Page 21 真相なんてわからない

「あのさ、兄貴。ひとりで楽しそうなのはいいけど、ぼそぼそ独り言はやめたほうがいいと思うよ。なんか不気味。兄貴っぽくないし」


 聞こえてるじゃん。リリスをにらむが、彼女は目をパチパチっとさせるだけ。どうやら会話の声、俺の声は聞こえるようだが、器が三つあることには気が付かないらしい。どういう魔法なのか、やっぱり理解できないが、とにかく会話は気を付けたほうがよさそうだ。


「兄貴さ。まさか、とは思うけど。まさか、だよ」

「なんだよ」


 妹はスプーンを加えたまま、もごもごと視線をそらす。


「もしかして、彼女できた?」

「は?」


 のけぞる俺に、リリスが「それがまだなのよぉ」と世間話するおばさんのノリで手をパタパタ。「この子ったらシャイでねぇ」


「なーんか、前と違う。楽しそうっていうか、元気っていうか。ちょっとね、合宿でも噂になってたんだ」


「噂?」


 妹の所属しているテニスクラブは、だいたい小四から高校生、コーチという形になるらしいが大学生も所属している。けっこう本格的なクラブで、妹は小六のときから参加しているが、全体数でいうと女子率が高い。ハードな合宿らしいが、夜になれば、いや、夜にならずとも噂話、それもカレカノ事情の噂で盛り上がるだろうことは容易に想像がつく。


「なんだよ、噂って」


 うながすと、妹は肩をすくめる。

 相変わらずスプーンを口につっこんだまま、もにょもにょ。


「うーん、ミクのお兄ちゃんって……」と言いよどみ、

「なんかどうでもいいけど、超モテるってきいた」


 周りが、言ってただけ、だよ。と付け加えるのを忘れない。


「いや、モテないわね」

「なんでお前が」って、危ない。俺は咳払いした。

「モテないけど」

「じゃ、彼女は?」

「いない」

「いないの?」


 ちょっと嬉しそうに椅子の上で飛び跳ねる。口からスプーンがピッと飛んで、フローリングの床に落ちた。


「おい……、はぁ。あのな、俺は彼女とか興味ないの。何か訊かれたら、そうはっきり言っとけよ。うるさく付きまとわれるのは、いやなんだ」


 うるさく、で、美丘が浮かんでしまった。寒気がする。

 かき氷の食い過ぎではない。断じて。


 妹は「べつに、何も訊かれてないし」と生意気な態度だが、残りのかき氷を食べるペースはあがった。「あたしも炭酸かけよっかな」。そう言って、俺にむかって底そこしか氷が残ってない器を突き出す。


「ほぼ水じゃねーか」


 数粒しか残ってない氷に、一口分だけ炭酸をかけてやる。リリスも、「私もいる」と空っぽの器を向ける。コップで飲めといいたくなるが、黙ってガラス器に炭酸を注ぐが、ちらと確認した妹はやはり無反応。機嫌よくの残りのかき氷を飲み干すと、「じゃ、片付けよろしく」とさっさと行ってしまった。


「なーんかな、気色わりぃな。もし、お前がミクに抱きついたとしても、あいつ、なにも気づかないのか?」


「こーんなかんじ?」


 細い腕が伸びてくる。ぎゅっと体を抱き、左肩におでこをつけると、「ナオはなんとも思わない? それとも美人で優秀な魔女ちゃんがハグしてくれて嬉しい?」ってニヤニヤ顔で見上げてくる。


「あつくるしい」


 突き放すと、リリスは「かわいくない反応」と口を尖らせた。


「俺が知りたいのは、ミクだとどうなるんだってこと。たとえば、お前がミクを階段から突き落とそうとしたら、それが出来るのか?」


「なーにそれ。暴力反対! かわいい妹になにたくらんでんの」

「違うって。だから」


 訊きたいことには答えない。どうでもいいことばかりする。これはリリスの性格か。それとも俺の会話術が下手くそなのか。


 リリスの声が聞こえ、リリスの体温も感じる。でも、彼女はここに存在してないんだろ? 妹には見えない。さわっても気づかない。じゃあ、俺の見えている世界、感じている世界は全部ニセモノなのか。


 魔法とはなんだ。試験官さまに問いたい。俺はリリスにとって、この世界のホストだというが、それはいったい何のために存在しているんだ。リリスは俺に何をやらせたい。いや、そもそも。あなたは存在するのか。


 リリスの嘘かもしれない。研修や試験、結婚話だって、何もかもすべてが。リリスが、魔女かどうかもわからない。


 ふとした瞬間。俺は、リリスといると、暖かいものが自分の中で広がっていく。そして、同時にその暖かいと思っていたものが冷たく鋭いナイフのように変わり、躊躇なく俺を引き裂いていくこともある。


 いま、この瞬間も感じていることだ。俺が信じているものは、本当の出来事なのか。それとも。そう。すべて俺の妄想なのかもしれない。長い夢を見ているのかもしれない。俺は事故にでもあって眠っているのかも。答えはでない。でも、常にそういう考えが浮かんでは、俺を不安にさせる。目の前にいる女の子は実在するのか。つかめるのか、本当に。


 手を伸ばしては止める。言葉にしようとしては飲み込む。その繰り返しの先に、別れがあるのか。それとも目覚めか。


 試験官さま。俺はどうかしているんだろうか。この答えは、きっとでないまま、リリスとの十四日間は終わり、俺は記憶をなくしてしまうのだろう。それが、無性に寂しいと。あなたには伝わっているだろうか。

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