夢と現実

 

 セラが妊娠している。あの人と自分の子だと言った。


 セラは二十歳のころに不老不死の体になった。成長することがない体では、お腹の子も成長しないということか。だからセラの子供は永遠に生まれない。


 千年も前からセラはこんな苦悩を抱えていたわけか……!


「なんで、なんで言ってくれなかった! お前がそんな状態だと知っていたら――!」


「知っていたとしても、フェルになにか出来た?」


「そんなこと分かるか! だが、なにか出来たはずだ! 私にはできなくても、アビスやほかの誰でもいい! なにか手段があったはずだ!」


 セラは涙を拭って、笑顔になった。


「フェルならそう言ってくれると思ってたわ。でも、無理よ。私が勇者である以上、この子を産むことはできない。不老不死はそう言う物だもの」


「だからって諦めてどうする! アビス! なにか手段はないのか!」


 アビスは首を横に振った。


「……残念ながらどうすることもできません。旧世界では全員が不老不死で子供を産めない体になっていました。なので、出産に関わる技術は不要な技術として失われたのです。図書館にも情報はありません」


「くそ!」


 なにか、なにかないのか? セラの苦悩を解決してやれる方法が、なにかあるはずなんだ。


「フェル、いいのよ。この子の事は気にしないで」


「そんな訳にいくか! 全然気付かなかった。お前がそんな苦悩を抱えていたなんて、この四百年全く分からなかった。何が親友、何が家族だ。私はお前の事を何も――」


「そんなことないわ。フェルは私の事をよく分かってくれている。それに前にも言ったでしょ。これは私の問題。私がどうにかしないといけない問題なの。そんなことよりもね、フェルには聞いて欲しい事があるの」


 聞いて欲しいこと……? 何を聞いて欲しいのだろう?


「何を、聞けばいいんだ?」


 セラは笑顔になって、自分のお腹をさすった。


「この子の事よ。紹介するって言ったでしょ?」


「紹介……? セラとあの人の子だと聞いたが?」


「それだけじゃ紹介にならないでしょ。この子のこと、全部教えるわ。この子はね、ものすごく美人な子なのよ! もう、村で引く手あまたになるくらいすっごい美人になるの!」


「セラ、お前、何を言って……」


 いや、夢の話か? セラが六百年見ていた夢では娘がいた。そのことを言っているのか?


「私と二人でね、美人母娘なんて言われて、店の看板娘だったのよ? 娘見たさにくる男性客が多くてね、売り上げにものすごく貢献してくれたわ。あ、もちろん、私のファンもいたのよ?」


「看板娘? 客? なにか、店をやっていたのか?」


「ああ、言ってなかったかしら? あの人はパン職人でね。あの人が作ったパンを売っていたのよ。評判が良くてね、別の村からもわざわざ買いに来てくれる人がいたくらいなんだから」


 職人とは聞いていたが、パン職人だったのか。


「あの人の作るパンはものすごく美味しかったけど、それだけじゃ飽き足らず、毎月のように新しいパンを考案していたわ。そのパンを評価するのがこの私。新作のパンはいつも私が最初に食べたのよ?」


 それは現実なのか? それとも夢なのか? セラ、お前はいま、どの記憶を言っているんだ。


「新作のパンをね、美味しい、って言うと、あの人は照れくさそうに笑ったわ。その笑顔が私は好きだった。あ、でも、笑顔が見たいからと言って全部美味しいなんて言わなかったわよ? こう見えて、味にはうるさいんだから」


「……ああ、そうだったな」


「パン屋が軌道に乗って数年後、この子が生まれた。あの人、この子が生まれた時、男泣きしたのよ? 泣きながら、恐る恐るこの子を抱きかかえたわ。そしてありがとうって言ってくれた」


 その子は生まれていない。それは夢の話なのだろう。セラが幸せだった夢。


「この子はすくすく育ってね。十歳になる頃には家事、炊事、洗濯、なんでもやれるようになったわ。私はそういうのが全くできなかったから、やろうとするとこの子が怒るのよ? お母さん、危ないからやめてって。失礼しちゃうわよね」


「そうだな。セラは何もできなかった気がする」


「でもね、ギリギリ編み物だけはなんとかなったのよ? セーターを編んであげたら、微妙な顔をしつつもちゃんと着てくれたんだから」


「そうか、いい子なんだな」


「ええ、いい子よ。それにこの子ったら、将来パン職人になるって言いだしたの。もう、お父さんがはしゃいじゃって。態度には出ていなかったけど、私には分かったわ。頬が痙攣していたの。あれは喜びたいのを我慢していたのよ」


 お父さん、というのはあの人のことか。普段はそう呼んでいたのだろう。確かあの記憶の映像でもそんな風に言っていた。


「でもね、問題があったのよ……」


「問題?」


「あの子ね、パン職人としてメキメキと実力を付けたんだけど、三十になっても男っ気が無かったのよ? 村一番の美人なんて言われていたのにね。そしたらある日、お父さんがこの子に『お前、付き合ってる男とかいないのか』って言ったのよ」


「それで、どうなったんだ?」


「この子、『いない』って言ったわ。でもね、私はピンときた。彼氏がいるってね! 少しだけ頬を染めたのが分かったのよ。お父さんは分からなかったみたいだけど」


「実際にいたのか?」


「いたわ! なんとその数か月後に、男の人を連れて家に来たのよ! そうしたら、いきなりお父さんに『娘さんをください』って言いだしてね! もう、修羅場よ、修羅場!」


 セラは随分と嬉しそうに話をしている。そういえば、スタロの結婚話でそんな話を聞いたか?


「たしか、あの人と同じ雰囲気の男だったと言ったか?」


「覚えていてくれたのね? そうよ、お父さんと似たような男性を連れて来て、ああ、この子は私の子だってすごくうれしかった。その後、色々あったけど、二人は結婚したわ。お父さん、結婚式でまた号泣よ。でも、その時は私も泣いたわね。だって、この子ったら私への感謝の手紙を読み上げるのよ? そんなの耐えられるわけないじゃない」


「……ああ、そうだな」


「今度はね、四人でパン屋を切り盛りすることになったわ。でも、すぐにこの子は戦力外になるの」


「なにかあったのか?」


「この子に子供が出来たの! 孫よ! 私の孫!」


 セラは本当に嬉しそうにしている。それが夢であっても嬉しいのだろう。


「可愛かったわ。この子よりも可愛いと思うくらい。しかもよ? その子、私にそっくりなの!」


「セラにそっくりなのか?」


「ええ、本当にそっくり! もうね、この子より、可愛がったわ。この子ったら孫を甘やかせすぎだって怒るのよ? 酷いわよね?」


「そう、だな」


「幸せだったわ。この子がいて、あの人がいて、孫もいる。もちろんこの子のお婿さんもね。その幸せを一番感じられたのが、私が老衰で死ぬ時よ」


「……そう、なのか?」


「ええ、だって、皆がベッドの周りにいてくれるのよ? お父さんと、この子、それに孫のみんなが手を握ってくれているの。そしてこの子が『いままでありがとう』って言ってくれたのよ? こんなに幸せな事はないわ」


「……そうだな」


 そしてまた同じ人生を繰り返すのだろう。ずっと同じ夢を見るはずだ。セラが思う幸せを何度も繰り返し見る。それを六百年、繰り返したはずだ。


「この子の事は分かってくれたかしら? いい子でしょ?」


「……ああ、いい子だな。さすが、セラの子供だ」


「ええ、自慢の子よ。でもね、フェル。それは全部夢よ。夢なの……」


 セラの声が険しいというか怒気をはらむようになった。こんな声は初めて聞く。


「現実は違うわ。あの人はこの子の事を知らずに亡くなった。私に謝りながらね。そしてこの子は生まれてもいない。この子にだって、好きな人ができて、結婚して、子供を産むことだってきっと出来たのよ?」


 セラから殺気が溢れている。殺気だけで人が殺せそうなほどだ。


「そんなあり得たかもしれない未来……それを人間共は奪った! 私だけなら、私だけならまだ許せた! でも、私の家族全ての未来を奪ったのよ! 許せるか! 許せるものか!」


「セラ……」


 セラは肩で息をしていたが、一度だけ大きく息を吐いた。セラから殺気が消える。少し、落ち着いたのだろう。


「フェル。私はね、この子の事、五十年も知らなかったの」


 五十年、知らなかった?


「迷宮都市が村だった頃、フェルや魔王君と戦ったでしょ? あの後、私は魔王君から逃げ出した。覚えているわよね?」


「ああ、覚えている。魔王様を信用できないと言っていたな」


「そう、そしてフェルと話をした後、すぐにイブを探したわ。そして見つけた。いえ、向こうから接触してきたわ」


 あの後の話か。


「私はイブを殺そうとしたわ。私に何かしていたんですもの、当然よね。でも、その時に言われたの。『私ならお腹の子を産ませてあげられるわよ』ってね。私はその時に初めて知ったのよ、自分のお腹の中にあの人との赤ちゃんがいるって」


「イブがそんなことを……」


「私は歓喜したわ。子供がいることに、そしてその子を産めることにね。でも、それにはイブの手伝いをする必要があった。フェルの体を奪うのに協力しろと言われたの」


「そうだったのか」


「葛藤したわ。あの時はフェルとそれほど一緒にいたわけじゃない。でも、フェルを差し出して自分が幸せになってもいいのかってずっと悩んでた。そんな時、フェルから念話を貰ったの」


 確か女神教へ攻め込む前だったような気がする。その時にセラへ念話を送ったはずだ。


「フェルとの会話で心を決めたわ。フェルには悪いけど、貴方を殺すわけじゃない。幸せな夢を見続けるなら悪くないと思って、この子を産むためにイブに協力した。もしかしたらイブの嘘かもしれないけれど、私はそれに賭けることにしたの。ごめんなさいね」


「昔の事だ。気にしなくていい」


「ありがとう。でもね、最終的にイブは貴方に負けて、私はこの子を産めなくなったわ」


「……もしかして、私を恨んでいるのか?」


「そんなわけないでしょう? 最初に裏切ったのは私よ。むしろ、私が恨まれても仕方ないことをしたのよ?」


「さっきも言ったが、昔の事だ。気にするな」


「私はフェルの優しさの上に胡坐をかいているのかしらね? 本当にありがとう。ただ、分かって欲しいの。私は母親としてこの子のためにできることが一つしかなくなったのよ」


「一つしかないとは何だ?」


「選択肢は二つあったわ。一つはこの子を産むこと。でも、それはイブが負けたことで出来なくなった」


「……もう一つは?」


「もちろん、復讐よ。この子の未来を奪った奴らに復讐を果たす。私がこの子のためにしてあげられる唯一のことなの。フェル、私からもお願いするわ。魔王君を諦めて。私はね、あの人やこの子の人生を狂わせた元凶が生きていると思うと、狂いそうになるのよ」


「セラ……」


「夢を見るの。この子の夢よ。夢の中でこの子はね、『どうして産んでくれないの』って言うの」


 もしかして、それがセラの言っていた悪夢のことなのか?


「謝るしかないのよ。ずっと、ずっと夢の中で謝り続けるの。私が勇者で、不老不死で、成長しないから、貴方を産めないの、ごめんなさいって、何度も、何度も謝るのよ。その夢を毎日見ていたわ」


「毎日なのか……」


「でもね、その夢をぱったり見なくなったの」


「……どうして?」


「私がね、魔王君を殺そうと思った日から見なくなったのよ。その時に思ったの。この子は復讐を望んでる。魔王君を殺せと言っているんだって。私が母親としてこの子にしてやれることは、これしかないってそう思ったのよ」


 夢は自分の願望を見せるはずだ。もしかしたら偶然だったのかもしれないが、そうすることでお腹の子が喜ぶとセラは思っているのだろう。確か、村長も娘さんの夢を見ていたが、ちょっとしたきっかけで見なくなったはずだ。


 だが、それを今更セラに言ったとしても、止まらないだろう。なら、やるべきことは一つだけだ。


「フェル、私の事情は話したわ。返答を聞かせて。魔王君を諦めてくれる?」


「確かにお前の事情は分かった。お前の辛さを理解しようとしたが、おそらくお前の気持ちを半分も理解できないだろう。いや、人界でも魔界でも、だれもがお前の事を完全に理解できる奴なんていないだろうな」


 セラは黙って私の言葉を聞いている。期待した目で見ているのだろうか、それとも答えは分かっているのだろうか。


 ……いや、分かっているな。セラは私の事を分かっているはずだ。


「セラ、昔、私に聞いたことがあったな。魔王様とお前、どっちを優先するのか、と」


「……ええ、覚えているわ」


「答えはあの時と変わらない。私は魔王様を優先する。悪いな」


 セラは笑顔になった。


「悪くなんてないわ。それでこそフェルね。そう言うと思っていた……でも、私も同じよ。あの人よりはフェルを優先してもいいけど、この子よりは優先できない」


「もちろんだ、そうしてくれ……セラ、実を言うと、お前とはいつかこうなると思ってた」


「奇遇ね。私もそう思っていたわ。親友だからって手加減はしないわよ?」


「それはこっちのセリフだ。私は必ず魔王と勇者のシステムを凌駕して見せる。なめてかかると瞬殺するぞ?」


「フェルを相手になめるわけないでしょ? でも、そうね、システムを凌駕するほどの奇跡を見せて欲しいわ。そうすれば私も諦めるかもしれないわよ?」


 いいことを聞いた。必ずセラに勝とう。そして魔王様はもちろん、セラも救って見せるぞ。

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