第21話 東京で―1 

 半年ぶりに見た東京は、何も変わっていなかった。


 埃っぽい空気、人があふれる街並み、灰色のビル群。もっと違和感を覚えるかと思ったがそんなことはまるでなく、休暇でほんの短期間A市に滞在して戻ってきたばかり、これから出社してたまった仕事を片付けなくては――そんな錯覚にとらわれた。


 雑然としたカフェで席を見つけて落ち着くと、俺は『A市再生プロジェクト』を取り出した。


 装丁は、海の青とも空の青ともつかない水色のグラデーション。そこに白抜きで大きく『A市再生プロジェクト』と表題があり、さらにこちらも白で、手書きの市街地図が表の下半分から裏全面にかけて描かれている。本条さんがプロジェクト開始前に資料として書いたスケッチで、躍動感のある線がこの本の雰囲気にぴったりだ。


「宮本?」


 声をかけられ顔を上げた。テーブルのすぐ横に立っていたのは相田智史。大学の同期で新聞社に勤めている。


「久しぶり。悪いな、相田。忙しいのに」


「今は文化部だからそうでもない。それよりお前、スーツ珍しいな」


 相田は向かいの席に腰を下ろした。


「営業用」


「書店まわり?」


「ああ」


「大変だな。丸山にいた時は営業、ほとんどしてなかっただろ? 地方の書店主に転身したって聞いて、忘年会でゼミの連中驚いてたぞ。しかも出版までやるとは、お前の人生、予想外の方向に進んでるな。で、例の本は?」


「これだ」


 俺は手にしていた『A市再生プロジェクト』を相田に差し出した。


 相田は黙って受け取ると表紙をしばらく眺めていたが、やがて本を開き、目次、そして奥付を見た。


「デザインは――水沢睦子か。売れっ子じゃないか。よく引き受けてくれたな」


 相変わらず情報通だ。学生時代からなんでもよく知っていて、新聞社に就職を決めた時は、相田ならぴったりだと思ったものだ。

 相田が勤めるC新聞は発行部数第一位を誇る全国紙で、その書評欄には定評がある。そこで俺は、市長たちの本を取り上げてもらえないかと相談したわけだ。


「彼女はA市在住で、つてがあったんだ」


 水沢睦子――睦子さんは、印刷を担当した水沢印刷の娘で三十代半ば。水沢印刷で受注したチラシや名刺のデザインをこなしているうちに評判が広まり、今では、地方在住ながら有名作家からの依頼が後を絶たないほどの売れっ子ブックデザイナーになった。


 睦子さんは『A市再生プロジェクト』の原稿を読み込み、市長をはじめとする何人の関係者に会い、デザインのイメージを固めていった。


 彼女が最終的に提案してくれたデザインは五つ。

 その中から、最も読者を惹きつけそうなものを俺が選んだ。編集者としてやりがいを感じる仕事の一つだ。そして睦子さんはさらに微調整を重ね、ようやく今のデザインが完成した。センスはもちろんだが、その仕事の丁寧さこそが、彼女が多くの編集者や作家に支持される一番の理由だろう。


 睦子さんのアイディアで、最初の数ページには、海と山に囲まれたA市の全景、プロジェクトに登場する主要な場所や建物の写真、さらに関係者――著者の四人だけでなく、市役所職員をはじめとする多く――の写真と略歴を載せた。


 誰がどんな役割でプロジェクトにかかわったのかがリアルに伝わり、しかもどの写真も笑顔で好感度が高く、読者をあっという間に引き込む。判型は四六版、ソフトカバー。本来であればハードカバーで出したかったが、価格を二千円に抑えるために諦めた。


 十分ほど経っただろうか、パラパラとページをめくり、たまに手を止めてじっくり読んでいた相田は目を上げた。


「すごいじゃないか。面白い。選書委員会、いけるんじゃないかな。もし書評対象に選ばれたとして、掲載は早くて一か月後の二月下旬だけど。それでいいか? ――っていうかお前、もう本ができてるのに、発売までずいぶん時間かけるんだな。普通は見本が仕上がってから一週間程度で書店に納品、発売開始だろう?」


「丁寧に売りたいんだ」


 これは良書だ。無理をきいて共同執筆に応じてくれた市長と山田さんのためにも、できることをすべてやってから発売したい。


「そうか。まあ本来であれば、出版社は取次の配本任せにせず、もっと営業に力を入れた方がいいんだろうけどな。選書委員会は五時からだから、結果がわかるのは七時すぎだ。悪いな、これくらいしかできなくて」


「いや、助かる。ありがとう。選書委員会にかけられる本は何冊?」


「五十冊。選ばれるのはそのうち五冊」


 確率十分の一、か。悪くない。きっといける。

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