第23話 みぞれの日ー1
『A市再生プロジェクト』は、売れた。
効果が大きかったのは、刊行直後にC新聞に掲載された書評。次いで週刊Yにも記事が載り、さらに泉谷書店本店が大々的に平積みをしたことで、一気に専門家以外の一般的な読者層にも認知された。
「うちでお預かりした三百冊、完売しました」
泉谷書店から電話があった時には、ミュゲ書房の在庫も底をつきかけていた。
もとから千部しかなかったうちの二百冊を泉谷書店、百冊をアマソンに渡してしまい、さらに残りの七百冊は、山田さん後援会と市役所関係者の予約分でほとんど売れてしまったのだ。
千冊ずつ卸した法律、建築、政府関係の専門書店でも状況は似たようなもので、発売後一週間で、七千部を増刷した。
「リスクは犯したくないので増刷は少しずつで考えています。タイミングをみて、さらに追加発注させて頂くかと」
水沢印刷に発注がてら挨拶に行くと、全員が――といっても、社長夫妻の健司さんと真紀子さん、営業の沢木さんの還暦超え三人組と、睦子さんだけなのだが――にこやかに迎えてくれた。
「これじゃ、しばらく営業を続けないとだなあ」
最盛期には二十人ほどの従業員を抱えていた水沢印刷は、A市の衰退とともに規模を縮小し続け、もし市長たちの本の印刷がなければ、今頃は廃業している予定だったのだ。
「最後の最後に、こんなに素敵な仕事に関わらせてもらえるなんて、幸せだわ。久しぶりに昔の活気が戻って来たみたいで、懐かしい」
「睦子お嬢さんがデザインした単行本の印刷をうちでやるのって、初めてですしね」
「うん。私、すっごく嬉しかった。章君、ありがとうね」
工場の片隅に設えられた小さな事務室のテーブルで、A市名物の華園団子をつまみながらの和やかな時間。
この町で俺が関わっている人たちは、みんな優しい。仕事も軌道に乗ってきた。それなのにふとした時に、どこかしっくりこないような、自分だけがよそ者であるという感覚に襲われる。これが、本条さんの言っていたことなのだろうか。
発売後一か月近く経っても『A市再生プロジェクト』の勢いは衰えず、流通ルートの再考を迫られることになった。当初取引先としていた専門書店三店、泉谷書店本店、アマソン以外の、全国各地の書店から問い合わせが寄せられたからだ。
ここで問題となったのが、取次に取引口座を持っていないことだった。本当は一冊からでも注文に応じたいのだが、輸送コストのことを考えるとそれはできない。取次とは異なる仕組みで運営されている「取引代行会社」を使うことも考えたが、結局、今回は見送った。
色々な可能性を探ってはみたが、最終的に「十冊以上まとめての発注かつ買い取り(返本不可)」の条件であれば個人書店からの注文も受ける、という方法に落ち着いた。こうして『A市再生プロジェクト』は、全国の多くの書店に並ぶことになった。
本の売り上げと比例して、ミュゲ書房の知名度も上がった。
安藤さんの記事に加え、俺がいくつかの媒体の取材を受けたからで、HPのアクセスが伸び、一万円選書の依頼が増え、池田君の動画は絶好調(もはやミュゲ書房とは全く関係なしに人気YouTuberとしての地位を固めつつある)。さらに店にやってくる客も増えた。特に目立つのが若いカップルで、B市から電車で三十分、本好きのカップルにとってはちょうどいいデートコースらしい。
店での接客と出版関連業務に追われているうちに三月も下旬になり、町の所々で見かけるネコヤナギの銀白色の花穂が、この地方に遅い春が訪れつつあることを知らせるようになった。
その日、早朝から静かに降り続いた数カ月ぶりの雨は午後になると勢いを増し、道路は溶けた雪でぐちゃぐちゃだ。こんな日は、雪道には慣れているA市民もさすがに外出を控えるのだろう、四時過ぎにやって来た永瀬桃の他には誰もおらず、降り続く雨の音が静かに店内を満たしている。
原稿でも読むか。
安藤さんが書いた記事が週刊誌に載ってしばらくしてから、何人ものアマチュア作家がミュゲ書房に原稿を送ってくるようになった。
ずっしりとしたA4版の封筒が届くたび、「もしかして広川蒼汰ではないか」と期待したが、残念ながら今のところ、彼の原稿は送られてきていない。
相変わらずSNSやネットにその痕跡はなく、もう完全に筆を折ってしまったのか。そうは思いたくないのだが――。
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