第18話 説得
午後三時半。入口のところで市長たちが来るのを待っていると、菅沼さん、池田君、永瀬桃が集まってきた。
「いよいよね」
「山田さんと市長の説得、頑張ってください」
「うん」
「僕はキッチンにいますから、険悪な雰囲気になったら呼んでください。山田さんがお好きな栗羊羹、差し入れします」
羊羹とコーヒーの組み合わせは、山田さんはじめ年配の常連さんたちに大人気なのだ。
「うん、よろしく」
「私はカウンターで山田さんを待つわ。市長たちより十五分遅れていらっしゃる予定なのよね?」
「そうです。いらしたら、サンルームにお通ししてください」
「了解」
「章さん、もしかして緊張してます?」
「なんで?」
「笑顔がこわばってます」
「そう?」
永瀬桃に指摘され、思わず頬に手を当てた。
「自信ないんですか?」
彼女は口数が少ないが、ききたいことがある時は直球だ。
「ない」
できるかぎりの準備はした。だがそれがあの二人に通用するかどうかは、また別の話だ。
俺はこの一か月の間、山田さんと市長たちの原稿に赤入れをし、言い回しなどの細かな部分を修正してきた。四人とも作業ペースは速く、それぞれがつい先日、脱稿した。
今後の見通しとしては、山田さん自伝は上中巻の改稿に入り、『A市再生プロジェクト』は表紙や全体のレイアウトとゲラ刷りを行う。山田さんと市長に一緒に原稿を書いてもらうのであれば、今日ここで軌道修正をしないと間に合わない。
前もって根回しをすることも考えたが、どちらに先に話したかで意地を張られても困るし、結局、関係者全員が揃っているところで説得しようと思ったわけだ。
「皆さんには、初稿から完成度の高い原稿を出して頂いて助かりました。このあとは装丁や全体のデザインを決め、さらにゲラ刷りへと進む予定です」
市長、伊坂先生、本条さんを前に一通りの説明を終えたところで、壁掛け時計を見た。三時十五分ちょうど。そろそろだ――そう思った時、ノックの音がした。
来た。
「どうぞ」
ドアが開き、顔をのぞかせたのはもちろん山田さん。
「おや? 皆さんお揃いで」
怪訝そうな顔。
「章君、早かったかな?」
「いえ、大丈夫です。お待ちしていました。こちらにどうぞ」
俺は立ち上がり、山田さんに着席を促した。
「どうぞって……まだ打ち合わせの最中だろう? あっちで待つよ」
「そうおっしゃらずに」
山田さんの後ろのドアを閉め、半ば強引に自分の隣の席をすすめたところで、市長からの質問。
「宮本さん、これは一体どういうことでしょうか?」
さすがに笑顔は消え、真顔だ。口調もいつもよりきつい気がする。
「実は、山田さんと市長にお願いしたいことがあります」
「山田さんと私に?」
「市長と私に?」
二人の声が重なる。そして俺に向けられる四人のいぶかしげな視線。
怯むな、淡々と説明するんだ。
「はい、お二人に。事前にお伝えせずにおりすみません。皆さんお揃いの場でお話しさせて頂くのがいいと思ったので――とりあえず、おかけになって頂けませんか」
山田さんはようやく席に腰を下ろした。
「話は聞くが、応じられるとは限らんよ」
「私も同じです」
「はい、それは理解しています。すでにご存じの部分もあるかも知れませんが、簡単に状況を説明させて頂きます。
現在私は、山田さんの自伝とA市再生プロジェクトの本、二冊の編集に携わっています。山田さんの自伝は下巻の十万字、A市再生プロジェクトは全体の改稿が終わった段階です。
両方とも素晴らしい仕上がりで、このままでも十分です。ですが編集の目から見ると、「自費出版の自伝」と、「専門家のための実務書」だけで終わらせるのは惜しいんです。
二冊とも主要テーマは地方の再生で、広い範囲の読者に読んでもらいたい、そう思える内容です。そこで思いついたのが――正確にいうと、市長と山田さんが原稿を読んでもらった永瀬桃さんの思い付きですが――A市再生プロジェクトに、共著者として山田さんも加わってもらい」
「嫌だ」
「嫌です」
二人は揃って俺の話を遮った。山田さんは苦虫を噛み潰したようなというのがぴったりの表情で、市長も眉間に皺を寄せている。予想はしていたが取り付く島なしか。思わずため息が漏れた。伊坂先生と本条さんはやれやれ、という様子で顔を見合わせた。
このまま説得を続けることもできるが、一呼吸置いた方が良いだろうか。栗羊羹か――その時。
「まあ、そう頑なにならずに。話くらい聞いてみては?」
まさかの助け舟を出してくれたのは、伊坂先生だった。
「私も興味があります。せっかく本を出すなら、多くの人に読んでもらえる方が嬉しいし。もし山田さんに加わってもらうとしたら、どんな構成にするんですか?」
さらに本条さんの穏やかな笑顔にも背中を押された気がし、俺は話を続けた。
「共著にする場合も、それぞれの良さを損なわないように細心の注意を払って編集します。冒頭の十ページだけ、私がお二人の原稿を組み合わせました。ただ、これはあくまで見本です。本は著者のものであるべきと私は考えています。ですので、編集としてこうしたい、こうした方がいい、という提案はしますが、最終的には著者である皆さんの判断に従います。これがサンプルです」
原稿を手にした四人がそれぞれ、じっくりと目を通していく。壁にかかっている振り子時計の音がやけに大きく響く。
「――いいんじゃないですか?」
最初に原稿から目を上げ、笑顔を見せたのは本条さんだった。
「山田副市長が書いたものが加わると、A市の歴史や背景、郷土愛みたいなものが感じられて好感度が上がります」
「私もそう思います」
伊坂先生も好意的。
「じゃあ本条さんと伊坂先生は」
「賛成、ですよね?」
本条さんの問いかけに伊坂先生は頷いた。
「残りの部分もこういう形であれば、という条件付きですが」
「それはもちろんです」
「市長と山田さんは……」
恐る恐る二人を見ると、山田さんの表情は和らいでいた。
「驚いたよ。私と市長の原稿をこんな風に組み合わせようとは。章君は、いい編集者なんだなあ」
「では」
「悪くない思い付きだ」
やった。
「市長はいかがですか?」
「私は気が進みません。今から直すのは、正直負担が大きい。これから市議会も始まるし。たしかに面白くはなりそうですが、改稿の手間を私に強いるには説得力が足りないかな」
こちらは手強い。
「おっしゃることはごもっともです。それにお二人だけでなく、伊坂先生と本条さんにも部分的に修正して頂く必要が出てくると思います。そういうわけで、共著案を呑んで頂く場合は、印税をスライド方式に変更でいかがでしょうか」
今度は四人に書き直した契約書を配る。市長は情に流されず合理的な判断を下すタイプだというのは、これまでの付き合いで感じてきた。だから俺は、交渉条件として具体的な金額提示を選んだ。
「章君、スライドって……印税を変動させるのか?」
「はい。A市再生プロジェクトの印税は、当初十%固定の契約でした。もし皆さんに共著案で賛成して頂ければ、初刷四千部については十二%、一万部を超えた場合に十七%、さらに十万部を超えた場合に二十%に上げる、というのでいかがでしょうか」
「――思い切りましたね」
やっと市長に微笑が戻った。
「はい。『A市再生プロジェクト』にはどうしても市長と山田副市長の共著部分を加えたいんです。良い本を多くの人に届けることは、出版の大切な使命です。社会的意義があります。山田副市長が執筆に加われば、それが可能になると考えています。どうかその点もご考慮頂けませんか。恥ずかしい話ですが、編集としてこういう気持ちになったのはまだ二回目です。なんとしても、形にしたいんです」
「市長。いい加減にうんといったらどうです。相変わらず頑固ですな」
山田さんに促され、市長は小さく溜息をついた。
「わかりました。では山田さんにも著者に加わってもらい、私の担当箇所は大幅に加筆修正しましょう。全体の構成については宮本さんの提案に従います」
勝った――といったら、大げさだろうか。だがこの二人を説得できたことは、俺にとっては久しぶりの大きな達成感だった。
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