Page 37 萩谷

 なぜ俺と萩谷がひとくくりにされて文句を言われなきゃならないのか。納得がいかない。萩谷は部に出てこないが、俺は部をまとめ、さらには、自分のプレイも磨いて、ずっと努力している。自信があった。それが、萩谷と? 


 プライドが刺激されたんだろうか。うんざりして、相手を蹴とばしてやりたくなった。それでも、俺は、「萩谷、声かければいいんだろ」と言って、この話を終わりにした。


 奴は、まだ何か言いたそうな素振りをしたが、「おせーよ。ま、俺から他の奴に言っとく。やっと、部長がやる気になったって」と、やけに「部長」という箇所を強調した。


 それから笑い、「じゃあな」と手を振る。その顔。あんな感じ悪い笑みを、いままで人に向けられたことがあったか。


 自惚れていることを承知でいえば、俺は自分が人気者で好かれていて、男女ともに友達が多いと思っている。部員に限らず、いろんな奴から相談を受けた。「倉田には話しやすい」。みんな喜び、頼りにしてくれた。


 それに、中学に入ると、同級生だけじゃなく、先輩からも告白されるようになった。人気の先輩も、俺に告白した。「好きだって」。誰とも付き合ったことはなかったけど、それはバスケに夢中だったから。


 塾や家庭教師なんかつけてなくても、俺は学業の成績だって悪くない。学年一ではないにしても、クラスでなら、科目によっちゃ一番だ。


 こいつ、俺がうらやましいんだな。

 そう思ったのは、事実だ。うらやましいんだ。だっせーって。


 そういえば、彼が「かわいい」と話していた子が、俺に告白してきたことがあった。俺の目には、どこが「かわいい」のか、ピンとこなかった。目は離れ気味で、首が短くて。ちょっとカメみたいだと思った。


 でも、だからって冷たくしたわけじゃない。他と同じように、断っただけ。「ごめん。好きな子がいるから」と。こう言えば、いつもすんなり話は終わった。


 もし。そう、俺は頭に過ったんだ。

 こいつの好きな子に、俺から告白したら、どうなるだろう。

 付き合ってみようか。いまから、声、かけに行こうか。


 腹が立っていた。

 むしゃくしゃして、こいつにダメージを与えてやりたくなった。でも。


 いらついた気持ちのまま、俺は休み時間が終わる前にと、萩谷を探して走っていた。萩谷はクラスにはおらず、チャイムぎりぎりになって、見つけた。階段の踊り場。膝を抱え、下を向いている。


「おい」


 怒鳴ったわけじゃない。普通に呼びかけた。それなのに、萩谷はびくんと肩を跳ねさせ、ふり返った。目は見開かれ、俺を凝視する。こちらが怯えるほどの、強い恐怖の目。


「萩谷、久しぶりだな。おまえ、部活さ」


 たじろぐ気持ちもありながら、何気ない風を装って萩谷に近づいた。萩谷は俺だとわかると落ちついたか、弱々しく「倉田か」とつぶやいた。そのまま、胎児のように丸く膝を抱えてうつむくので、俺は隣に腰掛け、彼の肩を軽くさするように叩いた。


「暗っ。なんだ、調子悪いのか。保健室、行くか?」


 数日ぶりに見ると思った萩谷の顔は、もう何か月も会ってなかったかのように激変していた。いや、実際に何か月もまともに向き合ってなかったのかもしれない。記憶にあるより頬はこけ、元々ひ弱そうな奴だったけれど、さらに、弱々しく、不健康そうなにごった肌の色をしていた。


「いや、ほんと、大丈夫か? 吐きそうなのか」


 萩谷はのぞきこむ俺の視線を避け、顔を反対に向けると、ぼそぼそと聞き取りづらい声で何かを言った。俺は「なに?」と聞き返す。


 それに対して、「べつに」と、ぜんぜん、べつにっていう雰囲気じゃないのに言い、萩谷は俺のほうへと、ゆっくりと顔を向けた。


 唇がぐにゃりと曲がり、うっすらと歯がのぞく。ゾッとして、思って思わず身を引いてしまった。でも、そうしてから、やっと彼が「笑った」のだと気づいた。


 萩谷は、見れば見るほど、正気とは思えないような顔で笑っている。何も言わず、でも、俺と目を合わせようとしていて。それが、こわくて。


「萩谷、あのさ」


 もうすぐチャイムが鳴るはずだ。だから、「またな」と言って、立ち去ってもよかった。話は放課後にだって出来る。でも、萩谷にからめとられたかのように、俺は立ち上がる気になれず、話を続けようと、口を開いた。


「あの、部活だけど」

「ああ」


 ふっと軽く、力の抜けた笑いをする。「サボってたの、バレた?」


 不自然に高い声。まるで歌うような調子。からかうような、その態度にムカッときて、心配していた気持ちが一気にしぼんだ。


「部活、辞めるんなら退部届だせよな。これから試合続くんだし、だらけてると困るんだ。お前はスタメンじゃねーけど、だからって周りに迷惑かけていいわけじゃないだろ」


 自然と、声が荒っぽく。早口に。


「辞めないんなら、ちゃんと部活には出ろよ。サボりだって、言われてるぞ。お前のせいで、部の雰囲気が悪くなってんだ。二年にもバカにされるって。もし、体調悪いんなら、見学してればいい。練習参加しなくても、カウントしたり、やることはあるわけで」


 まくしたてていた。猟犬に追われる、キツネかウサギのように。焦り、不安が膨らみ、鼓動が駆け出して。とにかく言葉を発しようと、俺はひたすらに、並べたてていた。


「なにが不満なんだよ。みんな頑張ってんだ。お前だけ、ふざけてるんなら、さっさと」


 萩谷がゲラゲラと笑い出した。首根っこをつかまれた気分。駆け巡っていたものが、すべて、ぴたりと止まる。


「真面目だね、倉田は」

「は?」

「真面目」


 また言うと、萩谷はげほげほと咳き込む。咳き込みながら、笑い、そうして、本格的に血でも吐くんじゃないかとう激しさで、背中を波打たせ、咳き込み始めた。


「おい、風邪か?」


 焦る。視線を飛ばす。誰もいない。先生は? どこだよ。


「倉田は真面目」

 ごほっと咳をして、萩谷は口についた唾液を拭う。「真面目」


「悪いかよ、真面目で」


 萩谷はニヤッと笑った。まだ、あごに唾液のあとが光っている。

 でも、俺の知っている萩谷の顔をしていた。

 穏やかな目、ほくろが目出す白い肌。すこし、緊張が解けた。


「俺は真面目だよ」

「だね」

「お前もだろ」

「どうかな」


 まだ、話したい気分だった。チャイムが鳴る。

 次はおっかない担任の授業だ。遅れると、ねちっこくいじられる。


「また、放課後な」


 萩谷に声をかけた。そして、動かないままでいる彼を放っておいて、自分は教室に戻ろうとした。でも、数歩行ったところで、萩谷が言った。


「部活辞めたら、受験に響くかな?」


 のんびりしている。焦りは少しもないらしい。


「辞めたって影響ねーよ。どうせ、お前、活躍してねーじゃん」


 彼の反応を見ずに、俺は廊下を走った。

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