第16話 ミュゲ書房のウェブサイトと永瀬桃の意見

「章さん」


 永瀬桃の声に、俺は顔を上げた。


「お茶の準備ができましたって、池田さんが」


「そう。今行く」


 席を立ち、彼女の少し後ろをついてサンルームに向かう。


「ウェブサイトとSNS、これから見てもらいたいって」


「楽しみだな」


「なかなかいい感じです。一人ずつ連載を持つことにしました」


「へえ」


「章さんの分もありますから」


「俺も?」


 永瀬桃が振り返って俺を見上げた。


「はい。タイトルは『書店主の呟き』です。内容は自分で考えてください」



 俺たちは、池田君と彼のノートパソコンを囲むようにしてテーブルについた。ウェブサイトの作りは、ごくシンプル。若草色と白をメインに使ったデザインで見た目はすっきり。トップページにはミュゲ書房の情報と各自の担当ページ、SNSと動画サイトへのリンクがあるのみだ。


「章さんの担当はここ、『書店主の呟き』です。SNSにリンクを貼ってありますから、毎日何か呟いて下さい。僕たちはそれぞれ、『一万円選書』『今週の庭』『本の中のお菓子と料理』が担当です」


 池田君が『一万円選書』をクリックすると、簡単な説明と申込フォームが表示された。


「まずいくつか質問に答えてもらって、それで、できるだけ好みに合わせた選書をできるようにと考えました」


「質問は三つだけです。好きな作家、思い出に残っている本、本を読んでどんな気持ちになりたいか」


 横から、永瀬桃。


「うん、複雑すぎなくていいね」


「ありがとうございます。それと一つ、お願いしてもいいでしょうか」


「なに?」


「選書、私だけで難しい場合は、皆さんも相談に乗って頂けませんか? 本は沢山読んでいますけど人生経験が不足しているので、上手く選べないこともあるんじゃないかと思うんです」


「この間、あんなに見事にこなしたのに?」


 菅沼さんと池田君も、意外そうに永瀬桃を見た。


「あれはたまたまです。得意分野だったというか……」


「得意? 仕事に就いた経験はないのに?」


「ええと、おかしなこといいました。ごめんなさい。得意っていうわけではなくて……」


 耳が赤くなっている。困らせてしまったか。


「もちろん手伝うから安心して。菅沼さんと池田君も、必要に応じてサポートしてもらえたら助かります。その場合は報酬、等分してお支払いするので」


 二人はうなずき、永瀬桃はほっとした表情を見せた。


「良かった。ありがとうございます」


「では次に『今週の庭』です。菅沼さん」


 池田君が画面をクリックすると、垣根をつたう山ぶどうの写真が表示された。黒くて小さな実の連なり、そして橙にところどころ赤紫と緑が混ざった鮮やかな紅葉は、印象派の絵画を思わせる。


「はい、これは文字通り、ミュゲ書房の今週の庭を写真と短い文章で伝えるページ。でももうじき雪が降るでしょ、冬の間はどうしようかしら」


「雪景色を載せておけばいいと思います。北海道らしくてきれいだから」


「いいですね」


「私も良いと思います」


「そう? じゃ、そうしよう。たまに雪だるまでも作って飾ろうかしらね」


「では最後に、僕のページを」


 池田君は「本の中のお菓子と料理」をクリックした。すると動画サイトが開き、再生が始まった。


「……」


 画面に登場した林檎の赤に目を奪われた。映っているのは調理をする池田君の手元。しゃりしゃりと小気味よい音を立てながら、リンゴの皮が剥かれていく。徐々に現れる果肉の白の、なんと瑞々しいことか。


「撮影、ここだよね?」


「はい。キッチンの窓から入る光がちょうど良くて、きれいに撮れるんです。カメラも結構いいの使ってますけど」


「池田さん、センスいい!」


 永瀬桃が手を叩いた。


「そう?」


「うん。私もそう思う。ずっと見ていたくなるもの。それにお料理する音って癒される。自分で作ってるときは何とも思わないんだけど」


 菅沼さんのいうとおりだ。池田君の動画は音楽を使っておらず、その分、リンゴを切ったり卵をかき混ぜたりするリズミカルな音が心地よく印象に残るのだ。


 動画のタイトルは「タルト・タタン――『タルト・タタンの夢(創元社推理文庫)(※)』より」。他にもいくつかあって、「カスドース――『まるまるの毬』(※)より」、「ホットケーキ――『しろくまちゃんのホットケーキ』(※)より」など、これまでおやつに作ってくれたメニューが並んでいた。


「読み聞かせや読書会とこの動画を組み合わせられないかな――いや、いっそのことカフェスペースを広げて日常的に提供してもいいかも」


「考えてみます。出版の時期に向けて、ウェブサイトを充実させていけたらいいですよね」


「うん」


「桃ちゃんは原稿、もう読んだのよね? どうだった?」


「山田さんの自伝、もう読んだの?」


「はい、山田さんのだけじゃなく市長さん達のも」


「え? どうやって――」


 戸惑う俺に永瀬桃は淡々と説明した。


「山田さんの原稿を返しに副市長室に行った帰り、廊下で市長さんに会ったんです。それで山田さんの自伝の話になって、『良かったら私達のも読んで感想を頂けませんか』って、市長さが原稿を。山田さんは、『市長の本は実務書だから、桃ちゃんが読んでも退屈だと思うよ』って言ってましたけど」


「――感想は?」


「山田さんの自伝は、上中巻は退屈でした。でも下巻はすごく面白かったです」


「市長たちのは?」


「素晴らしかったです。まったく予備知識のない私でも興味を持って最後まで読めました。新しい仕事に情熱を持って取り組んだ過程が描かれているからだと思います。実務書としてだけでなく、ノンフィクションとして広い層に受け入れられる可能性があると思いました。でも」


「でも?」


「全体的にスマートすぎるというか、そつがなさすぎる印象はうけました」


「あれは実務書だから、その印象で正解なんだ」


「はい、それはわかっています。でも単に実務書として終わらせるのは、もったいないです。より広い読者を想定するできると思うんです。そのためには、もっと人間味を感じさせる何かが必要じゃないかと。特に市長さんが書いた部分、優等生的でつまらないんですよね。それで……」


「それで?」


「思ったんです。市長さんと山田さんには伝えなかったんですけど」


「何を?」


「山田さんが『A市再生プロジェクト』の著者に加わればいいと。あの下巻の部分、使えます。市長の淡々とした描写を山田さんの情熱で補うんです」


「それだ!」


 思わず立ち上がった。欠けていたピースがはまった、そう感じた。どんな本にすべきか一瞬でイメージが広がった。なぜ気付かなかったんだ。そうだ、山田さんを著者に加えればいい。


「でもあの二人、仲が悪いので有名よ。一緒に書いてくれるかしら?」


 問題はそこだ。菅沼さんのいうように、市長と山田さんは水と油。とても共著案に賛成してくれるとは思えない。一体どうやって説得すればいいのだろうか。



―――――――――――

※近藤史恵著『タルト・タタンの夢』(東京創元社、2007.10)

※西條奈加著『まるまるの毬』(講談社、2014.6)

※わかやまけん著『しろくまちゃんのほっとけーき』(こぐま社、1972.10)


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