第4話 市長と山田さん
泉谷書店が撤退するという知らせを受けてからの山田さんの動きは実に早かった。
「章君。すぐに取次と版元に連絡して返本をストップして。図書館に寄贈した本も、そのままにしておいてもらいなさい!」
早口で指示すると、今度は常連さんたち に向かって声を張り上げた。
「皆さん。由々しき事態です。書店は市民の皆さんの文化レベル維持のために必要不可欠です。A市に書店がゼロになってしまうのは、何としても避けたい。わたくし山田、こういう時こそ皆さんのお役に立ちたいと思います!」
常連さんたちは一瞬あっけにとられたが、やがて拍手がわき起こった。
「いいぞ、副市長!」
「頼りにしてるぞ!」
声援を受けた山田さんは、晴れやかな笑顔で「ありがとうございます! では本日はこれで」と言うと、門田さんを従えて颯爽と立ち去った。
正直ちょっと芝居がかっていたし、じいちゃんが「山田君は個人的に付き合うとすごくいい奴なんだが、政治だとか自分の利害が絡むことになると、強引なところがあるんだよなあ」と言っていたのを思い出した。
そして三日後の今日、俺は山田さんに呼び出されて市庁舎を訪れている。受付で名を告げると通された先は市長室で、山田さんは市長と一緒に俺を待っていた。
名刺交換――といっても今の俺は名刺を持っておらず、もらうだけなのが気まずい――と自己紹介を済ませ応接セットに着席すると、市長が話し始めた。
「急にお呼び出ししてすみません。ミュゲ書房のことで少し、お話ができたらと思いまして」
微笑を浮かべた穏やかなたたずまいは、横で厳ついしかめ面をしている山田さんと好対照だ。四十歳だと聞いているが、もっと若く見える。
「どういったご用件でしょうか」
「単刀直入に申し上げます。もし宮本さんにミュゲ書房の経営を引き継ぐお気持ちがあれば、市としては、市立図書館の主要仕入れ先を泉谷書店からミュゲ書房に切り替えることを考えています」
思いがけない提案だった。
「図書館長とも話してね。こうするのがみんなのために良いのではないか、という結論になったんだよ。どうだろう、章君。引き受けてもらえないか」
山田さんが椅子から身を乗り出す。
「いえ、僕は」
やはり店を片付けて、東京に戻るつもりです――そう言おうとしたが、言葉は喉につかえた。
またノルマに追われて本を作り続けるのか?
それとも他業種に転職するのか?
――どちらも実感がわかない。
しばらく目をそらしてきたが、俺は将来についての展望を全く描けない状態に陥っているのだった。
「山田さん、そう結論を急がずに。宮本さん、補足させていただきます。泉谷書店さんから市立図書館が昨年度購入した総額は一千万円で、今後しばらくは大きな変動はないと思われます」
「ミュゲ書房の取り分は二割、つまり月にすると十六万円の売り上げ増だ。章君、これならやっていけそうな金額になるんじゃないか」
――そううまくいくだろうか。それにこの町は過疎が進んでいる。将来的に収入が増えるどころか、減る可能性もある。
「それに、泉谷書店からミュゲ書房に流れてくる客も相当数いるだろう」
「山田さん、それは期待しない方が良いのでは。泉谷書店はいつも閑散として」
市長の反論を山田さんは右手で制した。
「水を差さないでいただきたい。市長だって、章君に継いでもらう案に賛成したじゃないですか」
「無理強いはできません。宮本さんは大手出版社の編集者だったと聞いています。そのキャリアを捨てるには覚悟が」
「章君はこの町で、書店主として新しいキャリアを築けばいい。編集の仕事だって、やろうと思えばここでできる。それにA市の人口増は市長の公約じゃないですか。章君のような若者が一人でも増えれば」
「山田さん、いちいち口を挟まないで話を最後まで聞いてください」
「市長こそ。そのお言葉、そのままそっくりお返ししますよ!」
二人の間に漂う険悪な雰囲気。その大人げないやり取りに、俺は呆気に取られた。それに気づいたのは市長で、「失礼」と小さく咳払いした。
「宮本さん。私はA市を文教都市として発展させたいと考えています。その方向から考えると、少なくとも市内に一軒は書店が欲しい。書店には、図書館とはまた別の役割がありますから」
「はあ」
「もしミュゲ書房を継いでくれるのであれば、市としてできるかぎりのことをさせていただきます」
「そうだよ、章君。なにかあったら私達が必ず力になる。信じて欲しい」
「ぜひ考えてみてください」
市長は微笑んだ。山田さんのような押しの強さこそないが、結局は俺に継いで欲しい、ということなのだろう。
午後遅く店に戻ると、俺は階段下にある木製のキャビネットの扉を開けた。差し込む夕日が、そこに並ぶ年月を経て色あせた背表紙を浮かび上がらせる。じいちゃんが集めた初版本コレクションだ。厚さが際立つ一冊をそっと引き出す。
『はてしない物語』
懐かしいな。あかがね色の布表紙、蛇の紋章、二色刷りの中身。それは作中で主人公のバスチアンが手にする本と同じで、初めて読んだ時、あっという間に物語の世界に引き込まれた。
いつかこういう本を作ってみたい――それが編集者を志したきっかけだ。だが俺が世に出した本といえば、似たようなデザインばかり。それだけではない、内容もだ。実務書もライトノベルも、ある程度売れると予測できる内容のものしか部内会議を通せなかった。
初めて冒険を試みた広川の作品は作者ごと潰された。同業他社に転職したとしても、待っているのは同じような仕事だろう。かといって、いまさら他業種で働くイメージもわかない。そんな俺がいま、ここで求められている。書店主としてA市に骨をうずめるまでの覚悟はないが、たとえば一年か二年だったら?
進学校、一流といわれる大学、大手出版社――これまで寄り道せずにやってきた。長い人生のうちほんの数年、わき道にそれるのも悪くないのではないか――そうだ、悪くない。そう思ったら、発作的にスマホに手が伸びた。
「山田さん。先ほどのお話ですが。ミュゲ書房、僕が継ぎます」
―――――――――――――――
※ミヒャエル・エンデ作 ; 上田真而子, 佐藤真理子訳『はてしない物語』(岩波書店、1982.6)
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