page 42 赤い顔

「お前も、そっちの世界で苦労してそうだよな」


 結婚話もそうだが、言葉の端々に苦労さがにじみ出ている。たまに見せる、どこかあきらめたような顔や、「こっちは自由で楽しい」なんて言葉がわりと頻繁に出てくるのだ。


「苦労はしてる」


 肩を落とし、顔をゆがめるリリス。原型がわからないほどの歪めように、また笑いそうになるが、ここはぐっとこらえて、「だろうな」と相づち。


「うち、貧乏だし。家族は才能を認めてくれないし。ちょっと魔力を使うのはいいのよ。でも勉強して、仕事にしようってなると反対」


「金になるのに?」


「そう! まさに、そうよ。私、天才じゃない? だから、もうちょっと時間をくれれば、すぐに大出世して大金持ちにだってなれるはずなの。なのに、理解しないのよね。結婚話に飛びついてさ。殺されるかもしれないのよって訴えても、『バカなこと言わないの』って」


 私、生贄よね。自傷気味に笑うリリスには、例のあきらめ顔が浮かんだ。


「やっと十六になったときは泣きそうになった。ううん、ちょっとは泣いた。でも、これからだもん。私の人生、やっと始まるの」


 パッと表情を明るくしたリリスに、俺は机に広げていた「記録」を手に取って、振ってみせる。


「じゃあ、これ、書かないとな。まだ、かなりページ残ってる」

「うん。頼むよ、ナオ。なんでもいいから、とにかく書いて」

「書いてるよ」


 なんでもいい、じゃ味気ないけど。俺の実力じゃ、リクエストがあっても答えられないだろうから、それでいいのかもしれない。


「お前は大丈夫だよ」

「ん?」


 ノートに向かいながら、俺は言った。

 リリスが再び近づいてくる。

 椅子の背もたれに手をおいたのだろう、ぎぃとかすかに軋む音がした。


 首をひねって見上げると、リリスはノートの文字は見ないようにしているのか、そっぽを向き、何もない壁をじっと見ている。


「リリスの夢は叶うよ。教員だっけ? お前に教えを乞う生徒が気の毒だが、まあ、成功者への道なら、大丈夫。余裕だろ?」


「そ、思う?」


 意外にも気弱な声に、にぎっていたシャーペンを置いた。体をひねって向き合うと、壁に文字でも書くように指をはわせていたリリスも手を止め、俺を見る。その目に、わずかに不安を読み取って、俺は唇をかんだ。


「なんだよ。自信満々じゃなかったのか?」

「そうだけど」


 それでもね。みんな反対するじゃない。

 ナオは応援してくれるの?


 しょんぼりした態度で弱々しく言うから。

 俺はリリスの両腕をつかんだ。


「めちゃくちゃ応援してんじゃん。こんな分厚いノートに記録だかなんだか知らないけどさ、文章書きまくれって言われて、徹夜してんの知ってんだろ。べつにお前の魔力恐れて、びびってるわけじゃないよ」


 そりゃ、ちょっとは警戒してるけどさ。

 でも、これを読んだら、誰だってわかるだろう。

 適当になんか、書いてない。俺は、本気だよ。


「しょげんな。いやな奴はどこにでもいるんだろ? 親の中にもいるさ。俺は応援してるし、夢があることがうらやましいよ。憧れる。尊敬してる、あと、なんだ」


 照れてきて言いよどむ。リリスが目を細めて笑った。


「もっと褒めて」


「あー…と、だな。変なじじいと結婚する必要もない。リリスの魔力はリリスのものだ。誰にも奪われない。ずっと自分のために、自分がしたいって思うことのために使えばいいんだ」


「わがままみたい」


「いいじゃん、わがままで」


 それから、なに言ったっけ、俺?

 ベラベラ喋ったことは憶えている。リリスが笑っていてうれしかった。

 火が灯るような、暖かい笑顔で……あ、なんか泣きそうだ。


 こうして書きながら、思い出してしまった。つかんでいた腕の温もりも。

 あれは、幻じゃない。でも、この記憶も消されるんだと思うと、切なくなる。


 リリスは憶えていてくれるだろう。

 ここにも、こうして文字で書いて残している。

 でも、俺は忘れてしまう。どうして?


 リリスは、「ありがと」と短く言うと、しばらくの間、じっと俺を見つめてきた。なんだ、と思っていたら、目を両手でふさがれて。リリスの細い指の感触がまぶたの上に乗り、それから、ひたいに何かが触れた。


 それが「何か」なんて、答えは書かない。

 ただ、目隠しが解け、開けた視界で。どっちも顔が赤かった。


 それだけは、ここに書いておく。

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