今気づいたんだけど脳神経迷宮って出れなくね?

ちびまるフォイ

新しい迷宮への旅立ち

脳神経迷路はどこまでも入り組んではてしなく遠くまで広がっていた。


「はやくここから脱出しなくちゃ……」


さっきからそのことばかり考えて、

脳神経を行ったり来たりしているがまるで出口が見つからない。


このまま脱出できなければ本体は人格を失ってしまうだろう。


「ああ、ここも違った。これは子供の頃にベランダで落ちたときの記憶。

 今見ているリアルタイムの記憶じゃない」


「くそ。こっちは小学生のときトイレでからかわれたときの記憶。

 少し年代が近づいてはいるけど……こっちじゃない」


「おっ!? これはおとといの晩ごはんのときの記憶!

 こっちの方面に出口があるのかもしれない!!」


ついに見つけた光明をたぐるように神経迷路をダッシュするが、

その先は行き止まりでいっこうに出口である今の記憶へとたどり着かない。


このまま人格が脳神経をウロウロしたままだとどうなってしまうのか。


「いったん引き返そう。闇雲に歩いても意味はない。

 目印をつけながら、どこを通ったのか記録しつつ確実に進んでいこう」


冷静になってから脳神経迷路にマークでもつけようかときた道を戻ったが、

いくら戻っても見慣れた神経風景にはたどり着かない。


「おっかしいなぁ。ま、ここからはじめるか」


目印をつけながら迷宮を進む。

神経の行き止まりにたどり着いたら目印を頼りに戻るがーー。


「ない! 目印がない!!」


目印は消えていた。

というか、あらぬ場所に目印が移動していた。


ずっと神経迷宮の壁へなぞるようにつけていた目印だったが、

引き返す頃には途切れ途切れになっていて、まだ行ったこともない神経道に目印がついていた。


一瞬ポルターガイストかなにかかとも怯えたが、

その答えに至るよりも早く迷宮が答えを教えてくれた。



ゴゴゴゴゴ……。



「し、神経が動いている……!?」


目印を付けた神経迷宮の壁がせり上がったり、ずれたりして迷宮は様変わりしていく。

神経迷宮の壁につけていた目印がぶっ飛んでいたのはこのためだった。


神経迷宮は複雑な迷宮というだけでなく、自動で形が変わってしまう。


「そ……そうだった。記憶は常に新しいものが増えて、古いものが消える。

 脳神経迷路の形も組み替えられるに決まってるじゃないか……」


目印をつけることなど意味はなかった。


脳神経の迷宮をさまよえばさまようほど記憶をたどることになる。


忘れていた嫌な記憶も。

意識しないようにしていた苦い記憶も。


脳神経迷宮を歩くほどに眼前に突きつけられて精神が病んでいく。


「もう……もうだめだ。こんなの出れるわけないよ……」


形が変わる複雑な脳神経迷路をさまよって出口に到着する確率なんて、

1口買った宝くじが当選するよりも難しいだろう。


それに神経迷路が組み替えられているということは、

人格が脱出していなくても本体は活動している証拠。自分は不要だったんだ。


「もういい……疲れた……」


脳神経迷宮に座り込むと、壁に背をもたせて眠ってしまった。

ずっと歩き通しだったので鈍く重い眠気が落ちてきた。



ガガガガガガ……。



「うるさいなぁ……また迷宮の組み換えか?」


騒音と振動に目をさますと今地面に置いていた自分の手の場所が崩れた。

崩れた破片は奈落へと落ちてそのまま消えた。


「わぁ!? なんだこれ!? 迷宮が……壊れてる!?」


脳神経迷宮は地面が崩れて暗く深い奈落へと落ちていった。

一体なにが起きているのか。


脳神経迷宮の頭上にはいくつもの刺激的な電気信号が稲光のように光る。


「こ、これは……!」


たまたま昨日の記憶の脳神経道に入ったことで原因がわかった。

人格迷子になっている本体は今、酒を浴びるように飲んでしまっている。

自分の中での理性が失われてしまっているんだ。


体を壊すほどの飲みっぷりが脳神経の破壊を招いている。


「まずいぞ。このままじゃ脳神経迷宮そのものが壊れる!」


止まらない迷宮の崩壊だったが、ふと思いついてしまった。


「待てよ……これはもしかするとショートカットできるかもしれない!」


脳神経迷宮がどんどん破壊されていってしまっているが、

とくに残るのは深い記憶と今現在に近い記憶。


つまり、出口への分岐が脳神経崩壊と合わせて簡略になっている。


本当に大切な記憶だけが残れば脳神経迷宮など脱出は簡単だ。

問題は迷宮の崩壊に巻き込まれないようにするだけ。


「うおおお! ここに来て落ちてたまるかぁーー!!」


足元からガラガラと崩れていく迷宮から逃げるように

いくつもの脳神経迷宮をぬうように歩いていく。


そしてついに脱出地点である現代の記憶へとたどり着いた。


「や、やった……! やっとゴールだ……!」


そう言ったのは自分ではなかった。

すでに脱出口にいた別のやつだった。


「お前は……別の人格か?」

「うそだろ……」


お互いがお互いの存在を信じられないとばかりに見つめ合った。


「まさかもうひとつ人格があったなんて……」

「どうするんだよ。お前も記憶をたどってきたんだろう?」


「俺とお前で出ればいいんじゃないか?」


「バカいえ。ふたつの人格が出たら多重人格で崩壊してしまう。

 どちらか片方しか出られないんだよ」


「そんな……」


「お前はここに辿り着く前にどんな記憶をたどってきた?」


「俺は……幼い頃の記憶とか、小学生のころの記憶、

 あとは社会人になってからの記憶……とかかな」


「そうか……。こっちは出口に辿り着く前に、

 現代にできるだけ近い記憶を中心に脳神経迷宮を歩いてきた」


どちらが人格としてふさわしいかなど決められるわけがなかった。

それでも話を聞いてどこか諦めに近いものが湧いた。


「……俺が諦めるよ。お前が脱出するといい」


「え? それでいいのか? どうして?」


「お前は現代に近い記憶の脳神経を通ってきたんだろう?

 だったら、人格として戻るべきは今の自分だ。

 昔の頃の記憶をたどってきた俺が脱出しても、現代とちぐはぐになってしまう」


「それでいいのか……? このままじゃ迷宮の崩壊に……」


「いいんだ。昔の大切な記憶をいつまでも引きずるより、

 現代の大切な記憶を大事にできる方がいいと……思うから」


ゴゴゴゴと背中越しに迷宮崩壊の音が聞こえてくる。

どんどん崩壊は進みすぐ後ろまでやってきていた。


「……そうか。わかったよ。すまないな」


「またな」


もうひとりの人格を送り出した。

直後に立っていた場所が神経迷宮の崩壊に巻き込まれて闇へと落ちていった。


迷宮崩壊前にたどっていた大切な記憶たち。


子供の頃のベランダでの思い出。

小学生のころのトイレでの思い出。

おとなになってからの友達との思い出。


今はもう脳神経迷宮が壊れて失った記憶とともに……。


 ・

 ・

 ・


「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」


やがて本体の夫婦には子供が生まれた。


「ねえ見てあなた。目元なんかあなたそっくりじゃない?」

「そうかもしれないな。顔つきもそっくりだ」


子供は大きくなるとますます父親に似るように成長した。

そんなある日。



「ねぇ、パパって小学生の頃トイレでなんかあった?」


もはや父親も思い出せないことを尋ねたという。


そして今日も人格は遺伝した脳神経迷宮をさまよい続ける。

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