました。意外と違和感ないものですね」

「そうですか、よかったです」


 ほっと息をついた彩花のちらりと垣間見えた耳がわずかに赤かったのはきっと、唯子の勘違いだろうと思った。胸をなでおろし、一息つく彩花に尋ねる。


「えーと、カラコンが魔法ですか?」

「そうですよ。……ああ、先生はまだ鏡をご覧になってませんからね。ちょっと待っててください」


 そういうと、黒いボストンバッグの中から縦に長いビジネスカバンみたいな形をしたなにかを取り出すと。それを唯子に向かって、真ん中から開いた。それは二面鏡だった。それと小さな手鏡を唯子に渡し、それで前髪……もとい瞳を確認するように言う。

 しかし、二面鏡だとか重そうなのによくそんなものまで持ってきたなとか、手鏡があるのに何で必要なんだろうとか。そんな感想を抱く前に唯子は、ぎゅっと見たくない気持ちいっぱいで閉じていた目を手鏡を顔の前に持ってくるとゆっくりと開いた。と、唯子は驚いたように目を見開きその小さな鏡を食い入るように見つめそれのとりこになった。

 なぜなら。

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