第17話 書店と取次、出版社と取次

 コン、コン、コン。


 入口のドアをノックする音ではっと我に返った。壁にかかっている振り子時計を見ると、十時十分。まずい。開店時間を過ぎている。急いでドアを開けに行くと、外には紗耶香さんが絵恋ちゃんを抱っこして立っていた。寄せ合った二人の頬がピンクに染まり、吐く息が白い。地面には早朝に降った初雪がうっすらと赤紫色の落ち葉を覆い、きんと冷えた外気は冬の匂いがする。


「いらっしゃいませ。すみません、お待たせして」


「ううん、ほんのちょっとの間よ。気にしないで」


「おはようごじゃいまちゅ」


「おはよう。ごめんね、絵恋ちゃん。寒かったね――ココア、飲む?」


「うん!」


 じいちゃんとばあちゃんが大好きだった冬の飲み物。昔よく作ってもらったことが懐かしく、秋が深まった頃からキッチンの棚にインスタントのココアとマシュマロを常備するようになった。ばあちゃんはココアパウダーと牛乳で作っていたし、もちろん池田君もそうしてくれるのだが、俺一人で飲む分には簡単なのが一番だ。


「おいちい」


 両手でカップを持ち、ソファにちんまり座った絵恋ちゃんがにいっと笑った。口の周りにマシュマロの髭。紗耶香さんがそっと指で拭ってやる。


「良かったね、絵恋」


「うん」


 紗耶香さんは自分のマグカップをテーブルに置くと、トートバッグから出したファイルを差し出した。


「はい、これ。来月分の選書です」


「ありがとうございます。いつもすみません」


 紗耶香さんは毎月、刊行予定の絵本リストの中から良さそうな本をリストアップしてくれるのだ。俺はそこからさらに検討して取次に発注をかける。紗耶香さんだけではない、他にも何人か選書を手伝ってくれる常連さんたちがいる。ミュゲ書房の仕入れは、彼らの力を借りているのだ。


 出版不況といわれる現在でも、新刊書籍の刊行は年間約七万冊、文学と児童書に絞っても約二万冊あり、その中から的確に選書して発注することは不可能に近い。そこでじいちゃんとばあちゃんは、各分野に詳しい常連さんに選書を頼むようになった。


 いくら常連さんと距離の近い店とはいえ、お客さんにここまでさせているとは驚いたが、ミュゲ書房を引き継いで数か月が経った今、実に理にかなったシステムだと思う。


「選書、楽しいんですよ。これからどんな本が出るのかなって、わくわくします。でも、仕入れてもらっても私が買う本はごくわずかなのに、読み聞かせで使わせてもらって。すみません」


「購入については気にしないでください。それより、紗耶香さんや他のお客さんが好きそうな絵本を選んでもらえるメリットが大きいですから」


 紗耶香さんに限らずみんな選書を楽しんでいる様子だし、こちらはミュゲ書房で潜在的な需要のある本を仕入れられる。そのおかげで、ミュゲ書房の返品率は約二割、平均といわれている四割の半分に収まっている。


 基本的に、書店は取次から本を仕入れる。日本の出版業界では一般的に、取次が出版社から仕入れた雑誌と書籍を書店に卸す仕組みになっているからだ。


 特に大手取次では「自動配本」というシステムを持っており、出版社から仕入れた本を、取次独自の判断で全国各地の書店に配本する。書店がいちいち発注しなくても自動的に毎日本が届けられる、という仕組みで、刊行点数が多く手作業での選書が難しい現状、このシステムはとても便利だ。しかし、返品が多くなるという欠点がある。なぜなら不要な本も混ざって来るからだ。さらに、小規模書店にはベストセラーなどの売れ筋はほとんど配本されないという大きな問題もある。


 なぜこんなことが起こるのか?


 それは、売れ筋の本は販売力のある書店に優先的に配本されるからだ。そうすると、おのずと大規模書店に配本が集中することになる。小規模書店が自動配本に頼らず発注(指定配本という)すればよいのではないか? と思うが、その方法は上手くいかないらしい。


「二十冊予約したのに、入荷は三冊だけなのよ。嫌になっちゃう」


 ばあちゃんが愚痴っていたのを覚えている。多くの小規模書店は、「売れるとわかっている本を思うように仕入れられない」というジレンマを抱えているのだ。


 そういうわけで、じいちゃんとばあちゃんは自動配本に頼ることをかなり早い時期に諦め、ベストセラーよりも個性的な品ぞろえを重視した。その結果が常連さんたちによる選書と指定配本であり、個性的な品ぞろえというわけだ。


「ミュゲ書房は居心地がいい」、「他の書店と品ぞろえが違う気がする」「思わぬ本との出会いがあって楽しい」――常連さんたちはこういってくれるが、ミュゲ書房をこういう店に育てたのは、実は彼らなのだ。



「むかしむかし、あるところに……」


 塔の部屋から読み聞かせの声が聞こえてきた。それを合図に俺は、出版関係の資料を整え始めた。今日の午後、久しぶりに市長たちが打ち合わせのためにやって来る。そして山田さんも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る