第2話 失った命の大きさ

 私の発言から一週間経った今日、闘技場は多くの国民で埋め尽くされていた。娯楽の少なくなってしまったこの国で、催し物を行うのは何年ぶりのことだろうか。この場に集まった人々は皆、日々の疲れを吹き飛ばすかのように、まだ始まってもいない武闘会に笑って騒いで飲み食いして、それは楽しそうに開会の宣言を待っていた。


「レイ様、本当によろしいのですか」


「ええ」


 心配そうに尋ねる宰相に、私は笑顔で言葉を返した。


「では……最後に顔を合わせに行かれては?」


「大丈夫よ。私はいつもどおりがいいの。…………ありがとう」


 私は席を立ち、闘技場を見渡した。活気ある様子は、理想的な国の在り方そのもの。私は間違っていない。


 ラッパの音が場内に響き渡る。それを合図に人々は口を閉ざして、誰もがこちらへと視線を送った。


「この武闘会は、私の許嫁を決めるための特別な催しです。我が守護騎士に勝利した者に、その地位が与えられます。自身がその資格に値すると自負する者のみ、挑戦を認めましょう」


 静まり返った会場に、私の声だけが通る。


「レイ=ウィリアムズの名において、ここに武闘会の開会を宣言します」


 歓声が上がった。拍手が反響してその喜びがあふれ出した。そう、これでいいのだ。これで全てが終わり、新しく始まる。




 武闘会は守護騎士の圧倒的な勝利が続いていた。誰にも傷つけられず、触れられることさえ許さない。守護騎士は大勢の観衆が見つめる中、堂々としたたたずまいで動かない。


 観衆はといえば、許嫁のことなど忘れ、彼の強さに大きな盛り上がりを見せていた。焦る必要はない、先が長いことは最初から予想されていたことだ。私の心には不安だけが降り積もっていった。


 次の挑戦者の名前が呼び上げられる。聞き覚えのある名前に、私はドレスを握り締めた。制服姿で現れたのは、銀色の髪を持つ精悍な顔つきの青年。この国を守る騎士団の副団長、ティムだった。

 私は彼の実力をよく知っている。彼の実力が守護騎士に及ぶことはない。疲れた様子を欠片も見せない守護騎士がティムを相手に、負けることを心配する必要などなかった。


「はじめ!」


 感覚でその未来を見通していても、頭で理解することは難しかった。彼らが僅かに動くだけで、胸にチリチリと焼けるような痛みが走る。

 ティムは決して手を抜くことなく、いつも以上に慎重な動きを見せた。常に剣先がぎりぎり触れ合わない程度の距離を保ち、少し踏み込んで剣を交える。すぐさま後ろに退けば、また相手の出方を伺う。


 ティムは私が知っている彼の姿より、ずっと強くなっていた。二人の息遣いが肌で分かるほど、私は彼らの戦いに見入り、そして終わりが来るのを待った。ティムは守護騎士には勝てない。どんなに上手く立ち回ることができても、その実力差は誰の目にも明らかだった。


「参りました」


 剣が弾き飛ばされ背中を地につけたティムは、剣先を突き付ける守護騎士に両手を上げた。彼は負けを認めた。

 ティムは守護騎士に対して鬼気として何度も斬りかかったが、その刃が深く及ぶことは一度だってなかった。しかし守護騎士の鎧に傷をつけたというだけで、ここでは大きな成果である。これまで挑戦してきた人は誰も、その鎧に触れることすらできていなかったのだから。


 守護騎士の強さは本物だった。しかしそれを追いかけるティムも、実力がないわけではない。鎧に刻まれた新しい傷と、その動きを鈍らせる若干の軋み。それは彼が与えた、この国で三番目の強さの証だった。




 ティムに続いて何人もの人が守護騎士に戦いを挑んだが、誰も彼を傷つけることができないまま、既に日は傾いてしまっていた。


 守護騎士の動きに最初ほどの切れはなく、よくよく見ていればいくらか隙が見えてくる。しかし彼の実力は、その隙さえカバーできてしまう。

 観客の誰もが彼の勝利を確信し、この武闘会本来の目的を忘れていた。このまま終わってしまえたのなら。心に固く決めた信念が揺らぎ、捨ててしまった希望を再び取り上げたくなってしまう。


 引き返してはいけない。私は何も言わず、動じることもなく、次々に呼ばれて倒れていく人の姿を見守った。これは、私が決めたことだから。


「騎士団団長。ライオット」


 夕暮れで空が赤く染まる中、一人の男の名が読み上げられた。その人物は今日一番の歓声で迎え入れられ、そして私が捨てた希望を跡形もなく消してくれる存在だった。


 この国で二番目の強さを誇る人物。彼の実力は守護騎士と互角に渡り合えるほど。手負いの状態の守護騎士を相手に完璧に立ち回ることさえできれば、彼が勝利を手にするだろう。


 心臓が飛び出してしまいそうだった。汗が全身から噴き出して、今にも叫んでしまいたい。震える手を必死に握り締めて、私は笑顔で固まった。


 ライオットは正面から守護騎士に向かっていった。守護騎士の重い剣撃を耐え、さらに切り返して重い一撃を入れた。会場全体に響き渡る金属音が、そのひと振りひと振りの凄まじさを物語っている。

 何度も繰り返されるその応酬に、私の心は抉られた。しかしそれが良かったのか、すり減った感情のおかげで頭も心も穏やかに、微動だにすることなくその戦いを観戦することができた。


 守護騎士はひどく傷ついていた。鎧はボロボロ。動きの鈍くなった体は、ライオットの攻撃を防ぐことさえ難しくしていった。

 ライオットも無傷ではなかった。幾度となく守護騎士の攻撃を耐えた両腕に勢いはなく、時折ふらついてはその隙を守護騎士に狙われた。


 どちらが勝ってもおかしくはない。誰もが固唾を呑んで見守る中、最後の一撃が私にはひどくゆっくりに見えた。

 ライオットの剣先が、守護騎士の兜へと向かう。弾かれた兜の中身はなく、空になった鎧は音を立てて崩れ落ちた。


「騎士団団長、ライオットの勝利」


 鎧の塊となった守護騎士の姿に驚きを隠せずにいた観客たちも、勝利の宣言が行われた途端に、その口々から祝福の言葉が溢れていた。


「騎士団団長、ライオットの勝利を認めます。よって許嫁の地位を、ライオットへと授けます」


 私の言葉と共に、歓声はより一層大きくなった。国民の喜びで満ちた空間。誰もがこの時を待ち望み、期待していた運命の成り行き。


 私は間違っていない。


「これをもって、武闘会を閉会いたします」


 国民からの祝福の声が、私を縛る鎖を重くした。私にだけ、彼らとは見えている世界が違うような気がした。




「レイ様、おめでとうございます!」


「ありがとう」


 城へ戻っても、私への祝福の言葉が止むことはなかった。誰もが自然と笑いかけてくれる、その表情に見合うような、そんな幸せな顔を私はできているのだろうか。


「レイ様……これから明日の予定の確認を」


「ごめんなさい。今日だけは一人にしてくれないかしら」


 ただ一人、武闘会に反対していた宰相にだけ、私はつい弱音を吐いてしまった。王家の人間としての体裁さえも保つことのできない私を、彼はどう思っただろうか。


「私は構いませんが……」


 彼が心苦しそうに見つめたのは、すぐそばに立っていた騎士団団長だった。彼がいることに気付くことができないほど、私は想像以上に疲れていたようだ。

 私はすぐさま笑顔を張り付けた。もし彼が先ほどの言葉を聞いて、勘違いでもされてしまえば。


「私のことは気になさらないでください」


 彼の不安そうな表情が晴れることはなかった。彼は何一つ悪くないというのに、そんな顔をさせてしまった。


「ありがとうございます」


 私は二人に一礼し、足早に自室への道を辿った。すり減ってしまった心では、彼への申し訳なさを耐えられなかった。笑顔でいることも返事をすることもできなくなりそうで、その場から逃げるという選択肢しか浮かばなかった。



 部屋に戻れば、その片隅に守護騎士だったものが置かれていた。事前に伝えていた通り、使用人は仕事をこなしてくれたらしい。

 鈍い光を放つそれは触れれば冷たく、多くの傷が新しく刻まれていた。それはもはやただの使い込まれた鎧。


 いつから王家に仕えているのか分からない。ただ国で一番の強さを誇り、王家を守ることだけを役割とする。私が生まれた頃には既に立派な騎士だった彼は、古くに失われた魔法の唯一の生き残りだった。


 鎧を見ても、普通と違うところなどない。

 魔法を知っている人間など、もうこの世には生きていない。


 今日、彼は死んでしまった。その長い生を、私の手で終わらせてしまった。もう二度と、彼に会うことはできない。


 魔法で動く鎧人形に感情など存在しない。何度も言われ続けてきたことだけど、私はそう思えなかった。私が笑えば彼も笑ったし、はしゃぎ過ぎたときは怒っていた。寂しい時は励ましてくれたし、苦しい時は黙ってそばで見守ってくれた。彼が側にいることは私にとって当たり前で、いないことは想像もできなかった。


 泣きたくはないのに、自然と涙が溢れだした。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 私が求めた結果なのに、勝手に迷惑をかけて勝手に泣いてしまっている。本当は許されないその態度も、今の自分では抑えられなかった。


「恨んで……。私を……恨んでくれますか?」


 私は声を上げて泣いた。


 失ったものは大きかった。でもそれが大きかったから、私はずっと前に進むことができなかった。それが無くなった今、私に残された道は一つしかない。その輝く道を、皆に望まれている道を歩くために、ほんのひと時だけ立ち止まって、その失ったものの大きさを心に刻んだ。

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