第3話 王位継承の儀

「おはようございます」


 私はいつも通りの姿に戻れているだろうか。笑顔で声をかけた私に、宰相も笑顔で返してくれた。


「これから祝言と王位継承の儀、および国民への即位宣言がございます。準備はよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろん。参りましょう」


 違和感なく進む宰相との会話は、私の心を落ち着かせた。最低でも王家としての体裁は保てている。私は宰相の後に続いて、祝言の会場へと向かった。


 その会場はかつて王族との謁見が行われていた広間だった。並べられた二つの椅子は、王様と女王様が座っていた場所。当時はまだ国土も広く、国政は王家の者で分担して行われていたという。

 頂点に立つ王様の役割は、その椅子に座って訪れた国民の声を聞き、国の方針を指示すること。廃れてしまった今ではその役割を果たす余裕もなく、椅子は誰にも座られずに、ただの飾りとして何年もの間放置されていた。


「おめでとうございます」


「ありがとう」


 会場は使用人の手によって清潔に保たれていたが、飾りつけも何もない。祝言に参加できるのは王城に仕える者と限られており、日々の会話の延長線上として、祝福の言葉が送られていた。


「祝言の流れについて、最終確認をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「お願いします」


 このような日でも、王族としての仕事が減ることはない。どちらかといえば今日のための仕事が増えるため、忙しさはいつもの五割増しだ。


「王位継承の儀について、少し変更を考えているのですが……」


「聞かせてちょうだい」


 何も変わらない日常。普段より少し華やかな服装であること以外、そこに特別な日という印象はなかった。




「申し訳ございません。団長もいつもと違う扱いに、少し浮かれてしまっているようです。何か申し付けることなどはございませんか?」


 宰相や他の使用人たちと話し込んでいる私の元にやって来たのは、副団長のティムだった。


「お気遣いありがとうございます。こちらの手は足りていますので、ティム様もライオット様と共に過ごされてはいかがでしょうか? お二方とも、これから忙しくなられるでしょうから」


 身だしなみを整えたライオットは、騎士団団長としての最後の時間を騎士団の仲間と共に過ごしていた。多くの部下に信頼され、誰からも好かれるような性格の彼の周りには人が絶えない。抱えきれないほどの祝福の言葉を浴びて、幸せそうに頬を緩める様子に、水を差したくはなかった。


「ありがとうございます。しかし私はこれからも関わる機会が多いと思われるので、この場は他の方に譲ろうと思います」


 騎士団団長であるライオットが国王となり、必然的にティムが新たな騎士団団長となる。これまでずっとライオットの隣に立っていたティムが、これからもその隣に立ち続けること。その二人の組み合わせが変わらないことは、想像以上の安心感を与えた。


「それなら、即位宣言の際の護衛について確認してもいいかしら?」


「承知いたしました」


 それはティムが団長となって初めての仕事だった。副団長として団員から既に信頼を勝ち取っていて、ライオットと同様にカリスマ性もある。彼の率いる新たな騎士団に、心配など少しもなかった。

 それでもこうして話をするのは、国の頂点に立つ者として全てを把握する必要があるから。それが幼いながらも理解できた、お父様の王族としての姿勢であり、それを受け継ぐ私の責任だった。




「申し訳ありません。つい話が弾んでしまいまして」


 そう言って、嬉しそうに笑いながらライオットはやって来た。さっきまで彼を囲んでいた人たちは各々仲の良いグループで集まり、何人かはまだ話したりない様子で時折こちらに視線を投げかけた。


「いいのですよ、祝言なのですから」


 本来ならば、私の方からこの場に集まった人々へ挨拶に回るか、挨拶に来る人々に順番に対応するべきだった。しかし私もその周りに仕えている人々も、自分たちの仕事に追われて挨拶どころの状況ではなかった。

 そんな中、この会場のほぼ全ての人と会話を重ね、親睦を深めていたライオットは、無意識のうちに私の役割を丸々こなしてくれていた。


「これは私たちの祝言です。何よりも、レイ様を優先すべきでした」


 ライオットに笑って返答したはずなのに、彼は少し悲しそうに私の顔を伺い、目の前にうやうやしくひざまずいた。


「私の方こそ、お構いもせずに申し訳ありませんでした」


 これから国王となるお方が、人々の前で誰かに頭を垂れてはならない。咄嗟に伸ばした私の手は彼の肩に触れることなく、彼の手に添えられその口へと運ばれた。手の甲への口づけは尊敬を意味する。


「今日のレイ様は、いつにも増してお綺麗だ。赤い髪は燃えるようにレイ様の芯の強さを表し、金色の透き通った瞳は慈愛に満ち溢れているようです。私のような者がレイ様のお相手となることができて、大変光栄に思います」


 ライオットは口づけのみならず、深々と頭を下げて私への敬服の意を示した。


 それと同時に私たちを囲む人の中から、嬉しそうな声やため息が聞こえた。ふと見渡せばあちらこちらに、頬を赤く染めた女性たちが口元を抑えて微睡まどろんでいる。普通の人ならば、そのような反応をしたのだろう。その純粋な眼差しを、私はいつから失ってしまったのだろうか。


「私にはもったいないお言葉、誠に感謝いたします。しかしライオット様はこれから王となられる身。私に膝を折ってはなりませんよ」


 まだ王位を継承していないとはいえ、これからその行動を正していってもらわなければならない。私は淡々とその言葉を告げ、手を引いて彼に立つよう促した。


「私はまだ騎士団団長にすぎません」


 ライオットは立ち上がり、無理やり表情を和らげた。


「先ほどの言葉は王位を継承する者としてではなく、一人の男としてレイ様にお送りいたしました。どうか言葉のままに受け取っていただけないでしょうか」


 今度は背筋を伸ばして私の瞳を見つめたまま告げた。その手はしっかりと握られたままで、離す素振りは少しも見せない。


「分かりました。こちらこそ、ライオット様のような素晴らしき方のお相手になることができ、嬉しく思います」


 片手でドレスの裾をつまみ、軽く膝を曲げる。瞼を閉じて礼を尽くした後、再び映った視界の中で、彼は太陽に照らされる花のように、とても明るい表情になっていた。


 誰もが憧れている人が、この国の王となってくれる。それは嬉しいことだったが、その笑顔を向けられる人が私で良かったのだろうか。

 王になるということは私と結婚することと同義であって、そこには何の文句もない。しかしここに立つ可能性のあった人々からその権利を奪い取ってしまったと考えると、どうにも申し訳ないような情けない感情が表に出てきてしまいそうだった。


「レイ様、ライオット様。準備ができたようです」


 会場の注目が集まる中、宰相が小声で私たちに伝えた。彼の促す視線の先、二つの並んだ椅子の前で、神父様が盃を携えて待っていた。


「行きましょう」


 私たちの視線の先を見て察したのか、人々は広間の脇に寄って道を開いた。ここから私たち二人の道が始まる。ライオットが差し出した腕に手を添えると、彼は嬉しそうに笑った。


 一歩一歩。ゆっくりと神父様の元へ赴き、その前に並ぶと神父様が深々と礼を尽くした。


「ライオット様、レイ様。神はお二方の歩みを見守られてきました。新たな道へ進み、人生を共に寄り添う意思に、神も祝福しておられます。いついかなるときも互いを助け合い、尊敬し、真心を忘れることなく、その命の灯を守ることを誓いますか」


「誓います」


 神に誓いの言葉を告げた。その宣誓を証明するのは、私たちであり神父であり、そして会場に集まった王城に仕える人々だった。


「レイ様は王家の者として、ライオット様を受け入れることを誓いますか」


「誓います」


「ライオット様は王家となり、この国に尽くすことを誓いますか」


「誓います」


 神父様が持っていた盃に神酒みきが注がれる。それは王家しか飲むことを許されていない飲み物で、今回のように新たに人を迎え入れる儀式で用いられてきた。

 滑らかで水のように喉の通りが良いその味を知っているのは私とお父様だけ。しかしこれからは、そこにライオットが加わる。


 盃は神父様の手からライオットへ移り、彼は口を付けて手を傾けた。神酒を半分ほど体内に流し込んで、盃は私の元へとやって来た。私は手渡された残りの神酒を体内へ流し、再び神父様の元へ盃をお返しする。

 神酒は心を清め、あらゆるものから身を守る。王族として歩む人生に改めて覚悟を決め、私はライオットとこの国を導いていくことを誓った。


 祝言の儀式を終えて、私たちは会場に集まったの全ての人から祝福を受けた。誰もが幸せそうな表情を浮かべて、ライオットは少し恥ずかしそうに笑っていた。毎日このような笑顔が見られるように。国民全員がこんな笑顔をしてくれるように。

 その理想は心に留めて、私たちは王位継承のために会場を後にした。




 祝言にお父様の姿はなかった。病で動くことのできなかった彼は、自室のベッドで臥せっている。やせ細ったその姿は頼りなく、国民に慕われていた威厳ある姿は既に過去のものだった。


「国王様、体調はいかがでしょうか」


「問題ない」


 咳払いをするお父様の顔は、いつにも増して青白い。もう王家として国政に関わることはできないだろう。その命も、もう終わりに近いのかもしれない。


「では、これから王位継承の儀を始めさせていただきます」


 私たちと一緒にこの部屋を訪れた宰相が、司会となって話を進めてくれた。


「現国王エイデンの名の下に、新国王ライオット、新女王レイに王位を授ける」


「私ライオット=ウィリアムズは、新たなる国王としてこの国を導き、尽力することを誓います」


「私レイ=ウィリアムズは、新たなる女王として国王を支え、この国の行く末を見守ることを誓います」


 私が頼りないばかりに、ここまで無理をさせてしまった。こんなになるまでお父様が国王でいたのは、私がその優しさに甘えてしまったから。私の気持ちも悟った上で、お父様は何も告げずに許してくれていた。


 彼が背負ってきたものを、これからは私も背負うことになる。その覚悟は決まっていた。昔は全てを見通されているようで怖くて仕方がなかったお父様の金色の瞳が、今では温かいと感じる。


 前国王の体調を考慮して簡略化された王位継承の儀は、ものの数分で終了した。

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