Page 24 片恋の人

 ずっと恋している人がいる。

 いつからって言えないくらい、ずっと昔から。


「だけど、その人とは付き合えないし、そもそも『好きだ』とも伝えられない。だから、俺の恋愛事情をどうこうしようなんて余計なこと、しないでくれ」


「ちょ、ちょ、ちょっと」


 一瞬、ぽかんと口をあけて固まったリリスだったが、あたふたと膝歩きで近づいて来ると、しどろもどろになりながらも、興味津々で目を輝かせた。


「好きな人、いるの? 初耳、初情報よ。そんなのデータになかった。ちょ、ちょっと詳しく教えなさい」


「おい。いま余計なことすんなって」


「世話は焼かないって。ね、ちょっとだけでいいの。魔女ちゃんに教えてごらんなさいな」


 耳に手を当て、ふんふんカモーンと、がっつり話を聞きますスタンバイをしている。なんでこう……無神経なんだろう。俺はしばし悩んだが、せっかくだから、リリスにいい土産話でもやろうかと、真面目に話してやることにした。


「べつに片想いってだけ。それで終わり」

「終わりじゃないでしょ、照れちゃって。このこの」


 ぐいぐい肘で小突いてくる。どつき返してやりたいが我慢だ。


「好きなんだな、こういう話が。自分はエロじじいに狙われているらしいけどな」


「ええ、そうですとも。同情して、あなたの素晴らしい恋バナ聞かせてちょうだいな。ほら、どーんと打ち明けて。もしかしたら力になれるかもしれない」


「無理だね」


 この恋は叶わない。もう、いやってくらい、わかっている。甘さゼロの恋は、ただただ苦く、救いようのない痛みだけ残した。その傷跡に触れているのが、この魔女にはわからないんだろう。すべて話したくて、でも、すべては話せない、そんな痛みが。


「片想いっていったけど、失恋してるのと同じなんだよ。可能性ゼロ。もし、お前にできるとしたら」


 できるとしたら? ……してくれるじゃん。

 俺はごまかしの言葉も出ずに、黙ってしまった。


 さすがに調子に乗っていたリリスも、俺の反応に戸惑ったのか、心配げに眉根を寄せる。その表情がいやに同情的で、さらに悲しくなってきた。


「あのさ。俺、忘れるんだよな」

「え? あ、この二週間の話?」


「そう。記憶が消えるんだよな。で、新しい記憶が作られるんだろ」


「うん。何も心配いらない。いままで通りの日常が戻って来るだけだし、違和感はないはずよ。エラーは聞いたことがないから」


 エラーか。他にも俺と同じように想い、苦しみ、そして忘れてしまった奴がたくさんいるんだろうか。魔女たちは、そうして「記録」だけを手に入れて、笑顔でその後の人生を生きていくっわけか。


「じゃあ、さ。あの夢はどうなるんだ?」

「夢?」


 俺はここで、自分のついた嘘を白状した。リリスはしかめっ面をして何か言おうと口を開いた。でも、上がっていた肩がすっとなだらかになると、「なんだ、やっぱり憶えてたのね」と落ちついている。


「とっさに、憶えてないって言って悪かったよ。あの絵もお前だよ。リリスを描いてたんだ。五歳くらいのときかな。十歳くらいまでは、よく夢で会ってたんだよな、俺たち」


「うん」


「俺の他にも会ってたんだよな。こっちの世界の奴じゃないんだろ? 他の世界の、なんだ、人間ぽくない奴も含めて」


「この世界はナオだけ。だいたい、一つの世界にひとりよ」


「ほんとか?」

「うん」


「ほんとに、ほんと?」

「うん」


「嘘はないな?」

「うん」


「……なぁ、おい。さっきからやけに『うん、うん』素直だな。逆におっかないんだけど。お前、もしかして、めちゃくちゃ怒ってるとか?」


 穏やかな顔で、返事をする。それが不気味だと思って問うと、「怒ってない。ただ、不愉快なだけ」と笑顔。だから、それが怖いっての。


 身をよじりながら、「嘘は悪かった。いや、ほんと悪かった。でもな、急に現れて、なんだ、部屋は荒らすわ、しゃべりまくるわ、食うわ、窓から飛び出るわで、混乱状態になったあとに、『あ、あの夢か!』なんて、愛想よくすると思うか?」


 無理だろ。ってことを説明しても、リリスの目は丸くなるどころか、ますます細い糸のようになった。


「なんだよ。かわゆいリリスちゃんの宝石みたいなお目目が見たいなぁ」

「お、なんだ。急にキャラ変更始めたのか」


 ぎろりと鋭い視線。震えあがりそうだ。


「どうしろってんだよ。なんで、俺が悪いみたいになってんだ」

「だって」


 物騒な雰囲気に、周囲の明るさまで影がさしたようだ。まだ真夏の日中だというのに、窓の外まで暗い。天気まで、この魔女は左右できるんだろうか。魔法は使わないってのは、どうしたよ。


「ふんだ。ナオが『夢なんか知らない』って言ったとき、ちょっとショックだった。楽しい思い出なのに。私、友達いないし」


「だろうな」

「なんだと?」


 嵐が来るぞ。本当に天候を操れるのか。それとも偶然か。部屋はすっかり薄暗くなり、リリスの紫色の目だけがライトのように明るい。ゾッとする美しさだ。まるで、洞窟で宝石が輝くような。


 吸い込まれそうになって視線を外すと、窓から見える空に、重苦しい灰色の雲が広がっていた。早送りの動画のように、あっという間に空は様変わりして、窓を打つ風が強くなり、室内の温度が一気に下がる。


「これ、お前じゃないよな?」

「なにが?」

「だから」


 カミナリって、いきなり落ちるんだな。ゴロゴロって音はなかったはずだ。それなのに、パチリとショートしたような音が弾けたかと思うと、地響きと共に大音量が鳴り、動いていたエアコンが停止した。


 ブレーカーが落ちた。それとも、停電? 家中の家電が動きを止めたらしく、あたりはいやにしんと静まり、心臓の音だけが激しく打っている。


「リリス、お前」


 お前がやったのか。そう訊ねようとして、彼女の様子がおかしいのに気づいた。白い顔というよりは、青い顔をして、じっと動かず、手はひざの上で硬くにぎられている。唇はうすく引き結ばれ、歯を食いしばっているらしい。


「おい、どうした?」


 心配になり、手を伸ばした瞬間。どかんと部屋のドアが開いた。

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