第10話 広川蒼汰-2

 このままではせっかくの才能が潰されかねない。そうなる前に、俺が担当したい。広川蒼汰を助けたい――その一心から出た言葉だった。


「生意気なことをいうな」


 そう怒鳴られるのではと思いつつ、先輩の返事を待った。ほんの数秒がやけに長く感じられた。


「……いいよ。お前に任せる」


「え?」


 思いがけない反応に俺は戸惑った。秋田先輩はこの編集部で一番多くの作家を抱え、そうすることでヒットを量産する敏腕編集者としての地位を築いている側面がある。だから才能のある広川蒼汰をあっさり手放したのは意外だった。先輩は続けた。


「今まで広川とやり取りしたメール、全部お前に転送する。後は勝手にやって。編集長には話を通しておく」


 広川蒼汰への挨拶はなしか。ずいぶん失礼な話だ。広川蒼汰は気分を害すかもしれない、だが今一番重要なのは、先輩を彼の担当から外すことだ。その目的が達せられる以上、細かいことにこだわらない方がいい。


「ありがとうございます!」


 俺は大げさに頭を下げ、自席に戻ると早速メールを書いた。


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 広川蒼汰様


 はじめまして。丸山出版ライトノベル第三編集部の宮本章と申します。

 この度、秋田より広川さんの担当編集を引き継ぎました。つきましては、今後の方針をメールにて打ち合わせさせて頂きたいと思っております。

 まずはご挨拶まで。よろしくお願いいたします。


 宮本章

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 宮本様


 はじめまして。広川蒼汰です。

 担当変更の件、承知いたしました。よろしくお願いいたします。


 ところで秋田さん、どうされたのでしょうか。激務で体調を崩されましたか? いつもお忙しそうにされていました。もしそうであれば、どうぞお大事になさってくださいとお伝え頂けますか。また、『リベンジ』を秋田さんの希望に沿う形で改稿できず、ご迷惑おかけして大変申し訳なかったです。


 広川蒼汰

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 突然の担当変更に戸惑いを見せつつ、広川蒼汰は秋田先輩を気遣うメールを寄越した。きちんとした社会人なのだろう。彼とならきっとうまくやれる。できるだけ本人が望む形で『リベンジ』を世に出そう――そう思った。だが周囲がそれを許さなかった。


「おい宮本。なんだこのプロット。ふざけるのもいい加減にしろ」


 後藤編集長が放り投げたファイルが、会議机の真ん中にバサッと落ちた。一緒に机を囲んでいる五人の編集部員たちが、一様に気まずそうな表情をして視線をそらす。ただ一人、秋田先輩が「ぷっ」とわざとらしく吹き出したのを除いては。


 部内会議。編集部員が各々の出版企画を持ち寄って刊行予定を決めるこの場で、俺が広川蒼汰と一か月かけて練ったプロットは見事に却下された。だが素直に引き下がるわけにはいかない。


「でも、編集長」


「でもじゃない」


 鋭い眼光が突き刺さる。編集長はかなりの強面で、そのしわがれた声と相まってとても堅気の人間には見えない。口答えは許さない、という無言の圧力をはねのけ、俺は強引に続けた。


「『リベンジ』はコンテストの大賞受賞作です。このままの形で十分魅力的ですし、しかも確かな個性があります。だから大賞に選んだんじゃないですか。大幅改稿は不要です。オリジナルのもつ個性を生かした形で出版すべきだと思います。既存の読者もそれを」


「バカ!」


 編集長が投げつけたボールペンが、右肩に当たった。


「大賞に選んだのは、お前が強引に推したからだ。それに、たしかに才能と実力はある。だがな、うちのレーベルで出す本を買う読者は、うちのレーベルらしい作品を求めている。ストレスフリーとハーレムだ。書籍化して売る以上、そこから外れるわけにはいかない。なあ、秋田?」


「はい、おっしゃる通りです。データからも明らかです」


「わかったか。広川にはプロット、書き直させろ。作家に好き勝手に書かせていては商売にならない。うちで書く以上はレーベルカラーに合わせてもらう。それが嫌なら書籍化はなしだ。今日はこれまで」


 編集長は乱暴に席を立った。



 無茶だ。


『リベンジ』はそのタイトル通り、復讐の物語だ。そして少女魔導士ロッカの成長物語でもある。作品を支配する重く押さえつけられた雰囲気がラストでは一転して解き放たれ、圧倒的なカタルシスへと昇華される。それを「ストレスフリー」と「ハーレム」にしろだって? 


 そんなことをしたら、物語が破たんするのは目に見えている。かといって、編集長には逆らえない。どうしたらいいんだ――。


 俺は数日考えたのち、広川に二つの提案をすることにした。


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 広川さん


 残念ながら、『リベンジ』改稿案のプロットは部内会議を通すことができませんでした。力及ばず申し訳ありません。これから考えうる方針は二通りです。


 一.『リベンジ』のプロットを再度作る。

 この場合のプロットはレーベルの方向性に沿ったものとし、オリジナルからの大幅な改稿が前提となります。広川さんにとっては不本意だと思いますが、レーベルの特徴であるストレスフリーとハーレムを入れれば、部内会議を通る可能性が高くなります。この方針において重視することは、とにかくまず『リベンジ』を出版し、広川さんがデビューすることです。


 二.新作のプロットを作る。

 新作のプロットをいくつか書いて頂き、そのうちいいものを部内会議にかけます。部内会議を通った時点で執筆を開始します。こちらはゼロからの作業になり、広川さんの負担は大きいと思います。


 メリットは、最初からレーベルの方針に沿ったプロットを作ることになるので(そのように私も協力させて頂きます)、改稿によって作品の個性を損なう可能性がないことです。『リベンジ』はいずれ機を見て、オリジナルを生かした形で出版を再検討させて頂ければと思います。


 いかがでしょうか。以上ご検討頂けましたら幸いです。


 宮本章

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 宮本さん


 この度はご提案、ありがとうございます。「二.新作のプロットを作る」でお願いできますか。理由は、『リベンジ』をレーベルの意向に沿った形に改稿するのは作品の性質上、困難だからです。


 現状、『リベンジ』の書籍化が中止となるのはとても残念ですが、まだ一作も出版していない新人に完全新作での出版オファーを頂けることは嬉しい驚きです。頑張ります。


 広川蒼汰

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