第15話 「魔法、かけてくれるんでしょう?」
「彩花さん、インターホン……」
「……5回鳴らして、5分待ちましたが出てこられなかったので合い鍵使わせてもらいました」
「なるほどー」
「なるほどーって……原稿は進んでいますか?」
久々の進捗状況の確認にぱああっと顔を輝かせて、こくこくと何回も首を縦に振る。それに反して、彩花は複雑そうな顔をする。そんな彩花はどこか疲れて、くたびれている様に見えた。
それはそうだろう、5回もインターホンを鳴らしても気づかれなかった挙句。合い鍵を使用して入ってきたとはいえ同居人でもないのだから嫌がられるかと思いきや、まさかの「なるほどー」ですまされてしまった侵入。このひとの危機管理は……と何度思ったかわからない頭の痛さに眉をしかめた。
「どれくらい書かれたんですか」
「いま、4万文字くらいです! 全話構成で6万字の中編を予定しているので順調ですよ、ラノベフリマに出す原稿だからって気は抜けません!」
「素晴らしい心がけですね。……覚悟は決まったんですか?」
「わたしと彩花さんが揃えば素敵に無敵ですよ! 怖いものなしです! それに」
「……それに?」
「魔法、かけてくれるんでしょう?」
にっこりと彩花を信じ切って止まないその笑顔に、彩花の顔が泣きそうにくしゃりと崩れる。泣きそうな顔もまばゆいくらいの美少年だなと思って見ていれば、重い音で落ちたビジネスカバン。ゆっくりとうつむいていった彩花の口から途切れ途切れに言葉吐き出される。その姿は、途方に暮れるのすら疲れてしまったように見えて。吐き出される言葉はひどく消耗していた。
「なんで」
「はい?」
「なんで、そんなに……信じてくれるんですか。もしかしたら、嘘を言った可能性だって」
「だって、彩花さんですもん。わたしの大事な担当さんで、直接会ったファン1号さんです。それにあの時彩花さんの目は嘘なんて言ってませんでした。それでももし嘘だとしたら、わたしに勇気をくれるための優しい嘘です」
彩花はいままで天才と言われてきた。生まれたときから施されていた帝王学や、元々の才覚もあったのだろう。
『4歳でフェルマーの最終定理を解いているのか!?』『絵本がわりに12ヶ国語の図鑑みてるんですって!』『見ろよ、天才様が通ってるぞ』『彩花くん何でも知ってるんだね、かっこいい!!』『彩花君、君は数論幾何学者になるといい。その頭脳で必ずや人類の進歩を成し遂げるだろう』
色んな人物が色んなことを言ってきた。そして最終的には『彩花は天才だから、なんでもできる』というところに落ち着く。でも、そうじゃない。唯子は、彩花をすごい人なんだなと認識したうえで、彩花だから信じると言ってくれた。天才や凡才などそこに才能など関係ない、意味がない。「担当編集者で、直接思いを伝えてくれたファンだから」だから、信じると。例え明確な根拠がなくたって、それが嘘であったって。唯子を勇気づけるための嘘なのだからそれでいいのだと朗らかに笑う唯子に、彩花は何度も泣きそうになった。
あの頃から変わらない楽天家なところも、自分は信じないくせに他人に絶対の信頼を置くところも。さりげなく人を癒すところも。柔らかくて甘い声も、朗らかな笑顔も、小さいからだも。全部が狂おしいほどに彩花の胸を締め付けてくる。それは苦しさや憎しみとは違う、優しい甘さと愛おしさで。
ぐいっと白いワイシャツの袖で目を拭うと、彩花はまっすぐ唯子を見て言った。
「情けないことを言ってすみません。魔法は必ずかけます、ただもう少し時間がかかるので待っていてください」
「えへ、彩花さんが元気になってよかったです! 魔法、お願いしますね」
「任せてください」
「魔法も原稿も、お互い頑張りましょう、おー!!」
腕を突き上げて、おー!! という唯子に苦笑交じりに彩花は言う。
「……え、これぼくも言うんですか?」
「そうですよ! ほら、彩花さんも。おー!!」
「却下します、ということで原稿頂いていきますね、さようなら」
「ひ、ひどい……ってそうじゃなくて。彩花さん、ちょっと待っててください」
すぱっと冷静な表情で切り捨てて、去ろうとした彩花に「ちょっと待ってください」と声をかけると。
唯子は身軽にイスから飛び降りて、たたたっとキッチンに入っていく。その間にビジネスバッグを拾い上げた彩花がみたのは冷蔵庫の中からなにか、友達同士で渡す程度の軽いラッピング袋に入ったなにかを持って戻ってくる唯子だった。
唯子はそれを彩花の手に押し付ける。押し付けられて思わず受け取ってしまった彩花が首をかしげていると。口を開いた。
「クッキーです! 昨日作ったんですけど、よければどうぞ!!」
「なんで……ぼくに? 執筆の合間に食べればいいじゃないですか」
「だって、彩花さんなんか疲れてるんですもん。疲れたときには甘いものがきくらしいですよ!」
「……頂いていきます。お心遣いありがとうございます」
「えへー、どういたしまして!」
てれてれしながら、唯子はクッキーを見てきょとんと目を丸くした彩花に対して。
(美麗スチル日常編Ver2ゲットだぜ!!)
と心の中で悶えながらも、それを表には一切出さずに……いられるわけもなく、えへえへ雰囲気を和ませて口もとに両手を当てながら。クッキーを大事そうにビジネスバッグの中に入れた彩花を玄関まで送ったのだった。当然その夜は、ユノにスカイプで連絡したのはもはや必須事項だった。
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