女王の在り方

第5話 夫婦としての初めての約束

 告別式を終えて何度太陽が昇っても、この国の重苦しい空気が変わることはなかった。お父様がいなくなっても、この世界には彼の影がたくさん残っている。今の私では、それを忘れさせるほどの影響力はない。


 引き継ぎの業務を終えて、私の執務も通常のものへと戻っていた。新国王となったライオットは立派な人で、その執務を行う姿も様になってきている。騎士団長を父にもつ彼は、その跡を継ぐことが当たり前だという認識の中で育った。そんな彼だから最初から上に立つ人間としてふさわしい品格を持ち、すでにお父様のように国民を導く器は備わっている。


「どうかいたしましたか?」


「いえ……。執務のほうはいかがでしょうか?」


「ようやく慣れてきたところです。まだまだ皆様にはお世話になります」


 ライオットは笑って答えた。彼の言葉は謙遜でしかない。彼は一を聞いて百をこなすような人だ。一人で執務を行えるようになるまで、そう時間はかからないだろう。


「そういえば……その……」


「何でしょう?」


 いつもは落ち着いて頼りがいのある雰囲気なのに、ライオットは顔を赤く染めて口ごもった。国民の前に立つときに、このような姿を見せなければいいけれど。


「その……せっかく夫婦となったので……。今夜一緒に食事など……どうかなと?」


「構いませんが……、執務中に違うことを考えていると間違えますよ」


「そっ、そうですね。気をつけます」


 注意したというのに、彼は嬉しそうに照れていた。そんなに食事をすることが嬉しいのだろうか。


「では、私はこれで」


「えっ」


「頼まれていたことは伝えましたし、書類は受け取りました。まだ他に業務がありましたか?」


「いっ、いえ」


「では、私は執務室に戻ります。……今夜、楽しみにしていますね」


 少し意地悪だったかもしれないけれど、これで国王としての自覚を持ってくれればいい。私は彼の執務室を後にした。




「今夜は王様のところで一緒に食事をとることになったわ」


「本当ですか!」


「……そんなに驚くことかしら?」


 顔を紅潮させて慌てる様子は、さっきの王様と同じ。家族となったのだから、一緒に食事をしてもおかしくないと思うのは私だけなのだろうか。


「失礼いたしました。では、今夜は執務を早めに切り上げて準備いたしましょう」


「じゅん……び……?」


「はい! せっかくのお誘いですから、着飾らないと!」


「……そう?」


「そうですよ。もう今から楽しみで」


「なら……任せるわ」


「はい!」


 アンは、私がまだ幼かった頃からお世話になっている教育係だった。基本的なマナーやこの国の成り立ち、その他もろもろの知識まで、私は彼女から教わった。それに加えて彼女の仕事は、私の身の回りのお世話から政治に関する雑用まで。彼女がいなければこの国を動かすことができないと思うほどに、私はアンに頼らせてもらっている。


 そんな彼女が幸せそうに笑うのだ。笑顔が絶えない女性ではあるが、今回はその中でもとびっきりのもの。国王様との食事くらい、いたって普通のことだと思っていた私も、彼女の様子にそれが楽しみになっていた。

 暗い未来のことばかり考えず、時にはこうした目の前の小さな幸せを感じることも大切だろう。私は書類を片付けながら、今夜の約束に思いを馳せた。




「お似合いです」


「ありがとう。特別な日でもないのにこんな豪華な格好をするのは、なんだか恥ずかしいわね」


 夕方。執務を終えた私はアンに手伝ってもらって、国王様との食事の準備をした。着付けた深い緑色のドレスは薄いベールを重ねたような作りで、ひらりひらりと揺れる裾は宙を舞う蝶を思い起こさせる。花の髪飾りを挿して髪を結い上げれば、普段の自分とは見違えるような姿となった。


「それほど豪華でもないですよ。王女様はいつも質素すぎるんです」


「最低限の威厳さえあれば、あとは執務しやすい格好がいいでしょう? 高価なものを毎日着ていては、すぐに着れなくなってしまうし」


「だから時々は着るべきなのです。せっかくのドレスなのですから」


「それは……そうね」


 アンは私以上に楽しんでいるような気がするが、幸せならば何の問題もない。彼女には世話になってばかりで、私は何も返せていないのだから。それにこのドレスだって、綺麗にしまわれているだけではかわいそうだ。


「国王様もきっとお喜びになられますよ」


「そうかしら」


 ライオットが私の姿に興味を持つとは思えないが、女王として適切な姿であれば問題ない。嬉しそうなアンの様子に、私は笑って答えた。


「それにしても遅いですね……」


「そうね」


 食事が用意される時間はとうに過ぎていた。いつもならお抱えの調理師が準備したものを部屋でとり、使用人が片付けに来ている時間。私も着飾ったままアンと話し続けて、もう時間の潰しもきかなくなっていた。


「アンは先に休んでください」


「どうされるのですか?」


「食事の約束はしましたが、具体的な時間は決めていませんでしたから。もしかしたらまだ遅い時間なのかもしれません。私は少し様子を伺ってきますね」


「しかし……」


「たまには休息も必要でしょう?」


「ですが就寝のお手伝いが……」


「それは……ね?」


「っ……。これは失礼いたしました」


 含みのある話し方でも、アンはその意味を理解してくれた。ライオットがそこまで考えているとは思えなかったが、こう言えば彼女も引き下がってくれるはず。


「では、何かあれば遠慮なくお呼び出し下さい」


「どうしようもなくなったらそうさせてもらうわ。いい夜を」


「レイ王女も」


 私たちは部屋を出て別れた。日の沈んだ城内に人は少なく、月の隠れた空がその寂しさをより一層引き立たせた。コツコツと、私の歩みに合わせてヒールの音だけが鳴り響く。


 こんな夜に、私の後ろをついてきてくれる人はいない。その人はもうずっと、私の寝室で眠ってしまっている。


 ライオットの執務室はそう離れていないが、昼間に訪れた時よりも遠くなった気がした。その扉から漏れる光が見えた時、静かな廊下に数人の話し声が聞こえてきた。どうやら国王様は、まだ執務中だったらしい。


 私はゆっくりと、その扉をノックした。彼の執務に水を差すのは申し訳ないが、約束である以上、何も告げずに身を引くのも躊躇われる。


「レイです。今、よろしかったでしょうか?」


 声をかけてすぐ、中からバタバタと慌ただしい音が聞こえた。もしかしたらタイミングが悪かったのかもしれない。勢いよく開いた扉の前には、その騒がしい音を立てた張本人だと思われる人物が立っていた。


「すまない」


 少し呼吸を荒げるようにして、ライオットは告げた。


「いえ。こちらこそお忙しい時に申し訳ございません」


 ドレスの裾をつまみ、私は軽く頭を下げた。狼狽うろたえた様子のライオットは私が顔を上げても固まったままで、私は居たたまれずにっこりと微笑みを返した。


「とりあえず中にどうぞ、廊下ではお体が冷えてしまいますから」


「あっ、すみません。……どうぞ」


 固まっていたライオットの脇をつついて、宰相が中へと招いてくれた。執務室にはライオットと宰相の他に、新しく騎士団長となったティムの姿もある。


「このような時間に珍しいですね」


 ティムは机の上の散らかった書類を隠すように、私の視界を遮って立ち上がった。普段からは想像できないその状況に、緊急のそれも重大な案件が入ったことは簡単に想像できる。


「何か私に手伝えることはありませんか?」


「あなたの手を煩わせるほどのことではありませんので、ご心配なく」


 私は真剣な表情で伝えたが、ライオットはぎこちない笑顔でそれを断った。私に手伝えることは少ないのかもしれないが、それでもできることが一つもないわけがない。ただ私には、この問題に手を出してほしくないということなのだろう。


「そうですか……」


 国王様が望まないのであれば、私には手を出す権利がない。ここは静かに、彼らの執務を邪魔をしないよう引き下がるべきだろう。扉へ引き返そうとした私の方をじっと見つめて、ティムはライオットに声をかけた。


「国王様、それよりも言うべきことがあるのではないでしょうか」


 彼の言葉はライオットに向けてのものだったのに、彼の視線が私から動くことはなかった。ライオットに忠告をするのは、昔からティムの役目。今でのその役割が変わることはなかった。


「えっと……。その……」


「何でしょう?」


 私は彼の言葉を待った。


「あの……。約束を破ってしまい、申し訳ありません。この埋め合わせは必ずしますので……」


 ライオットの言葉を聞いて、ティムはどうしようもないとため息をついた。


「約束を破っていらしたのですか。ですが、そうではなくて……。ほら、女王様にお会いしていつもと違うところがあるでしょう?」


「あっ! そのドレス、とてもお似合いです。レイ様はいつもお美しいのですが……その……」


 慌て過ぎてしどろもどろになるライオットの様子に、ティムはもうお手上げだと頭を抱えた。懸命に取り繕おうとするライオットの素直で不器用な心と、冷静に判断して誰に対しても気遣うティムの甲斐甲斐しさは昔から変わらない。

 その二人の掛け合いに、たまらず私は声を出して笑っていた。


「ごめんなさい。でもお二人の様子が昔と変わらないから……」


 戸惑った様子のライオットを一人残して、ティムもつられて笑ってくれた。その時、その部屋の中は子供の頃に戻ったみたいで、先ほどまでの不安や緊張はもうどうでもよくなってしまった。


「お邪魔してすみません。また今度、誘っていただけるのを楽しみにしていますね」


 結局、その夜はライオットたちと何事もなく別れ、私は一人で寝室への道を辿った。

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