第22話 東京で―2

 次に会ったのは上島奈々、泉谷書店東京本店でラノベ売り場を任されている二十八歳。ここでは丸山出版時代に担当していたレーベルの本がよく売れるので、何度か挨拶に来たことがあった。


「これですか、例のイケメン市長さんの本」


「ええ」


「わあ、市長さん以外も素敵ですね。それにこの、山田副市長の迫力!」


 二ページの見開きに並んだ四人の写真を見て、上島さんは笑った。


 スマートな市長・伊坂先生・本条さんに対し、山田さんは「いぶし銀」とでもいおうか、すごい存在感を放っているのだ。この写真一つとっても、山田さんに加わってもらって良かったと思う。本に個性が出た。


「でも、私が頂いちゃっていいんですか? ノンフィクション担当に渡しておきましょうか?」


「お気遣いありがとうございます。でも、上島さんに読んでもらいたいんです。それでもし良い本だと思ったら、ノンフィクション担当の方に紹介して頂けると助かります」


 上島さんはラノベだけではなくあらゆるジャンルの本を読み、その選書能力は泉谷書店随一と評判だ。俗にいうカリスマ書店員。彼女の元には日々、各社の営業担当が見本を持ち込む。面識のない店員に渡すより、上島さんに読んでもらう方がずっと効果的だろう。


 それから半日かけて、俺は大手書店チェーンの本店、そして選書に力を入れている小規模書店をいくつか回り、無料で『A市再生プロジェクト』の見本を配った。


 反応がいい店もそうでない店もあったが、いずれも発注には至らなかった。

 ミュゲ書房は地方の小規模書店、それも今回初めての出版というのだから、しり込みするのも当然だろう。それは想定済みだ。だが実際に読んでみれば、彼らのうち何人かは発注をかけたくなるだろうし、C新聞に書評がのれば、さらにその数は増えるはずだ。



「これは、皆さんに」


 俺は手元に残った三冊を差し出した。

 最後の訪問先は西東京ビル三十階の瀬尾法律事務所、会議室。伊坂先生が所属している事務所で、同じビルの四十階には本条さんが勤務するS&Yもある。


 テーブルについているのは伊坂先生、本条さん、そして週刊Yの記者である安藤さん。安藤さんは市長が当選した時から何度か記事を書いており、今回も著書のことを掲載してくれないかと、俺から連絡を取った。それで、ここで会おうということになったわけだ。


「感動しますね」


 山田さんと同じく今回が初めての著書となる本条さんは、机に置いた本のページをゆっくりと丁寧にめくっている。

 自分の本を出すというのは、フィクション、ノンフィクション問わず、著者の頭にある思考を形にして世に問うということで、それは特別なことなのだ。


 広川蒼汰にもこの気持ちを味わわせてやりたかった。


 今頃、どこで何をしているのか。執筆には見切りをつけ、普通に会社員としての日々を送っているのだろうか。


「宮本さん、いい仕事をされましたね。あの二人に一緒に書かせようとは、私なら考えもつかないですよ。大変だったでしょう? よくやりましたね」


 安藤さんは、無精ひげが特徴的な顔をほころばせた。


「ありがとうございます。ところで安藤さん、電話でお伺いした記事の件ですが」


「もちろん掲載しますよ。これまで佐伯市長の記事は評判が良かったので、簡単に編集長の許可が取れました。宮本さんのことも書きたいんですが、いいですか?」


「私ですか?」


「そうです。『市長の地元である過疎地の小さな出版社が初めて作った本』というストーリーは印象的です。編集者の宮本さんは二十八歳の若き書店主、それにミュゲ書房の雰囲気も良さそうですし、読んだ人が応援したくなるような記事を書きたいな。来週あたり、取材に伺っていいですか?」


「もちろんです。よろしくお願いします」


「ありがとうございます。うちでの記事掲載は、C新聞に書評が掲載された直後にしましょう。結果の連絡は?」


「今日の七時です」


「あと一時間か。三人は、この後の予定は?」


 伊坂先生がきいた。


「特には」


「じゃあ、食事でもしながら待ちます? 伊坂先生、友里ちゃんのお迎えは?」


「八時で大丈夫。今、保育園に電話してくる。本条君、先に上、行ってて」

 


 本条さんが案内してくれたのは同じビルの五十階にあるラウンジで、フロア全体がガラス張り、眼下には夕暮れの東京が広がっていた。


 西東京ビルは複合商業施設で、企業だけでなく、保育園、各種クリニック、スポーツジム、レストラン、さらには高級マンションまで、実に多くのテナントが入っている。いかにも東京らしい場所だ。A市はおろか、隣のB市にもここまでの施設はない。そう思ったら、ふっとため息が出た。 


「宮本さんは、東京が恋しくなりませんか? 生まれも育ちも東京でしょう、田舎の生活って、都会育ちの人にとっては馴染むのが大変だと聞きます」


 本条さんは鋭い。この二日間、書店巡りをしながら取り残されたような感覚に陥ることが何度かあった。


「そうですね……これまではミュゲ書房の経営を軌道に乗せるのと出版で気が紛れていましたけど、この先、東京に戻りたくなったりするんですかね」


 思いがけず、正直な気持ちを吐露してしまった。


「そうなったら、戻ってくればいいですよ。丸山にいた経歴と『A市再生プロジェクト』をヒットさせた実績があれば、たいていの出版社は宮本さんを欲しがるでしょう。これまでよりもっと大きな仕事ができるんじゃないかな。うちの書籍部も大歓迎だと思いますよ」


 安藤さんはこともなげにいうが、はたして本当にそうだろうか。東京に戻ってやり直すことが、俺にできるのだろうか。


 その時、スマホが鳴った。相田だ。選書委員会の結果は――。

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