Page 27 ロフトにいる魔女

 リリスによると、たとえ二週間の記憶が消えたとしても、あの夢、小さいころから見ていた夢の記憶は消えないらしい。


 俺はいま、夢の中であっていた女の子――リリスが現実にいる日々を体験しているわけだが、この記憶は最終日を終えれば消え、あとは以前のように、それ以上でも以下でもない、あの夢は夢としてだけ憶えている日々に戻るのだと。


 じゃあ、俺にとって、いま、この日々の価値ってなんだろうか。


 なにも残らず、忘れていく時間ばかり。たしかに体験し、心動いた瞬間があったとしても、それらはすべてなかったことにされるのだ。


 何かが俺の心に蓄積して、忘れたとしても、どこかで影響を及ぼす、そんな可能性はあるかもしれない。でも、それも、確かなこととは思えず、こうして、いま「記録」を書いているのだけれど、そこで思うのは、俺にとっては無価値な時の流れだとしても、リリスにとってはこの研修期間は願い続けた夢への一歩、とても大切な時間なんだってことだ。


 この「記録」だけが、リリスに俺がしてやれる、唯一のこと。


 俺は忘れてしまうけれど。それに、リリスがどこまで本当のことを話していて、いま信じていることが、どれほどの価値があるのかわからないとしても、投げ出すわけにはいかないのは、これしか、俺には残ってないからだ。


 他のノートやメモ用紙、パソコンでも何でもいいが、そこにこの日々を記録したらどうだろうかと考えたことはある。こっそり残して、たとえ記憶が消えたとしても、それを呼び覚ますような何かを残すことはできないのだろうかと。


 でも、それらもすべて消えてしまうらしい。写真も同じだと。リリスや、リリスといっしょに写っている写真が、いまは俺のスマホに入っている。けれど、それも記憶と同時に消えてしまうと、リリスが教えてくれた。手もとに何も残せない、すべてなくなってしまうのだ。


 そんな事実が、日々が経つにつれ、じくじくと膿んでいくようになって、俺は気だるげな寂しさと虚しさに支配されそうになる。あらゆることを考えて、葛藤して、苦しんで。そして、笑っている。そんな感情の波も、やがて消されていく記憶と共に去っていく。


 この、苦しみ、喜び、こうして文字を書く時間。それらの意味を問いたくなって、再び、リリスのためにこの時間はあるのだと再確認する。そんな逡巡の中、日々は過ぎて、夜になり、また朝が来て。


 いま、深夜にこれを書いている。正直眠くて、何を書いてるんだかよくわからない。たぶん、明日、朝一番に確認して破り捨てたくなるのかも。それでも、手を止めないのは、もう刻々と残り時間がなくなってきているから。


 なんとかして、この「記録」は完成させないと。まだまだ残りのページは多い。妹も帰宅した。あいつの予定は知らないが、合宿が終わったばかりだ。明日一日、家にいるんじゃないかと思う。


 そうすると、部屋にこもりっぱなしの俺を不審がるかもしれない。外へ連れ出そうとか、うるさく騒ぎ出すかも。宿題をしていることにすればいいのだろうけど、何を書いてるんだって知りたがったら、どうする? このノートは妹に見えるんだろうか。読まれたら、大変だ。恥ずかしすぎる。


 リリスはもう寝ている。俺の部屋にはロフトついてるんだけど、リリスは初日から、そこで寝ているんだ。いままでロフトは物置がわりにしていて、冬物の寝具や束ねた雑誌なんかを置いてたんだけど、それらはすぐに放り投げられ、リリスの心地の良い場所に作りかえられていた。


 リビングから枕にちょうどいいクッション、押し入れからはパンダのぬいぐるみ。あと、妹が昔遊んでいた子供用ドレッサーまで置いて。リリスはこういうものを手にしたことがないらしく、嬉しそうだ。間違っても「ガキ」なんて言えないほど、それはほんとに嬉しそうなわけで。ちょっと不憫さに、泣きそうになる。


 同じ部屋で寝なくても、と思うのだが、だからって、俺がリビングで寝るのも変だって話でこうなってしまった。リリスが他の部屋で、というのも断固拒否されたから。


「ここに寝る」


 ふんっと鼻息荒く宣言するから、俺は「どうぞ」と言うしかない。エアコンの温度まで、彼女好みに設定して、そよ風がわりに扇風機まで運転。お嬢様かよ。貧乏人じゃなかったのかって思う。いや、貧乏すぎて、いまはっちゃけてるのか。


 ロフトは俺のベッドの反対側だ。だから、寝るとき、ちょっと首を上げるとタオルケットの盛り上がりが見える。いつも静かだ。呼吸の音もしない。いないんじゃないかと思って、実は確認にのぞいたことが何度かある。そのたびに……、べつに変なことはしてない。寝顔を見ただけだ。

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