第15話 山田さんの改稿、市長たちの初稿
みんながウェブサイト製作に取り組んでいる間、俺は山田さん自伝の改稿を進めていた。
上中下巻、三十万文字。ページ数が多いほど出版するこちらの儲けは大きくなり、しかも山田さんは全部買い取りを申し出てくれているので、かなりおいしい仕事だ。しかし編集者として自分が関わる以上、はたしてこのままの内容と分量で世に出して良いのだろうか。読まされる秘書や議員仲間、そして後援会員たちも大変だろう。考えた末に、俺は山田さんにある提案をした。
「山田さん。率直に申し上げます。この下巻はとてもよく書けていて読みごたえがあるのですが、一つ残念なところがあります」
「残念?」
テーブルを挟んで座る山田さんの目が一瞬、鋭く光った。
「はい。市長の悪口と取れる描写が散見されます」
「……」
今度は眉間にぐぐっと深い皺が寄る。
「副市長としての山田さんのお立場もあると思いますので、市長に関しての記述はもう少しぼかすといいますか、婉曲的な表現にした方が良いというのが、僕の意見です」
「ううーん、そうかあ」
山田さんは腕組みをしてうなった。
「でも全部直すとなると、大変だなあ」
気持ちはわかる。十万字を直すのは骨が折れるだろう。しかし何とかやる気を出してもらわなくては。
「まずは最初の一万文字を目途に改稿してみてはいかがでしょうか? 一万字の範囲内で、ディスり――いえ、市長のことを悪く書いている部分を削って文章のバランスを整えてみるんです。その段階で僕が読ませて頂きます。うまく直っていれば、さらに次の一万字を直してみる。すでに三十万字執筆されている山田さんなら、案ずるより産むがやすしといいますか、やってみれば意外と滞りなく進むのではと、僕は思っています」
しばしの沈黙。やがて山田さんは、ふうっと大きく息を吐いた。
「わかった。章君がそういうなら、やってみよう」
「ありがとうございます。何かあったらいつでもご連絡下さい」
最大限励ましてはみたものの、店を出て行く山田さんの後ろ姿からはいつもの覇気が感じられず、がっかりしているのが伝わってきた。自分の書いたものの欠点を指摘されれば多かれ少なかれ嫌な気持ちになるのは当然で、プロの作家とのやり取りでも、ここは気を使うところだし、十分配慮しても険悪な雰囲気になることはよくあった。
(言い過ぎたかな)
俺は心配になった。だが山田さんの気持ちの切り替えは早く、翌週には改稿を終えた一万字を持参してくれた。嬉しい驚きだった。
「早いですね。もしお時間があれば、これから読ませて頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。そのつもりで来た」
「ありがとうございます。ではこちらへ」
いつものように打ち合わせに使っているサンルームに山田さんを通すと、俺は彼の向かいに座って原稿を読みはじめた。
さて、どうなったか……あれ……? これは……。
以前とは比べ物にならないほどよくなっている。不要部分は思い切って削り、さらに全体のバランスも整った。初稿より格段に読みやすい。そして出色なのは、山田さん自身の心理描写。市政にかける情熱だけでなく市長に対する複雑な気持ちをディスりなしで正直に綴ってあり、好感の持てる内容に変わっていた。
「すごくいいです。深みが増しました。正直、ここまで良くなるとは思っていませんでした」
山田さんのいかついしかめ面が、ぱっとほころんだ。
「そうかね!? 市長の描写を削ったら、なんだかスカスカになってしまってね。それで自分の気持ちを多めに書いてみることにしたんだよ。いやあ、頑張った甲斐があった!」
「そうでしたか。編集が指摘した以上のことを改稿に入れるのは、なかなかできることではありません。さすがです」
「そんなに褒められると、調子に乗ってしまうよ。じゃあ、残りもこんな感じで進めていいかな」
「もちろんです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、引き続きよろしく頼む。それにしても、自分の書いたものについてプロから好意的な意見をもらえるというのは、実に嬉しいものだねえ」
心底幸せそうな笑顔に心がちくりと痛んだ。広川蒼汰のことも、もっと褒めてやればよかった。才能を見込んで大賞に選んだはずが、俺のしたことは結局ダメ出しばかりだった。辛かっただろう。
その後も改稿は順調に進み、十月初旬に下巻の十万字は形が整った。そしてちょうど同じ頃、市長、伊坂先生、本条さんの『A市再生プロジェクト』初稿が送られてきた。
無駄がなく見事にまとまっている。
この原稿を読めば、誰でも同様の感想を抱くだろう。内容こそ市政、建設・都市開発、法律と三者三様だが、構成はほぼ統一されており、それぞれの担当分野のつなげ方もうまい。実務書にもかかわらず、専門知識のない俺にぐいぐいと最後まで読ませる勢いがある。
特に本条さんが担当している建設・都市開発の部分は、A市内に現存する歴史的建造物を大学の講義棟として再利用するというアイディアの面白さや図表の豊富さ、その説明の分かりやすさと相まって、読んでいて気持ちが昂った。
意外だったのは、三人の中で一番気難しそうな伊坂先生が最も読みやすい文章を書くことで、法律という難解な分野を扱いながらも、弁護士以外の読者にもわかりやすいように相当配慮して書かれたことが見て取れた。
市長の担当部分はというと、プロジェクトの全体像をそつなく淡々とつづった感じで他の二人に比べればやや平凡な印象はあるが、それでも原稿の完成度はかなり高い。プロの仕事だ。
さすが市長が「この本は売れると思います」と自信を持っているだけのことはある。『A市再生プロジェクト』は、間違いなく良書だ。
初刷四千部はよほどのことがない限りさばけるだろう。だがこの本なら、うまくやればさらに売り上げを伸ばせる。地域再生にかかわる実務書として関係者に読まれれば十分にその役割は果たしたといえるだろうが、それだけではもったいない。ノンフィクションとしても読みごたえのある本になる可能性を持っている。そのためには、どういう形に編集するのが最適だろうか。
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