第20話 『A市再生プロジェクト』、完成
「もう十二月。そろそろ
窓の外の吹雪に目をやりながら菅沼さんが両手でそっと掲げたオーナメントを、俺は脚立の上から受け取った。深い青に白銀色のトナカイが描かれたガラス玉。ばあちゃんのお気に入りで、ドイツ旅行で見つけたものだ。
クリスマスが大好きだったじいちゃんとばあちゃんは、毎年十二月になると塔の部屋に高さ三・五メートルの大きなツリーを飾るのが恒例で、その習慣を俺たちが引き継いでいる、というわけだ。
俺の下では池田君が、ジンジャークッキーをツリーの枝に紐で結わえている。サンタクロース、雪の結晶、トナカイ、天使。それらすべてに透き通った赤、緑、黄色、水色の飴がはめ込まれていて、光に透ける様はまるでステンドグラスのようだ。
「まま、みて! くりすます!」
いつもより遅い時間にやって来た絵恋ちゃんが、歓声を上げた。
「きれいだねー。……あら、これすごい。見てごらん。全部クッキーだよ。キラキラがはめ込んである」
「うわあ」
「どうやって作ったんですか?」
紗耶香さんが、黙々と作業を続けている池田君にきいた。
「クッキーを焼くとき、生地をくりぬいた部分に細かく砕いた飴を置くんです。そうすると焼いているうちに飴が溶けて、冷めたら固まります」
「へえ。面白いですね」
「まま、つくって」
「うーん、お家で作るのは難しいわねえ。オーブン、ないし。ごめん」
「やだ。つくる」
「無理よ」
困った様子の紗耶香さんを見かねて、菅沼さんが池田君に声をかけた。
「まだ作るんでしょ? ついでに教えてあげれば?」
「そうだ、それがいいよ」
俺も応援。
「授業料、お支払いします」
「いや、いいですよ、そんな。型抜きとかの作業を手伝ってもらえれば、僕も助かるし」
「でも」
「じゃあ、代わりに本を一冊買ってもらえば? レシート一枚がお菓子教室のチケット。どう? 章君」
さすが菅沼さん、抜かりない。いい思い付きだ。
「いいですよ」
「……じゃあ、お願いしちゃおうかな。売り上げにも貢献できるし」
こんな感じで気軽に始まった池田君のお菓子教室は、予想外の大盛況になった。
紗耶香さんと絵恋ちゃんが持ち帰ったステンドグラスクッキーは、彼女たちの家のクリスマスツリーに飾られた。それを遊びに来た複数のお友達母子が見て、「私たちも作りたい」とミュゲ書房に問い合わせが寄せられた。彼女たちの依頼に応じてすぐに第二回目、第三回目の教室が開催され、池田君のお菓子教室は口コミでどんどん広まっていった。
お菓子作りだけでなく、池田君の精悍なルックスと爽やかで優しい性格も、女性たちに大好評だったのだ。
「章さん、受講希望者が多すぎて材料費が足りなくなりました。徴収していいですか?」
「もちろん」
そういうわけで四回目以降は、ミュゲ書房で本を購入したレシート一枚の他に、材料費五百円をもらうことになった。それでも受講希望者は増えるばかり。
「クリスマスまでの申し込みはもういっぱいです。あとは一月で良ければ参加してもらって、それ以外は断ることにします」
シュトレンを食べながら、池田君は残念そうだ。期待に応えられず申し訳ないと思っているのだろう。
「そうか。仕方ないね」
俺は紅茶を一口飲んだ。
池田君のシュトレンは洋酒に漬けたドライフルーツとナッツ、それにスパイスがたっぷりで、濃い目に淹れたダージリンとよく合う。
「はい……。作り方の動画はアップしたので、それを参考になんとか自作してもらえればと思います」
「すごいんですよ、動画」
それまでシュトレンを黙々と食べていた永瀬桃が「ほら」、と差し出したノートパソコンの画面を見ると、「ステンドグラスクッキー。初級編、中級編、上級編」のサムネイルが表示されていた。
「この上級編のアクセス、もう五万回ですよ」
「つい力入れて作っちゃったんですよね」
池田君がいうだけあって、動画のクッキーは実に精巧で美しく、仕上がるまでの過程に惹きつけられる。実物はすでに見ていたが、作る過程の面白さはまた格別だ。
「すごいな。池田君、専業ユーチューバーになれるんじゃない?」
「無理ですよ。広告収入は微々たるものです。生活できません」
「そうか――でも、おかげでミュゲ書房に活気が出た。普段来店しない人たちがお菓子教室のために集まってくれて、チケットのために本まで買ってくれた。十二月はこれまでで一番売り上げがいい。一万円選書の依頼も増えてきたし、すごく助かったよ。ありがとう」
動画に張られたリンクからミュゲ書房を知った、というお客さんから寄せられた選書依頼は十二月初めの週に一人、次の週に三人、そして今週は八人と、どんどん増えている。永瀬桃はどの依頼も短時間でこなし、「お小遣いが稼げて嬉しい」と顔をほころばせていた。
最初に約束した通り依頼一件につき千円を支払っており、彼女は今月、一万二千円を稼いだし、赤ちゃん選書を気に入った伊坂先生からは「二か月に一度、一万円分を選書して送って欲しい」と定期購読のような申し込みまであったのだ。
「出版の方はどう? 章君、市長と山田さんの間に挟まって大変そうだったわよね」
菅沼さんの質問に俺は苦笑した。二人は十一月初めから改稿に取り組み始めたが、意見がぶつかることはしょっちゅうで(というか、意見が合うことがほとんどない)、そのたびに俺は市役所に出向いて二人の言い分を聞き、仲裁しなくてはならなかった。
「市長は本当に頑固ですな!」
「山田さんこそ」
「今日はどうしたんですか」
「おお、章君。聞いてくれ、市長が……」
大の大人、しかも市長と副市長が子どものように言い争っている場面は、なかなかの見ものだったが、それでも原稿は期待していた以上に良い方向に進んだ。
山田さんは生まれてからずっとA市在住で、この町のことを実によく知っている。もちろん親戚や友人知人も多い。それに対し市長は高校入学と同時にA市を離れ、戻ってきたのは二十年経ってから。もちろんA市のことはほとんどすべて把握しているが、多くがデータ上のもので、山田さんの知識とは質が違う。だからこそ、山田さんが共著者に加わる意味は大きい。
市政の方針をめぐっては市長に負けてしまったが、それでもなお、A市を代表する人物であることに変わりはないのだ。改稿が進むにつれ『A市再生プロジェクト』の内容は厚みを増していった。
そして十二月初めに脱稿、クリスマスにゲラが上がり、三度の校正を経て一月下旬に『A市再生プロジェクト』は完成した。
「自分の書いたものがこうして本になるなんて――」
山田さんは『A市再生プロジェクト』を両手で捧げ持つようにして、固まってしまった。この人の、こういう感情豊かなところが俺は好きだ。
「形になると、苦労が報われますよね」
市長はパラパラとページを繰りながら、いつもの笑顔。
「お二人ともありがとうございました」
本当によくやってくれた。
「発売は来週あたりですか?」
「いえ、少し営業に時間をかけてからと考えています。HPやSNSでの告知、それから東京の大手書店もまわります」
「頑張りますね」
「きちんと売りたいですから」
丸山出版にいた頃は、営業活動にほとんど関知していなかった。営業部がやってくれていたのだ。もっとも、実務書もライトノベルも流れ作業的に刊行しており、よほど有名な著者でなければ大した営業活動はしないのだが。
レーベルのこれまでの売り上げ実績のデータに基づいて取次が配本する仕組みが出来上がっているので(逆にいえば、売り上げ実績のないレーベルが本を出しても取次は少ししか引き受けず、配本数は少なくなる)、地道な営業活動が功を奏することは、それほどないのだ。
「目標は?」
「三万部です」
ノンフィクションでベストセラーといわれる数字だ。
「そんなに?」
「はい。市長もおっしゃっていたように、初版四千部はよほどのことがない限りさばけるでしょう。でも目指すのはその上です。でないと、山田さんに著者に加わってもらった意味がありませんから」
必ず売ってみせる。
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