第8話 市長の提案

 サンルームのテーブルに向かい合って座ると、市長は切り出した。


「A市の再生プロジェクトについて、ご存知ですか?」


「はい」


 山田さんの自伝に書いてあった。A市を再生させるために、郊外にあるU大学を市内に移転させ、逆にU大学の跡地には、現在市内にある公共施設などを移設する。並行して小学校などの教育改革を行い、A市の活性化、さらには人口増につなげようという計画だ。


「この再生プロジェクトでは、全国的にも新しい試みをいくつかしています。それを本にまとめてはどうか、という話が出ていまして。その編集を宮本さんにお願いできないかと」


「私に?」


「そうです。以前から考えていたんです、A市内の業者だけで本を作れないかと。編集者が見つからず諦めかけていた時に、宮本さんがミュゲ書房を継がれました。それで、を使って宮本さんが丸山出版で手がけた本を調べさせてもらいました。ライトノベルのことはよくわかりませんが、実用書はきちんとしていたので、お願いしても良いかなと」


 俺が担当した本まで調べてくるとは。この市長の隙のなさに驚き、それと同時に彼が書こうとしている本に興味を惹かれた。


「――具体的に、どんな内容ですか?」


「このプロジェクトに関わっている都市開発コンサルタント、弁護士、そして市長の私が、都市計画と建築、法律、市政の側面からプロジェクトの分析と解説を行う、というものです」


 ああ、だめだ。専門的すぎる。


「……お話はうれしいのですが、私には編めないと思います。知識が全くない分野です」


「その点は大丈夫です。こういった本を出版する場合、専門的な内容そのものについて編集者の意見が必要になることはありません。何をどう書くべきかは、著者側が熟知しています。もちろん、わからない部分はどんどん質問していただければと思いますが」


「では、私は何をすれば」


「まずは、一読者としての感想をもらえれば助かります。実務書とはいってもわかりやすさは重要なので、その点について客観的な意見が欲しい。全体の構成もみてもらう必要があります。職種の違う三人が書くので、一冊の本として統一性を持たせるために調整が必要かもしれません」


「それなら実用書の編集と大差はなさそうですが……。でも、売れるでしょうか? というか、売れると思っているからお話を持っていらっしゃったんですよね。その根拠は?」


 不躾かとは思ったが、きいておきたかった。


「まず弁護士が――伊坂先生といいますが――これまでに実務書を数冊出していて、いずれもかなり売れました。彼の名前があれば相当数の弁護士が購入します。その他、政府関係者や金融関係者も」


「じゃあ、伊坂先生のこれまでの売り上げ実績で初版部数を決められる、ということですね」


 それならリスクはかなり低い。


「そうです。そして今回はさらに、建設関係者、地方自治体でも購入が見込めます。さらに欲をいえば、A市の市民など一般的な読者層にも買って欲しい。もっとも、あまりに一般受けを意識して専門性が損なわれると困りますが」


「なるほど」


「この本が売れると思う根拠はまだあって、類書がないことです。コンサルタント、弁護士、市長が共著で現在進行中の都市再生プロジェクトについて書いた本は、存在しないはずです」


「初版は何部が妥当だとお考えですか?」


「三千……いや、四千かな」


 市長は強気だ。


「もう一つ、質問をいいですか」


「どうぞ」


「売れるのがわかっている本なら、大手の出版社から出した方が良くはありませんか?」


「なぜですか?」


「流通ルートが確立しているからです。うちから出版するとして、取次経由の流通ルート確保は困難だと思われます」


 山田さんにも伝えたことだが、本を流通させ書店の棚に並べるのは、取次なしには難しい。 そして取次に取引口座を開くことは、実績がまったくない新しい出版社にはかなりハードルが高く、ミュゲ書房の現状ではほぼ不可能なのだ。


「書店に直接卸せばいいですよ」


「しかし、それではこちらの手間が。全国に書店はいくつあると――」


「約一万。大手書店チェーンの店舗数だけでも千を超える。ですよね?」


「そうです」


「では、取引先を三つの書店だけに絞るとすれば?」


 予想だにしない答えだった。


「……それだけですか?」


「そうです。法律、建設、政府系の資料、それぞれを専門に扱っている書店が東京にあって、それらに卸せばうまくさばいてくれると思います。ネットショップも運営しているので、全国配送も可能ですし。ミュゲ書房で売る分もあったほうがいいですよね、千部でどうかな」


「うちの千部はともかく、残りの三千部を先方が引き受けてくれるでしょうか」


「少なくとも法律、政府系資料の書店については大丈夫です。さっき確認を取りました。まだ口約束ですが。取次を通さず経費が浮く分、書店の取り分に配慮すればあちらにとっても好条件です」


 なるほど。


「……従来の二割ではなく、二割五分でどうでしょうか」


 書店と版元であるミュゲ書房の取り分がそれぞれ五分ずつ増える計算だ。


「いいと思います」


 完璧だ。三店に卸す三千冊とミュゲ書房で売る千冊がすべて売れると仮定して利益は約八百万円、返本率を通常の四割としても五百万。十分元は取れる。印刷や製本は、山田さんの自伝と同じ業者を使えばいいだろう。この企画、いける。やってみたい。


「宮本さん、引き受けていただけますか?」


 俺の気持ちの変化に気付いたのだろう、市長が決断を促した。


「――はい、やらせていただきます」


「ありがとうございます。では、商談成立ということで。ところで宮本さんは来週のこの時間、空いていますか?」


「はい」


「良かった。伊坂先生とコンサルタントの本条さんが出張で来るので、みんなで会って話しましょう。その時までに企画書を作っておいてもらえますか?」


「企画書?」


「はい。ミュゲ書房で出版する計画、実は二人にはまだ話していないんです。彼らに納得してもらうために隙のない企画書が必要です。お手数をおかけして恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします」


「わかりました」


「ありがとうございます」


 市長がまた感じの良い笑みを見せた。強引さはないが、物事を思い描いたように進めていく能力がこの市長にはある。人心掌握に長けている、というのはこういう人物のことをいうのだろう。


「それとこれは、個人的な興味なのですが」


 市長が俺の目を見た。


「なんでしょうか?」


「宮本さんが丸山出版を辞めた理由は?」


 唐突な質問に俺は面食らった。


「驚かせてすみません。宮本さんが担当した本についてはわかりましたが、退社理由までは調べていなくて。それで今ちょっと思いついて。単に興味からです」


 そうではないだろう。市長はこれから一緒に仕事をする相手がどんな理由で仕事を辞めたのか、気にしているのだ。ここは正直にいうべきか――。


 黙って答えを待っている市長に俺は告げた。


「新人作家を一人、潰しました」


 その言葉は自分でも意外なほどに明瞭だった。

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