第11話 広川蒼汰ー3

 タフだな、と思った。


 秋田先輩に三度も全面改稿をさせられ(文字数にすると三十万字だ)、さらにそれが全ボツになったにもかかわらず、広川蒼汰は腐っていない。


 大賞受賞作である『リベンジ』の書籍化に固執せず、新作を執筆する意欲を見せた。筆力の高さと速筆であることに加え、チャレンジ精神も旺盛だ。大丈夫だ、彼はこれからもっと伸びる。商業でやっていける。


 広川蒼汰が勇気ある選択をしたことが、俺は誇らしかった。だが今となっては、俺の提案は間違っていたと認めざるを得ない。


 広川蒼汰は、その後数か月にわたってプロットを書き続けた。二人で何度もメールをやり取りしてレーベルカラーに合うように調整し、俺は部内会議に提出し続けた。だがそのすべてがボツになった。広川蒼汰が書きたい作品の方向性は、本質的にレーベルカラーとミスマッチだったのだ。


 決して彼が意地を張っていたわけではない。編集部の要求する内容の作品を書こうと努力はした。だが彼の物書きとしての本能というのだろうか、それが、レーベルカラーに迎合した作品を書くことを阻んでいるように見えた。


 あの頃は冷静に考えられなかったが、今思うと、これは当たり前なのだ。


 俺が広川蒼汰を大賞に推した理由は? ――既存のライトノベルの枠にはまらない作品が書ける作家だと思ったからだ。


 それなのに俺のしたことは、広川を決まった枠組みに当てはめようとすることに他ならなかった。


 それにもかかわらず俺は身勝手に「参ったな」と思い、広川の相手をするのがだんだん面倒になっていった。第三編集部では、少ない部数で多くのタイトルを刊行し利益を上げるスタイルで、 編集者は毎月一冊のノルマがある。そのため、新人からベテランまで、並行して何人もの作家の相手をしなくてはならない。


 忙しさの中で、広川蒼汰を大賞に推した時の熱意は徐々に薄らいできた。そんな俺の気配を察したのだろうか、彼はこちらの真意を確かめるメールを送ってきた。


 ――――――――――――

 宮本さん


 今日はお伺いしたいことがあってメールしました。

 私の新作でのデビュー、宮本さんは、どの程度本気で考えているのでしょうか? 


「新作のプロットを書いてみないか」というご提案を頂いた時はすごく嬉しかったのですが、その後はご存知の通り、ボツの嵐です。先が見えない状況に焦りを感じます。


 広川蒼汰

 ――――――――――――


 自分の気持ちを見透かされたようで気まずく、適当に返事をしてごまかしたい衝動にかられた。あと数か月プロットのダメ出しが続けば、広川蒼汰が自ら諦めるだろう。それを待つこともできる。だがそれをやっては、秋田先輩と同じだ。今度は俺が広川蒼汰を飼殺すことになる――潮時か。


 彼ほどの実力があるならば、もうこれ以上うちからの出版にこだわらない方がいい。新作を書いて広川の作品カラーに合う賞に応募しさえすれば、受賞は容易だろう。俺の個人的な思い入れで大賞を受賞させてしまい、申し訳ないことをした。


 ――――――――――――

 広川さん


 ここまで時間をかけて作業してきましたが、残念ながら、広川さんの作風はうちのレーベルには合わないと判断せざるを得ません。これ以上プロットの提出を繰り返すことは、いたずらに広川さんの時間を浪費する結果となり、今後の広川さんの創作活動に悪影響を与えかねず、それは本意ではありません。


 こちらからお声がけしておきながら大変遺憾ではありますが、新作をゼロから立ち上げる件、および『リベンジ』書籍化の件、断念させて頂ければと存じます。


 私で何かお役に立てることがありましたら、いつでもご連絡頂けましたら幸いです。広川さんの今後のご活躍をお祈り申し上げております。


 宮本章

 ――――――――――――



「広川にこのメールを送っただぁ!? おい、お前何考えてるんだ!」


 編集長は俺の報告をきくと即座に立ち上がり、手にしていた文庫本を力任せに投げつけた。


「改稿とプロット提出を散々やらせておいて、『やっぱりできません、ごめんなさい』なんてメールを正直に送るやつがあるか! 炎上したらどうするんだ!」 


 編集側と作家の関係がこじれた時、作家がSNSで詳細を暴露して炎上することが近年増えている。もし炎上してもレーベルの売り上げに影響することはほとんどないが、出版社も企業だ、イメージは大切にしている。SNSでの炎上トラブルは上層部からお目玉を食らうのだ。


 それまでざわついていた編集部が水を打ったように静まり返る。


「いいか、お前はもう何もするな。この件は俺が引き取る。広川の電話番号は?」


「知りません」


「知らない?」


「はい。契約書を作る時に聞こうと思っていて」


「……今までメールでしかやり取りしてないのか?」


「はい。ここに配属されたとき、秋田先輩から『作家とのやり取りは基本メールのみ、個人情報は契約書を作る段階まできかない』と習いまして」


 出版が確定するまでは作家の個人情報はもらわない方がいい、といわれ、それ以来ずっとその方針を貫いてきた。


「……もういい」 


 編集長は大きなため息をつくと、どさっと乱暴に椅子に身を預け、すごい速さでキーを叩き始めた。


 ――――――――――――

 広川蒼汰様


 丸山出版ライトノベル第三編集部、編集長の後藤と申します。


 この度は度重なる改稿とプロット提出に応じて頂いたにもかかわらず、私共の力が及ばず出版に至りませんでしたこと、深くお詫び申し上げます。


 以下はお願いと申しますか、広川様の作家としての将来を考えた上でのご提案です。


 本件の詳細についてSNSやソウサク上で言及することは、控えて頂くのが賢明かと存じます。広川様が単に書籍化中止の報告をしたつもりでも、広川様が編集側とトラブルを起こしたのではと勘繰られるからです。そうなると、詳しい事情を知らない他社の編集部は広川様を敬遠し、広川様の将来的な執筆活動に悪影響を及ぼす可能性があります。


 SNSやソウサクでごく短い報告をする、ということでしたら問題ないかとは存じますが、その場合、事前に文面を私に送って頂ければ幸いです。読み手にどのような印象を与える内容か、私の考えを広川様にお伝えできれば、安心して公開して頂けるのではと存じます。


 宮本も申しておりましたように、私どもで何かお役に立てることがあれば、いつでもご連絡頂ければ幸いです。


 広川様の今後のご活躍をお祈り申し上げております。


 後藤巌

 ――――――――――――


 広川蒼汰からは、短い返信が一通あったのみだった。


 ――――――――――――

 宮本様、後藤様


 メールを拝読し、内容について承知いたしました。

 これまでお世話になり、ありがとうございました。


 広川蒼汰

 ――――――――――――


 そして翌日。気付いた時には、広川蒼汰のソウサクとSNSのアカウントは消えていた。彼の存在、その作品、読者や作者仲間からの沢山のコメント、広川と彼らの楽しそうなやりとり――すべてが忽然と消え去った。



 広川蒼汰の一件は俺を動揺させた。


 思えば、俺が第三編集部に異動してから担当した新人作家の中で二作目を刊行できたのは、わずか二人に過ぎない。その他は結果的に使い捨てになった。


 中には記念出版的な意味合いで「一作出せれば満足です」という作家もいたが、多くは真剣だ。小説に人生を賭けている。その彼らの気持ちを俺は踏みにじってきたのではないか。


 もちろん、二作目を出せないのは本人の力不足、という側面も大きい。だが一度編集としてかかわった以上、もう少し新人を育てることに責任感を持つべきではなかったか。


 才能の原石を発掘していたつもりが、彼らにとっては、俺に見いだされたことが迷惑でしかなかったのではないか。




「――でも、どんな仕事でも割り切りは必要でしょう。宮本さんは編集者として商業出版に関わっていた。であれば、宮本さんがしたのはごく当たり前のことなのでは?」


 一通り俺の話を聞いた市長は、慰めるような口調だった。


「ええ、たしかにそうです。出版は慈善事業ではありません。限られた時間、予算、編集部の方針、読者が求めるもの――それら与えられた環境の中で、その都度、誠意をもってやってきたはずだとは思うんです」


「じゃあ、そんなに自分を責める必要は」


「なかった――ですかね」


 だがあの頃の俺は、自分を客観視できなくなっていた。広川蒼汰のたった二行の返信、そして彼がそのすべての痕跡を消し去ったことは、そのくらい衝撃的だった。


 そしてメールだけですべてのけりを付けようとした自分を悔いた。会うべきだった。会ってきちんと話すべきだった。『リベンジ』の刊行はいったん諦めるとしても、どんな新作でどの賞に送れば受賞確率が高いのか、俺の考えを伝えるべきだった。俺は逃げたんだ。「広川を飼い殺しにしないために」という自分にとって耳障りのいい理由を付けて、大賞に選んだ広川蒼汰と『リベンジ』を放り出したのだ。


 結局、広川蒼汰の書籍化中止が決定した二か月後に俺は退職願を出した。そして広川蒼汰という才能ある新人を潰してしまったという罪悪感はいまだ消えることなく、心の中に厚く垂れこめている。

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