ナイトメアブラック

孔雀 凌

ある日突然、目が見えなくなったらどうしますか?


『神楽、いつまで寝てるの? 学校、遅刻するわよ。今朝は神楽の大好きな、枝豆入りのスクランブルエッグを作ったのに。はやく、降りて来なさい』

遠くで、母の声が聴こえる。

僕は、重い身体をベッドから起こした。

何だか、目覚めが悪い。

起きているのに、意識が覚醒しきっていないような。

それも、そのはず。

両目の際に「ものもらい」が出来た僕は、昨夜、眼科で初めて散瞳剤というものを投与された。









「半日ほど、薬の作用で見えづらくなります」

医師から言われた通り、視界が酷くぼやけている。

もう、ほとんど、見えていないといった方がいいかも知れない。

目に映る物の全ての輪郭が認識出来ず、白く視界を濁す世界は不安を大きく募らせているだけだった。

でも、ちょっと待てよ?

医師の言葉が正しいなら、今頃は視力も回復しているはず。

まあ、いいか。

これを理由に、学校を休めるかも知れないし。

なんて、狡賢いことを考えていたけど、母にたやすく追い出されてしまった。

僕は、ふらつく身体を操りながら、歩道を辿る。

気のせいだろうか?

起床時より見えなくなっている気がするのは。









「あの」

誰かが、僕の腕を掴む。

顔や姿は、ほとんど理解出来ないが、声音から女子高生だと分かる。

ここは、普段使う通学路だから、同じ学校の生徒だろうか。

「大丈夫ですか? もう少しで、溝に落ちるところでしたよ」

彼女は僕の左手を引いて、歩道の中央と想われる場所に導いてくれた。

そ、そんなに危険な状態まで陥ってしまっているのか。

この先には、歩道橋がある。

歩行者は必ず、橋を渡らなければならず、地上は車道専用だ。

足元が見えない。

それだけではなく、周りの景色も何もかも。

歩道橋の下に着いた僕は、たどたどしい手付きで手すりを探す。

石橋を叩いて渡るという言葉が似合うような、不器用な足取りで階段の一つずつを確かめながら歩いていた。

学校は当然の如く、遅刻。

一限目が終わる頃、僕は気付いたんだ。









自分が完全に、視力を失ってしまっているということに。

この瞳は、光さえも通していない。

散瞳剤の副作用なのか?

二度と目が見えるようになることはないのか。

まだまだ、人生これからなのに、僕は一体どうすればいいんだ。

絶望する気持ちをよそに、昼休みを迎えた教室では、何かを取り巻きながら、賑わい始めていた。

「お、おい。皆、窓の下……。校門、見てみろよ!」

僕達の教室は、三階にある。

窓が解放されているのか、柔く届く風邪が悪戯に僕の頬をなぶった。

「行ってみようぜ」

生徒の一人が、皆を誘導する。









僕も誰かに片腕を握られ、強引に教室から引っ張り出されたみたいだ。

「神楽。足元、ふらついてるぞ」

「目が、見えないんだ」

階段から足を滑らせそうな僕の肩を、生徒が支えてくれる。

「え? 冗談言ってる場合じゃないって。皆に着いて行こう。校門で、事故があったみたいなんだ」

事故? そっちこそ、何の冗談だよ。

物好きばかりが集まった、このクラス。

大袈裟に仕立てあげているだけだろ。

目の見えない身体での階段の下降は、意外に体力を消耗する。

ふと、暖かい大気が全身を包み込んだ。

同時に、沢山の人の気配を感じる。









「まじ、やべーって」

「車、木端微塵じゃん。救急車は? つか、救急車来るまでに、助けた方が良くね」

「でも、あの状態じゃあ……。見てよ。私、トラウマになりそう」

生徒達が、次々に言葉を吐いている。

女生徒のか細い泣き声が、耳に届いていた。

どうやら、深刻な事態のようだ。

僕は、恐る恐る尋ねてみる。

「状況がよく分からないんだけど、車の暴走か何か?」

すると、近くにいた生徒が答える。

「ああ。ここからじゃ、少し遠いから見にくいけど、乗用車が学校内に突っ込んで来たらしい。体育で野外に出てた生徒と、運悪く鉢合わせたみたいで……。怪我人が直視できない位、酷いみたいなんだ」









僕は、手探りで現場へと近寄った。

さっき、一刻もはやい手助けがいると聞いたからだ。

「こら! お前達、何やってる。教室へ戻りなさい。」

離れた位置から、先生の叱責が響く。

僕は構わず、行動に移した。

触れた指先から、事故車が派手に横転していることを知る。

僕は膝を折って這う様にしながら、現状を確めた。

膝下で硝子の破片らしき物が、パキパキと音をたてる。

足首に激しい痛みが走った。

車内の運転手と、周辺に倒れている生徒と想わしき人物の存在に気付いた僕は、救出にかかる。

彼等は、何かで足を挟まれ、動けなくなっていた。

二人を肩に担ぎ、不安定に揺らぐ僕の全身を数人の生徒が受け止める。

「お前……、すごい度胸あるんだな」

一人の男子生徒が呟いた。

「はは」

もう、苦笑いで応えるしかなかった。

出来ることなら僕にも、救急車を呼んで欲しいけどね。

失明してるんだからさ。









『――神楽は、まだ起きて来ないの? あなたの大好きな朝食を作って、待っているのに。だから、はやく、眼を覚まして。神楽』









完.

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