報い

後藤のゴ

報い

男は古い民家の引き戸をバンバン叩く。誰かいれば生活用品を押し売りし、誰もいなければ鍵を開けて金目のものを運び出す。


「あらいらしてたのね」


背後よりかけられた声に男は声を出して驚いた。


「いきなり声かけんなよ」


この家の老婆がちょうど買い物から帰って来た。男はただ驚いただけで悪い事をしている意識はない。他の家ではよく警察呼ばれるし犬が吠えるのでこの老婆が一番の上客だ。男は用途のよく分からない便利グッズを老婆に押し売る。用途が分かればきっと便利だと。そんな男に老婆はお茶まで出してくれる。


「田島さんから買ったあれ、使い方が分かったのよ」

「へーすげえじゃん。あれって何だっけ」


老婆にとって田島は一人暮らしの寂しさを紛らわせてくれる野良猫のような存在だ。ただ、この頃餌代がかかって仕方ない。老婆は悩んでいた。


「今日はさぁ」


田島はバッグの中から新しい生活用品を取り出そうとしている。


「あのね田島さん。いつも面白いものをありがとう」

「なんだよあらたまってさ」

「そうね。ちょっと入り用が出来ちゃってね。うちも裕福ではないから。これからはせっかく来てもらってもあなたの気持ちに応えられなくなるわ」

「え、そうなの?」

「ええ。申し訳ないけど」

「まあまあ、ちょっと待っててよ」


田島はそういうといったん表へ出ていった。しばらくして玄関の引き戸にガタガタとぶつかる音がして、田島は羽毛布団一式を抱えて戻って来た。


「あのさ、これホントにいいやつ。いつも良くしてくれるから特別に安くするよ」

「あらあら、お布団なら前にも買ったわ」

「あーあれよりずっといいから。ほら、寝てみて!」

「私はあれでじゅうぶんよ」

「頼むよ……! これ買ってくれたらホント助かるんだ。俺、一生感謝するし、これっきりでもう来ないからさ」


こんな田島にも大切な相手がいた。


「……田島さん」

「よく寝てたな」


まりやは病のため病室暮らしが長引いていた。

二人は以前の職場で出逢った。田島が人生でたった一度、真っ当に生きようと働いていたときに。

当時、田島はカップ麺すらまともに買えず日がな一日お腹を鳴らしていた。狭い事務所のなかで田島の腹の音はよく響き、同僚たちの苦笑を誘った。そんな姿を心苦しく思ったまりやは田島に弁当を作ってあげるようになった。同僚の男らは田島を羨み、冷やかすようになった。なかには田島をひがむように過去の汚点を調べたり、ときには言われのない噂を立てた同僚もいた。前科があるのは事実だったし田島は無視することに努めたのだが……。


「今日も弁当作ってきたの? “まり”ちゃんいいお嫁さんになるよ。ほんと」

「そんなことないです」

「でもあんまりそうしてると依存されるよ? あいつ刑務所入ってたらしいんだ。まりちゃんに何かあってからじゃさ」


同僚がまりやにそんなことを吹き込んでいた。ばったり居合わせてしまった田島は、同僚の男を病院送りにしてしまった。そして田島は会社に居られなくなった。それから二人はプライベートで会うようになった。


ガラス張りの応接スペースからは町の様子がよく見えた。まりやのベッドは病室の入り口側なので景色が見たいときはよくここに座っている。


「まだ桜が咲いてるな」

「あれはハナミズキっていうの」

「知らなかった」

「私の好きな花」

「覚えとくよ」

「うん。……ねえ、仕事は順調?」

「そうだな。まあ色々だよ」


もちろんまりやには悪質な訪問販売をやっているとは言えない。子供の頃から誰かに嘘をついたところで何も感じなかったのに、まりやに嘘をつくと田島は胸が苦しくなった。


「約束、してほしいなって」

「え?」

「田島さんが何をしててもいい。……でも、誰かが悲しくなるような事はしないでいて」

「ああ」


自分がして来た事で誰かが悲しんだかなんて考えたりはしなかったけど、まりやだけは悲しませたくないと田島は思った。


「今度の日曜日、少しだけ家に帰れるんだ」

「そうか! フランス料理がいいか? 何が食べたい?」

「そんな高そうなお店じゃなくていい。それに、まだ何でも食べられるわけじゃないよ」

「ちょっとくらい大丈夫だ。残したら俺が食う」


後日、田島はレストランを予約した。収入が不安定な田島にはその店のランチですら支払えない金額だったが、まりやを喜ばせたい一心で決めてしまった。お金は日曜までに在庫を捌けばどうにかなると思っていた。




日曜の朝、田島は古い民家の玄関先にいた。この家にはもう来ないと決めていたが、干からびそうな財布から悪魔が這い出てきて非常事態だと囁いた。田島は昨日までに稼いだお金で指輪を買ってしまったのだ。そう、この日まりやにプロポーズするために。まりやは午前中祖父の墓参りがあるというので約束は昼からだった。戸を叩いてみたが留守のようだ。田島は慣れた手つきで鍵を開け、引き戸をゆっくり開いた。


「婆さん、いないのか?」


田島は老婆の家に上がり込み、金目のものがないかと物色する。出来れば老婆にいてほしかった。そうすればゴリ押しで物を売れた。あのお人好しの老婆なら……。


「婆さん? 電気付けっ放しじゃねえか」


田島は半開きになった襖を開けた。


「なんだよ! びっくりさせんなよ! まだ寝てたのかよ」


老婆は田島が押し売りした羽毛布団に包まれていた。


「婆さん、婆さん?」


田島は布団の上から老婆を揺すった。


「え? なあおい!」


老婆は冷たくなっていた。無知な田島にも老婆がもう眠りから覚めない事が分かった。頭が真っ白になっているとき、玄関の引き戸がガラガラと開く音がした。


「お婆ちゃーん」


田島は襖を閉めた。家族か? 老婆は一人暮らしと思い込んでいた。声の主が近づいて来る。台所に行ってくれれば鉢合わず逃げられるか? もしくは押入れに隠れるべきか? 田島があれこれと愚策を巡らすうちに襖がスーッという音とともに開いた。


「お墓参り行くんでしょ」


まさか他人が背後にいるなどと知らないこの女は、老婆の傍に進んで膝をつく。田島はいくつもの選択肢が洪水のように押し寄せ溺れてしまいそうだった。このまま物音を立てずにうまく逃げるか? 女を羽交い締めにして黙らせるか?


「お婆ちゃん、お婆ちゃん?」


女は布団の上から老婆の肩をさする。老婆に呼びかける声は次第に疑問に変わっていく。


「やだよ! お婆ちゃん!」


田島はその声、その女に見覚えがあった。


「嘘でしょ! やだよ!」


この女を田島は誰よりも知っていた。


「な、なあ……」


田島は思わず口に出してしまった。振り向いて悲鳴をあげる女の口を田島は咄嗟に塞いでしまった。その手をとめどなく涙が伝っていく。


「俺だよ。落ち着いてくれ」


女は田島の手を振り払った。


「何で? 何でいるの……」


女は男に見覚えがあった。


「勝手に入った事は認めるけどお前の婆さんだなんて知らなかったし襖を開けたらもうこうなってた! 俺がやったんじゃないんだ。俺はやってない」


女は田島を悲しいくらい知っていた。


「だから何でいるの?」

「まりや、信じてくれ」

「あなたがお婆ちゃんにガラクタとか布団売り付けた人なの?」

「そんなんじゃ、俺はただ」

「出てって!」

「まりや」

「早く! あんたなんか見たくないの!」


まりやは怒りに任せ、目覚まし時計やラジオを田島に投げつけた。田島は全身から血の気が引いていくような気持ちを初めて知った。怒った顔、怒った声、涙。田島の知らないまりやがそこにいて、こんな悲しいことがあるのかと絶望した。まりやは田島にとって生きづらくて生きづらくてクソみたいだと思ってた世界で生きててよかったと思わせてくれた天使だったのに。

田島は出て行く際、玄関の棚の上に今日渡そうと思っていた指輪を“返した”。



何処を歩いたのかも覚えていなかった。いっそのこと警察に突き出してくれたら罰を受ける事が出来てよっぽど楽になれたかもしれない。まりやに許されないという時間が田島の背中に降り積もる。重たくて凍えそうで誰かに許されたかった。何でもいい。ほんの僅かでも許しを得られるのなら、誰かの助けになることをしたいと思った。田島は駅の地下街で目に入った献血ルームに入った。迷いはなかった。受付けで案内されるままにした。血圧を測り終えるとまもなく寝台に促された。


「仰向けになってください」

「先生」

「はい」

「……俺なんかの汚れた血でも使ってもらえるんですか」


老医師は微笑んでいる。そして採血の器具を準備しながら横顔で答えた。


「ええ」


ただその言葉だけで、田島の胸のなかいっぱいに黄色い気持ちが広がっていった。愚かな男の目から涙が溢れ出ようとしていた。


「チクッとしますよ」


老医師は男の半生を察したかのように話した。


「あなたの血は、そうだな。幼稚園の男の子。それとも中学生の女の子。おやおや、不良少年か。まさかの国民的アイドルかも。いや、四人家族のお父さんかもしれない。もしくは一人暮らしのお婆さんを……いつか助けることになるんですよ」


男はどうしようもなく涙が溢れて、人前でわんわんと嗚咽した。





おわり

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報い 後藤のゴ @Takacicada

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