第四話 勇気を出して

 しばらく、手に残った包みに見つめて、動けなくなった。これを使えば、ナオに……、でも、メリベさまに話したように、いまは読んだばかりのノートの影響を受けているだけにすぎない。ドクドクと高鳴る心臓もいずれ落ち着き、良い思い出として、再び彼のことも振り返ることができるはずだ。


 それなのに。私はあの頃よりもさらに魔力は上がり、精度も増した。この灰をつかえば、再びあの世界に行くことは容易だ。そう、冷静に考えている自分もいる。


 準備が忙しいとはいえ、式までにはまだ日にちがある。なんとか数日くらいなら。一日、いや、一目様子を見て帰って来るだけなら、誰にも気づかれずに行けるかもしれない。


 ああ、でも。行って、どうするんだ。

 なにを望んでいるんだろう。辛い現実を見るかもしれない。

 彼のそばに誰かいて。それを優しい気持ちで眺めることが出来るだろうか。


 どれくらい悩んでいたのか。視線を感じて、ふいに顔をあげると、メリベさまがドアの隙間から顔をのぞかせていた。


「あら、バレちゃった。ね、悩むんなら、行って来たら?」

「いつから、そこに……」

「いいじゃない。大丈夫よ。軽い気持ちで、ね?」


 貴重な灰を使い、世界を越えることを「軽い気持ちで」と言われても。

 それに、気になることが、ひとつある。


 もし、帰れなくなったら?


「もし、気持ちが揺れたらどうします? ないとは思いますけど、魔力のない人間に恋するのは危険なんです。私は特に弱いみたいで」


「恋に?」


「そ、うです」


 残してきた体が衰弱して、そのまま消えてしまったら。

 私が眠りから覚めなかったら。


「だったら、念のため、エイダにも協力してもらえばいいわ。危ないって思ったら戻って来るよう、早めに知らせてもらうの」


「そんな。恥ずかしいですよ、なんか」

「ま、なにが恥ずかしいのよ」


 試験官だったエイダには、以前もすべて筒抜けで恥ずかしい思いをした。

 信頼できる相手とはいえ、再び、動揺する姿を見せるのは抵抗がある。


「そ、それにですね」


 私は軽く考えている様子のメリベさまに、声を落として言った。


「怖いんですよ。もう過去のことなのに」


 会いたくない。会いたいなんて思うことが怖い。

 不安を吐露すると、メリベさまは首を振り、私の頬をゆっくりなでた。


「そうね。でも、でもよ。私、勇気を出してって言いたいの。あなた、とっても才能があって美人なのに、まったく恋愛に興味ないでしょ? どうしてかしらって考えていて」


 そ、それで。と、眉を下げ、言いよどむ。


「嗅ぎまわったみたいで申し訳ないんだけど。でもね、その人とのことが、ずっとリリスに残ってるの。だから」


 会いに行ったらいいのに。

 そう、メリベさまは思ったのだと。


「私、リリスのことお姉さんみたいに感じてるの。本当の姉たちより、ずっとね。だから、もし」


 もし、とメリベさまはひと息つく。


「もし、悲しい現実だったら、私の胸で思いっきり泣くといいわ」


 どんと胸を叩き仁王立ちするメリベさま。とても勇ましい。

 本当に、すっかり成長なされた。ついこの間まで、泣きべそをかいて私のスカートをにぎっていたというのに。それに比べて、自分はどうだろう。


 せっかくのチャンスだ。もう二度とこないかもしれない。

 悩む必要があるだろうか。会いたい。この気持ちに、嘘はない。


「行こうか、な」

「そうこなくっちゃ」


 満面の笑みで喜ぶメリベさまに、もう引き返せなくなってしまった。


 だから、ナオ。

 あなたに会いに行くよ。


 私を忘れた、あなたに。

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