第7話 記憶の宮殿

 山田さんは相当悔しい思いをしたのだろう、市長をディスる描写が散見される。もし出版するとしたら、ここは要改稿だ。あとは、なぜ山田さんが副市長になったのかの描写が不足している。そこをもっと知りたい。


 上品ぶっていてつまらなかった上・中巻と比べ、下巻のなんと勢いのあって読ませることか。上手下手は別として、久しぶりにこんなに熱量のこもった原稿を読んだ。


「楽しそうですね」


 突然声をかけられ、俺は慌てて視線を上げた。机の前には、市長が微笑を浮かべて立っていた。この人はいつもそつがなくて、でも何を考えているのかわかりづらい。


「いらっしゃいませ。すみません、集中していて。何かお探しですか?」

 

 焦って席を立つ。


「ええ。魔女の本を。娘が『百十七歳の魔女の本が読みたい』といいまして。学校でお友達が持っていたらしいんです」


「タイトルは?」


「それがわからなくて。ネットで探しても出てこないし。ここでなら見つかるかと」


「少しお待ちください」


 こんな時試すのは、google大先生だ。俺は中腰で「百十七歳 魔女 本」と入力した。だが市長のいうように、該当の情報はヒットしない。「魔女の本」だと検索結果は膨大。


(どうしたらいいんだ)


 焦ったその時、カラカラと引き戸を開ける音がし、菅沼さんが庭から戻ってきた。両腕に大きなザルを抱えていて、そこには収穫したばかりの赤黒い桑の実がたっぷり、艶々と輝いている。


「魔女の本? それだったら桃ちゃんに聞くといいわよ。待ってて、呼んできてあげる」



 やってきた永瀬桃は市長の話を聞くと、「こっちです」と店の奥に躊躇なく歩いて行った。市長、菅沼さん、そして俺が続く。店の奥まった場所にある四畳ほどのスペースに着くと、永瀬桃はその細い人差し指で左から二本目の棚を指した。


「魔女と魔法使いの棚です」


 そこに並んでいるのは、『魔女図鑑(※)』、『魔女がいっぱい(※)』『メリー・ポピンズ(※)』、『ゲド戦記(※)』、『ハリー・ポッター(※)』、『ムーンヒルズ魔法宝石店(※)』など。


 知らなかった。この辺りの棚の整理を永瀬桃に任せきりにしたせいだ。


「ほんとだ、沢山ありますね」


 市長が棚の前に屈み、背表紙をゆっくりと指でなぞっていく。


「でもタイトルからじゃわからないな。どの本ですか?」


 市長が振り返って永瀬桃を見上げると、彼女は前に進み出て彼の隣に屈み、一冊の本を抜き取った。


「きっとこれです。『小さい魔女(※)』。ほら、ここに」


 開かれたページには、主人公の魔女が百二十七歳であることが書かれていた。


「だから見つからなかったのか。じゃなくて、か。すみません、お手数おかけして」


「いえ。タイトルや内容を間違えて覚えているお客さん、多いんです。よく敏夫さんがいってました。推理力を働かせて探すんだ、って。今回のは簡単でしたけどね」


「ああ、たしかに。私もタイトル、うろ覚えなことが。それにしても、よくわかりましたね」


「桃ちゃんは、読んだ本の内容ほとんど覚えちゃうのよね。絵本だったら、それこそ丸ごと一冊」


「へえ。どうやって覚えてるんですか?」


「頭の中に場所を作っておくんです」


「場所?」


「思い出工場に入れておくのよね」


「やだ、菅沼さん、まだ覚えてたんですか?」


「もちろんよ。四歳くらいの時だったかしら、桃ちゃんが『いやいやえん※』をすらすら暗唱するものだから、どうやって覚えているのか聞いたの。そうしたら、『おもいでこうじょうに いれておく。あたまのなかにあって、こびとがおかたづけして、ひつようなときにとってくる』って」


 かわいいこというわよね、と菅沼さんは微笑んだが、俺は驚いていた。永瀬桃のいう『おもいでこうじょう』はおそらく、『記憶の宮殿』だ。記憶術の一つで『ハンニバル(※)』にも記載がある。どうりで本の位置もよく覚えていたはずだ。


 しかし記憶術を無意識に――しかもまだ幼少の頃に――体得していたとは、永瀬桃は普通じゃない。俺は興味を惹かれた。


「永瀬さんは本、好きなんだよね? どのくらい読むの?」


「小説なら一日一冊です」


「そんなに?」


「はい。読むの、早いんです」


「本は図書館で?」


 彼女がミュゲ書房で買うのは月に四、五冊だ。


「はい。二週間に一回、まとめて十冊」


「そんなに読みたい本、ある?」


「あります。でも探すのが面倒になっちゃって、いまは小説の棚の端から順番に借りています」


 すごいな。どんな作家の本でも読むのか。


「桃ちゃん小説家になれるんじゃない? 章君、どう? 元編集者から見て適性は?」


「それは……実際に文章を見てみないと何とも……」


「そうでしょうね。それに、小説一本で食べていけるのはごくわずかだと聞いています。それより弁護士になっては? その記憶力は有利ですよ」


 そういいながら、市長は手にしていた『小さい魔女』を棚に戻した。


「購入はされませんか?」


「娘には自分で買いに来させます。魔女コーナー、気に入ると思うので。ところで宮本さん。ミュゲ書房の状況はどうですか?」


 もしかして、心配して見に来てくれたのか。


「――なかなか厳しいです」


「そうですか。実は、私に考えがあります」


 山田さんと同じような言葉。まさか。


「自伝ですか?」


 市長と山田さん。二人が同じタイミングで自伝を出すなら、店頭に二冊並べて平積みにし、「今度は自伝対決! 勝つのはどっちだ!」とでもポップを付ければ、かなり売れるんじゃないか――一瞬そう思ったが、市長はさも意外だという声を出し、楽しそうに笑った。


「自伝? 私が? それ、山田さんが考えそうですね。違います。もっとちゃんとした仕事の話を持ってきました。立ち話もなんですから、どこか落ち着いて話せる場所はありますか?」



――――――――――――――――

※マルカム・バード作・絵 ; 岡部史訳『魔女図鑑 : 魔女になるための11のレッスン』(金の星社、1992.8)


※ロアルド・ダール作 ; 清水達也, 鶴見敏訳 ; クェンティン・ブレイク絵『魔女がいっぱい』(評論社、1987.4)


※ル=グウィン作 ; 清水真砂子訳『ゲド戦記』(岩波書店、1976.9-2003.3)


※J.K.ローリング作 ; 松岡佑子訳『ハリー・ポッターと賢者の石』(静山社、1999.12)


※あんびるやすこ作『ムーンヒルズ魔法宝石店1 魔女パールと幸運の8つの宝石』講談社 (2018/10)


※オトフリート=プロイスラー著 ; 大塚勇三訳 ; ウイニー・ガイラー画『小さい魔女』(学習研究社、1965.7)


※中川 李枝子さく; 大村百合子え『いやいやえん』福音館書店 (1962/12)


※トマス・ハリス [著] ; 高見浩訳『ハンニバル』(新潮社、2000.4)

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