第9話 広川蒼汰-1

 事の発端は去年の十月、俺が秋田先輩に話しかけたことだった。


「広川蒼汰の刊行予定、決まりました?」


 広川蒼汰は俺が注目していたアマチュア作家で、丸山出版が運営している「ソウサク」というウェブサイトで作品を発表していた。


 ファンタジーでありながら現実世界ともリンクしたリアリティのある作風、そして読後感の良さ――そこが最大の魅力で、ランキング上位の常連というわけではなかったが、熱心なファンが多く、新作を書けば多くのコメントが寄せられていた。


 もちろん筆力はかなり高く、しかも速筆。商業出版で十分やっていける素質を感じさせた。彼となら、俺が理想とする一冊を作れるかもしれない、そう期待すらした。


 広川蒼汰がソウサク主催のコンテストに応募してきたのは、ちょうど書籍化前提で声をかけようと思っていた時だった。「やった」と思った。


「彼は絶対に化けます。既存のライトノベルの枠にはまらない作品を書ける作家だと思います」


 選考に参加していた俺は広川蒼汰の作品を強く推し、その結果、『リベンジ』はレーベルカラーとは異なる作風にもかかわらず大賞に選ばれた。


 当然自分が担当編集になるだろうと楽しみにしていたが、それは叶わなかった。「レーベルで売れ筋の内容に大幅改稿させて、確実に売る」という編集長の方針のもと担当になったのは、コミカライズやアニメ化で多くの実績を上げてきた秋田先輩だった。



「予定は未定」


 先輩は憮然とした表情でディスプレイに見入ったまま、すごい速さでキーボードを叩いている。機嫌が悪いのは見ればわかるのに、俺はさらに話しかけた。


「ずいぶん時間、かかっていますね」


「ああ、じっくり取り組んでもらってる」


「そうですか。じゃあきっと、いい作品に仕上がりますね」


 秋田先輩は本来、作家を急かして早いペースで刊行させるタイプだ。その先輩が時間をかけているということは、よほど気合を入れて作っているのだろう。


「……お前さあ、本当にお人好しだよな」


 だがこちらを向いた先輩の口元は、いびつな形に歪んでいた。


「はい?」


「引き延ばし作戦だよ。『じっくり』は建前。広川、俺の改稿案に従おうとしないんだよ。まったく、一回賞取っただけの新人のくせに生意気。あれじゃ商業ではやっていけない」


「――書籍化は中止ですか」


 秋田先輩の思いがけない返事に、そうきき返すのが精いっぱいだった。


「とりあえずは、あいつが出してきたプロットで改稿進めさせてるけどな。ボツだ、あんなの」


 それはひどいんじゃないですか――ぐっとその言葉を飲み込んだ。ボツ前提の改稿をさせるなんて、誠意がなさ過ぎる。作家と編集がお互いに納得できるプロットを作ってから改稿に入るのが、本来の進め方だ。


「改稿への駄目出しを繰り返して、結局は出版しないんですか」


「――わかりきったこと、きくな」


 吐き捨てるようにいうと、先輩はディスプレイに視線を戻した。


 作家が思うようなプロットや原稿を出してこないとき、はっきり編集者から書籍化中止を告げることはこの編集部では稀だ。一番の理由は、自分たちが手放した作家が他社でヒットを出すのを嫌うから。


 それに編集者としては、手駒となる作家を多く持っている方がいい。今書いている作品が駄目でも、新作を書かせたらヒットするかもしれないからだ。


 うちの編集部から出す本は、作家に原稿料は払わない。作家の収入は出版する部数に応じて支払われる印税がすべてだ。だからプロットや原稿を何回書き直しさせようが、こちらの懐は全く痛まない。


 作家側がやる気を失わない限り、何度でも提出してもらう。そして、もし魅力的なプロットを出してくれば真剣に相手をし、そうでなければ、なおざりにする。


「広川蒼汰の担当、俺に変えてもらえませんか」

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