第14話 ウェブサイトとSNS、作ろう
その夜、俺はソファに体を落ち着けると永瀬桃が選んだ本を読み始めた。まずは『This Beautiful Day』。色遣いが素晴らしい。黑と白、そして実に効果的に使われる水色。その美しさに心癒される。
『寿命図鑑』はタイトル通り寿命の図鑑で、生き物のみならず機械などの寿命までがまとめられている。仕事とは全く関係ない内容だが、だからこそ、気分転換に役立つ一冊だ。気に入った。手元に置いてたまにページを繰ることにしよう。
『凡人のための仕事プレイ事始め』では、著者が二十七歳の時に気付いたという「仕事の本質」に笑ってしまった。特に「2.人から怒られないようにする(そのために配慮をし、体を動かす)」(※1)というのは、まったくもってその通りだと思う。
一転して『船を編む』を貫いているのは、仕事に打ち込むひたむきさと情熱。何日かかけてじっくり読もう。
そして、『あるかしら書店』。これはまさかの一冊だった。読んでいるうちに自然と笑顔になっている自分に気が付いた。最終話の「大ヒットして欲しかった本」では、編集者と書店主、両方の自分を重ね合わせて読んだ。
いつのまにか空は白み、それでも眠る気にはなれず、『あるかしら書店』を何度も繰り返し読むうちにウミネコが鳴きだして俺の腹も鳴った。
いつものようにネットで広川蒼汰の痕跡を探してから魚市場の定食屋に向かい、朝食――焼き魚(秋刀魚)、タコの刺身、秋茄子のお浸し、落葉キノコと大根の味噌汁――を食べるうちにいつしか、『あるかしら書店』を読んだ気持ちの高揚は、「どうすれば市長たちの本をヒットさせられるか?」という思考に変わっていった。
彼らが執筆しているのは市政を中心とした法律と都市開発の実務書だが、市長は「一般的な読者層にも興味を持って読んでもらえる内容にしたい」といっていた。まだ原稿は読んでいないが、ざっと話を聞いたところでは、ノンフィクションとして読みごたえのある内容になる可能性を持っている印象を受けた。どうすれば、より多くの人に手に取ってもらうことができるだろうか。
「一万円選書、やってみたいと思います」
翌日、休憩に集まった三人に俺は宣言した。もっとも選書を担当するのは永瀬桃なので、偉そうなことはいえないのだが。
「永瀬さん、協力してもらえるかな。昨日選んでくれた本はどれもすごく良かった。幅広いジャンルと内容で楽しく読めたし、何より仕事についての気付きがあった。俺にはとても、ああいうふうには選べない」
永瀬桃はくすぐったそうに笑った。彼女がこういう笑顔を俺に向けるのは、はじめてだ。
「もちろん、ご協力させて頂きます」
「ありがとう」
良かった、引き受けてくれて。
「報酬についてだけど」
「……お金を頂けるんですか?」
永瀬桃の目が、さも意外だといわんばかりに丸くなった。今日の彼女はいつになく表情が豊かだ。
「少しだけど」
「あらー、良かったじゃない!」
「金額は後で」
お金の話は個人的にした方が良いと思ったのだが、永瀬桃は戸惑った様子を見せた。
「ここで教えてもらってはだめですか? 発案は菅沼さんだし、池田さんにはいつもお茶とおやつをごちそうになってるし……あの、二人には隠したくないっていうか……」
「僕たちのことは、気にする必要ないよ」
「そうよ」
池田君と菅沼さんは大人らしい気遣いを見せたが、永瀬桃のいうことも一理ある。毎日こうして店のことを話す仲だ、俺たち四人の間で秘密はなし、というのもいいか。
「選書一人分につき、千円でどうかな」
「そんなに?」
「いや、大したことはないんだ。一万円の売り上げのうち書店の利益は二割、つまり二千円だから、それを永瀬さんとミュゲ書房で折半するだけで」
「十分です。ありがとうございます」
永瀬桃がにこりとした。
「良かったね、桃ちゃん。ところで章さん、僕、ちょっと気になったんですけど。一万円選書のこと、どうやって周知するんですか?」
「ポスターでも作って貼るかな」
思いつくままいってみると、
「それだと、お客さん以外には広がりませんね」
と池田君が痛い所を突いてきた。
「うーん、そうだな」
「ミュゲ書房のウェブサイトとSNSアカウントを作って、そこで宣伝したらどうですか? 地道に更新していけばそのうち効果が出てくるかも。一万円選書のフォームをのせて、カード決済もできるようにして。僕、前のバイト先でそういうの担当してたんで、任せてもらっていいですよ。カフェの合間に管理もします」
「……ありがたいんだけど、報酬が支払えない」
そこまでやってもらってはかなりの金額になってしまう。
「無償でやらせてください。そうでなければ、カフェのテナント料をお支払いさせて頂きます。今後も章さんがミュゲ書房を続けるのであれば、こういうことは、そろそろきちんとした方が」
……それもそうか。このままずっとなあなあで、というわけにはいかないだろう。
「わかった。――でもいいのかな、こんなに適当に決めちゃって」
丸山出版では何をするにも上司の許可が必要だったし、そのための根回しだとか資料作成に時間をかけることによって仕事が練れていった。それと比較すると、今は見切り発車もいいところだ。
「いいわよ。だって章君のお店だもの。敏夫さんと節子さんも、思い付きで色々やってたわよ」
「サイトのデザイン、こうしたいっていうイメージみたいなの、ありますか?」
「いや、特には」
その辺は苦手分野だ。
「では、菅沼さんと桃ちゃんの意見を取り入れながら作ってみていいですか?」
「もちろん。池田君に任せるので、よろしくお願いします」
俺が下手に口を出さない方が、良いものができるだろう。
それからしばらく、三人は頻繁にサンルームに集まっては、ウェブサイトとSNSのことを話し合っていた。それに反比例して、永瀬桃を彼女の指定席で見かけることが少なくなっていた。高校二年の秋といえば受験勉強が本格化するころだ。店のことにかまけて成績が落ちては申し訳ない。俺は気になり、お茶の時間にきいてみた。
「永瀬さん、最近勉強の時間が減ってるんじゃない?」
「……勉強?」
永瀬桃は一瞬きょとんとしたが、すぐに「ああ、心配いりません。家でちゃんとやっているので。それに今は、気分転換が必要な時期なんです」と、紅玉のタルトを頬張った。
――――――――――
※1 中川 淳一郎(2010).凡人のための仕事プレイ事始め 文藝春秋 p8.
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