大きな幸せ、小さな幸せ

 

 セラのお腹が随分と大きくなってきた。歩くのも一苦労のようなのだが、毎日のように食堂へ足を運んでいる。


 私としては部屋で大人しくしていて欲しいのだが、セラはどうあってもやりたいことがあると言って譲らない。普段はメイドギルドのメイドが常に二人掛かりで面倒を見ているから大丈夫だとは思うが、それでも心配ではある。


「セラ、大丈夫か? 予定日はまだちょっと先だが、無理するなよ?」


「ええ、無理はしないわ。でも、ちょっとくらいは歩かないとね。それにヘレンちゃんから色々教わっておかないと」


 セラはヘレンから料理を教わっているらしい。確かに大事だが、子供を産んでからでもいいような気がする。


「いま教わらなくてもいいと思うんだがな。料理には火や包丁を使うだろ? 今のセラには危なっかしくて見てられん」


 セラにはもう勇者の力はない。あれから今の感覚には慣れたようだが、たまに勇者だった時の癖が出る。見ているだけでものすごく怖い。


「火や包丁は使わないわよ。小麦粉を練ってるだけ」


「小麦粉……? もしかしてパン作りか?」


 そう言うと、セラは微笑んだ。そして自分のお腹をさする。


「この子が将来どうなるかは分からないけれど、パン作りを教えてあげたいのよ。あの人と同じ味は再現できないけど、少しでも近づけた味で食べさせてあげたい」


「そういうことか」


「ええ、故郷でパン屋を開くつもりなの。あの人がやっていたお店はもうないけれど、あの場所で改めて始めるわ。土地はもう購入済みよ」


「この間、ヴィロー商会と何か話していたのはその件か?」


「そうね。結構お金を使っちゃったわ。もう使わない剣とか亜空間に入れていたものを片っ端から売ったから、かなり余裕はあるけどね。それと競売が終わったから今度お金が振り込まれるのよ。助かるわ」


 そういえば、この間、あの本が競売にかけられていたな。あれにそこまでの価値があるとは思わなかった。四百年という時間の付加価値なのかもしれない。


 アビスの最下層で見つかったとされる私の日記を売りに出すわけには行かないので、代わりの物が必要になった。


 ただ、代わりと言っても本でなくてはいけない。アビスの最下層で見つかったのは本だという内容が知れ渡っているからだ。


 そこで提案されたのが、ルゼの持っている「恋愛魔導戦記」の初版本だ。


 なんとまあ、聞いたところによると相当な価値があるらしい。自分でも知らなかった。


 だが、ルゼがはものすごく拒否した。絶対に嫌だと泣き叫んできたが、一番手っ取り早い解決法が見つかった。それは昔、私がセラに渡した「恋愛魔導戦記」の初版本だ。


 セラはその本を競売にかけることを申し訳ない様にしていたが、それで私の日記が返ってくるなら問題はない。なので、セラの持っていた「恋愛魔導戦記」の初版本がアビスから見つかったことにした。そしてそれがつい最近、競売にかけられたわけだ。


「あの本に結構な価値があるなんて驚きだ」


「そりゃあるわよ。初代魔女がモデルになっているし、ニャントリオンの創始者や聖母も出てる。さらには今回の検証で、簒奪王が出ていることも判明した。さらには魔族に伝わる放浪の魔王がそれを書いたってことになれば、その価値は計り知れないわね」


「間違ってはいないんだが、随分と盛り込んだな」


「そんなことよりも、歴史に名を残した人達がこのソドゴラにいたなんていうのが驚きよね……でも、そんな人達をそこまでにさせたのは、フェル、貴方のおかげだと思うわよ?」


「……おだてても今日は奢らんぞ。大体、競売のお金が入るなら、今日はお前の奢りだからな?」


「まだお金は入ってないわよ。いつ連絡が来るか――」


 セラがそう言いかけたところで、食堂の入り口が開いた。噂をすれば影。スタロが来たようだ。


 スタロは近寄って来て、私達に頭を下げた。


「フェルさん、セラさん。丁度良かった、こちらにいらっしゃいましたか」


「スタロ、良かったな。市長を続けられて」


「あはは、皆さんのおかげです。そもそも私が市長になれたのもフェルさんのおかげなんですけどね。次の市長選は実力で再選できるように頑張りますよ」


「ああ、そうしてくれ。私としてもディアの子孫がソドゴラを繁栄させてくれるなら、こんなに嬉しいことはない」


「そういえば、迷宮都市の正式な名前はソドゴラでしたね。そう日記に書いてありました。恥ずかしながらそれを知らなくて、検証の時はどこの田舎だと思ったものです」


 なるほど、日記の内容ではソドゴラ村としか出てこないか。まさか迷宮都市と言われるほど大都市になるとは思わないからな。


 おっと、そんなことはどうでもいい。スタロがここに来たのは理由があるはずだ。もしかして競売の結果だろうか。


「スタロ、すまん。いきなり話をそらしてしまった。何か用なのか?」


「はい、本の競売が終わりましたので、そのご報告ですね。振り込みはまだ先ですが、後日、セラさんのギルドカードへ振り込みますので、その書類を持ってきました。いくつかサインをお願いします」


 スタロは書類をテーブルに広げた。そしてセラにペンを渡す。


「ここにサインすればいいのかしら?」


「ええ、あと、こことここですね。セラさんは魔力が相当減ったそうですが、サインに魔力を込められますか?」


「それくらいは大丈夫よ」


「それでは、最後に、そのサインを――はい、これで問題ないですね。では、こちらがその金額になります」


 スタロがセラに紙を渡した。


 セラがそれを見ると、動かなくなってしまったようだ。あまりの金額に驚いたという事だろうか。


 覗き込むようにしてセラの持つ紙を見る。


 そこにはえげつないほどの値段が書かれていた。国宝級の魔道具並みだな。


「いやぁ、最後はオリン国とトラン国の一騎打ちでしたね。ロモン国も最後のほうまで食い下がって三つ巴の戦いだったのですが、途中で脱落してしまいました。やはり金銭的には及ばなかったようです。最終的にはオリン国が勝ちました。個人的には魔法国家が持つべき物だと思ったので良かったですよ」


 初代魔女であるヴァイアがモデルの本だからな。オリン国にあるのが何となく正しい様に思える。だが、問題はそこじゃない。競売に参加している奴らがおかしい。


「なんで国が競売に参加してるんだよ」


「状態がいい上に、『恋愛魔導戦記』の初版本ですよ? さらには初代魔女だけでなく、各国の有名人がモデルとして出ている本だと今回証明されましたから、どの国も欲しがっているんです。そうそう、作者の魔族は誰だと検証が行われているそうですね」


「余計な情報をリークしたら大変な事になると思えよ?」


 スタロは高速で首を横に振った。分かってくれているなら何よりだ。


「まあ、セラも良かったな。そのお金があれば、老後は安泰だ」


「……あの町、全部買い占められるわね……」


「故郷を所有してどうする。そんなことよりもパン作りの設備を整えろ。窯とか結構するんじゃないのか? ドワーフとか作るの上手そうだけど、なんなら鍛冶師ギルドのグランドマスターにでも頼んでみたらどうだ?」


「いいわね! それに家は千年樹の木材で作ろうかしら!? そういえば、フェルはエルフの知り合いがいたわよね!?」


 かなり食いつかれた。紹介するのは問題ないけど、やってくれるだろうか。


 そんな私とセラのやり取りを見ていたスタロがメガネの位置を整えてから微笑んだ。


「セラさんには色々と幸せそうな未来が待っているようですね。初めて会った時はこんな風になるとは全く思っていませんでしたが」


「……そうね、私もこんな未来になるとは思ってもいなかったわ。あの時は私に未来はないと思っていたから……」


 いきなり辛気臭い雰囲気になった。こんなにお金が入ると言うのに。


「お腹の子に影響がでるからもっと楽しいことを考えろ。こんなにお金が入るんだから、今日はやっぱりセラの奢りだろ?」


「そ、そうね! 今日はルゼちゃん達もアビスから戻ってくるんでしょ? なら今日の夕飯は全員に奢っちゃうわ!」


 おお、太っ腹だ。


「もちろんスタロさんもね。奥様と一緒にいらして」


「そういうことなら、ぜひにでも。ハニー……嫁もセラさんのお腹の子を気にしているみたいでしてね。赤ちゃん用の服を作ってあげると息巻いていましたよ」


 ハニーは聞かなかったことにしよう。まさかとは思うけど、ディアのときみたく、ダーリンとか呼ばれていないよな?


「そういえば、そういうのを全く考えてなかったわ。奥様に相談させてもらっていいかしら?」


「ええ、伝えておきますよ。では、まだ仕事がありますので……夜にまたお会いしましょう」


 スタロはそう言って書類を手に持ち、食堂を出て行った。


 それを見送った後、セラはこちらを見て微笑んだ。


「私、今、幸せよ。そのすべてがフェルのおかげ。どんな感謝の言葉もそれでは言い表せないくらい」


「言葉はいらん。心の中でそう思ってくれれば十分だ。でも、そうか。セラが幸せなら、私も嬉しいぞ」


「……ええ、でも、フェルの幸せは――」


「気にしなくていい。私にもいつか幸せを感じられる時がくる。それはセラよりも大きな幸せだぞ? 遥か遠い未来のことだけどな――そんな顔するな。笑っとけ。それに今だって小さな幸せはある。今日の夕飯がセラの奢りになったこととかな」


「……分かったわ。なら私はフェルに小さな幸せを出来るだけ与えられるようにする」


「頻繁に奢ってくれるという意味か?」


「違うわよ! ……あれ? そんなのでいいの?」


 でも、よく考えたら、それってヒモみたいだから嫌だな。たまに奢って貰うだけにしよう。

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