閑話 遅れてきた主役

 

 その部屋は異様な雰囲気に包まれていた。


 円卓を囲むように座る七人の老若男女。その誰もが円卓の中心にある本を見つめている。


 人界最大の大きさを誇るダンジョン「アビス」。そのダンジョンの最下層で発見された日記を検証するために集められた七人。その七人がお互いを意識しながらどうするべきかを思案していた。


 一週間かけてこの日記を読み終わった直後だった。だが、誰も何も言わない。この状態が先程からずっと続いている。一通り日記に目を通し、お互いの立場や状況、そして日記の筆者との関係を知っているからだ。


 喜ぶ者、嘆く者、考える者、本に対する感想や評価はそれぞれ違うが、全員が日記に対して何らかの意見を持っている。だが、その意見と相対する相手がいるのも理解していた。それが沈黙による牽制となって異様な雰囲気を作り出していたのだ。


 その緊張感に耐えられなかったのか、一人の少女が手を上げる。全員が注目した。


 聖人教の聖女アルマ。多くの大人たちに囲まれている上に、年齢が一番若い。にも関わらず、毅然とした態度でいる。その少女が深呼吸をしてから言葉を放った。


「燃やしましょう。これは禁書です。存在してはいけません」


 日記にはアルマが信仰する聖母リエルの事が書かれていた。最初は修道女としか書かれておらず、行動は破天荒。宗教は違うが、修道女が聖女だと書かれた時には同じ聖女として嫌悪感があったほどだ。


 その修道女の名前がリエルと判明した時に、アルマは椅子から転げ落ち呼吸困難に陥った。書かれている聖母は自分の想像と掛け離れた人物だったからだ。名前が判明してからは、アルマは魂が抜けたようになっていた。


 だが、アルマは徐々に気持ちを持ち直す。確かに酷いことが書かれている。それでも日記の筆者はリエルに全幅の信頼を置いている様だった。日記に書かれている聖母は結婚願望が強すぎるし、色々と行動も酷い。しかし、その心は素晴らしい人だったと書かれている。


 他人のために、そして子供達のために色々とやっていたことはまさに聖母。アルマはそれを誇らしく思い、聖母への信仰を取り戻した。


 しかし、だ。聖母を何とも思っていない人がこれを見たらどう思うか。それを考えただけでもまた呼吸困難になりそうだった。


 そうはさせない。聖母様を守るのはこの私だ。そんな風に決意したアルマの言葉が「燃やしましょう」だった。


 アルマのその言葉に真っ先に反応したのは魔王アールだ。


「嬢ちゃん。悪いがそんなことをさせるつもりはないぞ。これは魔族にとって聖書に等しいものだ。燃やすなどという事は、儂だけでなく、魔族全体を敵に回すことと知るが良い」


 これは魔族にとっての神、魔神が書いた日記なのだ。それを燃やすのは神を冒涜する行為。それは神をも恐れぬ所業。目の前でそんなことをされてしまったら、どんなに償おうとも償えない。


 アールは最初、この日記に興味を持っていなかった。日記の中で筆者の名前は出ない。しかも筆者は魔王の従者であると書かれており、さらには魔王の事があまり書かれていない。それほど重要な物ではないと判断した。だが、途中から雲行きが変わる。本当の魔王は従者である筆者の方だった。


 そして日記の最後に書かれている名前。それを見た時にすべてを理解した。


 魔王に伝わる二つの名前、フェルとセラ。


 先代の魔王を打ち破った時に瀕死の重傷を負わせてしまったため、その名前を受け継ぐことが遅れた。そのせいという訳ではないが、人界へ侵攻しようとして、魔神自らに片方の角を折られるという不名誉を受けたのだ。しかもそのことが日記にしっかりと書かれている。


 自分の不名誉が日記に書かれているとはいえ、魔神の日記を燃やされでもしたら、もう一本の角を折り、魔王を辞めて死ぬしかない。自分は既に愚者。生きるも死ぬもそれは変わらない。だが、これ以上の愚者になるつもりもない。そんな気持ちでアルマの提案を却下した。


 魔王が反応すれば、当然、勇者も反応する。


 勇者ナキアは頭をフル回転させていた。どうやって自分の都合の良い状況に持っていくかを。


 自分の先祖である簒奪王アンリ。そのアンリの事が日記に書かれている。そして自分の持つ剣、聖剣フェル・デレについても。さらには自分を助けてくれた人がこの日記の筆者であることを確信した。なにせそのことが日記に書かれているのだ。


 先祖や自分を助けてくれた恩がある。それについてお礼をいいたいとは思う。だが、ナキアにはもっと優先するべきことがある。自分が目指した最強の者と戦い、勝利することがナキアにとって一番重要な事なのだ。


 ならば答えは一つしかない。恩人であるフェル、それに魔王と戦うためにやるべきことは一つだ。


「この日記はトラン国が言い値で買わせて頂きますわ。もし、この日記が欲しいと言うなら私と戦って奪い取るしかありませんわね」


 ナキアの言葉に反応するように、アールから魔力が漏れ出した。一触即発の状態だ。


 それはそれとして、「言い値で買う」、その言葉に反応した者がいた。


 一人は迷宮都市の市長スタロ。


 嫁の実家である大ブランド「ニャントリオン」。その創始者であり、自分の祖先でもあるディアの事が日記には書かれている。だが、それが書かれているからと言ってニャントリオンが買う訳ではない。迷宮都市で買い取る必要もない。


 値段がいくらになるかヒヤヒヤしていたが、この場でも欲しがっている人がいる上に、トラン国が言い値で買ってくれるなら何の問題もない。


 スタロは脱力しながら、これで暗殺者から狙われることも無くなる、そんな風に考えていた。それに嫁へ面白い土産話ができたと心に余裕ができるほどだった。


 そしてナキアの言葉に反応した者がもう一人。魔女であるルゼだ。


 日記には初代魔女ヴァイアの事が書かれている。日記の最初の方は雑貨女としか書かれていない上に、激レア駄目スキル「魔法行使不可」を持っているなんて最悪だ、と同情していた。しかし、ルゼのその同情は裏切られる。


 初代魔女は自力で魔道具を作り出すスキルを取得しており、現在では基礎と言える術式を多く生み出してたと日記には書かれているのだ。魔女を誇りに思うほど感動した。


 さらにはその初代魔女を助けた日記の筆者であるフェル、それが自分の師匠なのだ。嬉しさで叫び出したい気持ちを抑えることができず心のままに叫んだ。みんなに驚かれたのは恥ずかしい思い出だ。


 でも、重要なのはそれじゃない。ルゼにとって重要なのは日記に書かれているとある恋の話だ。


 初代魔女が出会った一人の兵士。その二人の恋愛物語。第三者からの視点でしかないが、これは燃える。愛読書の「恋愛魔導戦記」のベースとなっている物語、つまりオリジナルの内容が日記に書かれているのだ。


 是非とも読み返したい。そして所有したい。ルゼはそんな衝動に駆られていた。


 魔術師ギルドで買い取る。それは絶対だ。そのためにナキアを倒すしかない、そんな風にルゼは考えていた。


 安心しきっている一人と、不穏な気配を醸し出す四人だが、この場には状況を見定めるために押し黙る二人がいた。


 一人は教授と呼ばれているアビスだ。


 一週間、どうすることもできずに日記が読み終わってしまった。アビスはすました顔をしているが、内心は冷却装置がフル稼働している。隙を見て日記を最下層へ転移させるはずだったが、そのタイミングが全くなかったのだ。


 寝静まった後に奪おうとしたら、スタロが日記を見つめながらブツブツ言っていて目を離さなかった。


 アールは途中から日記を大事そうに守ろうとするし、逆にアルマは何度か日記を燃やそうとした。


 ルゼもヴァイアとノストの恋愛に関するページだけ読ませろとうるさく、勇者ナキアも読みたければ私を倒しなさい、と変なことを言って常に誰かが日記のそばに居たのだ。


 そんなこともあり、特に日記に対して何もしていなかったフェレスに好感度が上がったくらいだった。


 そして今の状況。この状況で日記を奪還するための方法を演算をしているが、いまだに答えが出ない。このままではシャットダウンするんじゃないかと思うほど、アビスには負荷がかかっていた。


 そして、状況を見定めているもう一人、冒険王フェレス。


 腕を組み、目を閉じて考えている。


 この日記の内容が本当なら、筆者は不老不死。いまも生きているのだろう。持ち主が生きているのに売り買いなんてできないはずだが、なぜ、ここにいるメンバーは売買が可能だと思っているのだろうか。それに気づかないのか、とフェレスは周囲を冷めた目で見ていた。


 フェレスはそれをわざわざ言うつもりはない。そんなことよりも考えなくてはいけないことがフェレスにはあったからだ。


 日記に書かれている状況を見ると、フェルの言う「魔王様」は永久凍土の遺跡で眠っている。その遺跡は一ヶ月ほど前に永久凍土で発見した遺跡で間違いない。


 依頼主はその遺跡に関しても詳細な情報を持っていた。だが、どう考えても依頼主はフェルではない。場所を知っているフェルが、そんなことをする必要はないからだ。


 誰が自分に遺跡を探させたのか、という考えがフェレスの頭を支配した。


 気になるのは日記に書かれている「嫌な奴」だ。名前がでることはなかったが、状況から考えると、勇者である可能性が高い。そして「嫌な奴」は、「魔王様」の命を狙っている可能性がある。


 フェレスは一つの結論に行きつく。依頼主は「嫌な奴」、つまり「勇者」ではないだろうか。勇者は自分を使って魔王の居場所を探させていた。そして見つけた。


 なら、勇者が次にとる行動はなにか?


 フェレスはその疑問を皆に問いかけることにした。


「聞いて欲しいことがある」


 フェレスのその言葉に全員が黙る。フェレスは日記の検証中にほとんど何も言わなかったので、発言に驚いたのだ。


 フェレスはその沈黙を肯定とみなして言葉を続けた。


「気になったのだが、日記に出てくる『嫌な奴』というのは――」


 フェレスはそこまで言いかけて止まった。フェレスだけではない。全員が止まった。


 なぜなら、その部屋に巨大な門が現れたからだ。


 誰もが理解した。この門の向こうに誰がいるのかを。


 全員が見つめる中、門が音を立てて開きだした。

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