魔神物語

 

 ウロボロス第三階層の大広間で宴の準備がされている。


 シシュティ商会のいいなりになる必要がなくなり、大量の食糧が手に入ったので久々に騒ごうという話になったそうだ。


 私が持って来た食糧は魔界で生活するための食糧だが、そういう使い方でも特に問題はない。


 色々とうっぷんが溜まっていたのだと思う。すべてが解決したわけではないのだが、そういう日は必要だと思うし、今の私がああだこうだと注文するのもよくないので、羽目を外さない程度ならいいんじゃないか、と魔王ランダムに言っておいた。


 それに楽しそうな仲間達を見るのは嫌いじゃない。雰囲気を楽しませてもらおう。


 そんなことを考えていたら、宴の準備が整ったようだ。


 ランダムがステージの上に出てきた。騒いでいる皆の前で右手をかざし静かにさせる。


「話は聞いておると思うが、改めて言おう。今日はシシュティ商会と縁を切ることができた素晴らしい日である。それを祝うための宴を催すことになった」


 ランダムがそう言うと、魔族達から歓声が上がる。


「だが、知っておいて欲しい。今回は魔神様が全てを対処してくださった。本来、我々でやらなくてはいけないことを代わりに対処してくださったのだ」


 私の名前や、私が魔神であることは言わないようにと伝えてある。褒められたり、尊敬されたりされるのは嫌いじゃない。でも、私は自分の都合で魔王を辞めた無責任な魔族だ。いまさらノコノコと出てくるなんて恥さらしも同然だ。


「魔神様というのは、実在しないと聞いておりますが?」


 一人の魔族がランダムに向かってそう言った。周囲の魔族からもそれに同意する言葉が口にする。


 ランダムはまた右手をかざして皆を黙らせた。


「魔神様はいらっしゃる。魔神様のおとぎ話は知っておるじゃろう? 多少脚色はあるが、我々をずっと見守ってくださっているのは本当じゃ。そうでなくては百年にも及ぶシシュティ商会との悪縁を切ることなどできまい?」


「それでしたら、魔神様は今この場にいらっしゃるのですか?」


「いや、おらぬ。魔神様はシャイじゃからな」


 魔族達の間で笑い声が起きた。いや、まあ、シャイであるような気もするけど、名乗らないのはそういう理由じゃないんだけど。


「それに知っておるじゃろう? たとえ魔神様がいらっしゃったとしても頼ってはいかん。そうでなければ、魔神様は際限なく自らを犠牲にしてしまうからな」


 なぜか皆が真剣な顔をして頷いている。なんで、そんなことは分かってます、みたいな顔をしているんだろう?


「さて、話が長くなったな。早速宴を始めよう。皆、コップを持つがいい」


 全員がコップを持って、お酒や水、もしくは牛乳などを注いでいる。なぜか私へ注ぎにきた魔族は有無を言わさず牛乳を注いだ。いや、いいんだけど、いま私の背を確認しなかったか?


「では、魔神様に乾杯!」


 ランダムの言葉に皆が唱和して、コップを掲げた。私もそれにならってコップを掲げる。それにしても魔神様に乾杯か。私が魔神だと知っている奴はいるからちょっと恥ずかしい。


 それはいいとして、私も何か食べさせてもらうか。どうやらバイキング形式だ。食べ過ぎないように気を付けよう。


 いくつかの料理を見て思ったんだが、随分とまともな料理っぽい。昔の魔族はこんなに凝った料理はできなかったと思うんだけど。とはいえ、あれから何百年も経っている。料理だって進化するか。


「お嬢ちゃんはちゃんと食べてるかい? 痩せてるんだからしっかり食べなよ?」


 新しい料理をテーブルに運んできた女性の魔族が私にそんなことを言ってきた。三十くらいだろうか。何となくだが、料理人という風体だ。


「ああ、いただいている。魔界にしては随分と凝った料理なんだな?」


「魔界にしては? 見たことがない魔族だと思ったら、人界で生まれた魔族だったのかい?」


「いや、魔界生まれなんだが、物心がついた時には人界にいたんでな」


 誰も知らない魔族ということなので、そういう設定にしている。


「そうだったのかい。なら知らないのは無理もないね。これらの料理はね、漆黒のヤトと言われる獣人が魔界に持ち帰ってくれた料理のレシピから作られているんだよ」


 漆黒のヤト。懐かしい名前だ。


「この名前は覚えておくべきだね。魔族のため、そして獣人達のために色々と頑張ってくれたありがたい方さ。一説には魔神様直属の部下だったとも言われているんだよ。魔族以外で尊敬する方は誰かと聞かれたら、この方の名前が出ることが多いね」


「……そうなのか。勉強になった。ありがとう」


 そう言うと女性の魔族は「なに、いいって事さ」と言って、厨房と思われる方へ移動していった。


 漆黒のヤト……もちろん覚えている。


 ニアに料理を習い、妖精王国の副料理長まで登りつめたほどだ。そしてニアのお墨付きをもらってからは、魔界へ戻り、教わった料理を魔族達に教えてくれた。その後は、魔界にいた獣人達を引きつれてウゲン共和国へ行ったんだっけな。ウゲン共和国でもヤトは英雄扱いだ。


 底の深いお皿から溶き卵のスープをスプーンですくった。「フェル様は卵料理が好きだから頑張って覚えたニャ」と言いながら作ってくれたのを思い出す。すくったスープを一口飲んだ。


 何となくだが、ヤトの料理を思い出せる。ちょっと味が薄めなのがヤトの料理の特徴だ。それでも味がしっかりしているという感じなのが不思議だ。素材の味を生かす、とかいう作法なのかな。


「こちらにいらっしゃいましたか」


 声がした方を見ると、魔王ランダムが立っていた。


「私にそんな口を利いたらまずいだろ? 普通に話せ、普通に」


「問題はありませんぞ。認識阻害もしておりますし、周囲には言葉が漏れないように防音空間にしておりますので」


「そうなのか? でも、魔王であるお前が私に近寄ってきたら、あの魔族は何だって事にならないか? 認識阻害でもそこまで万能ではないだろ?」


「フェル様は人界から儂が呼び戻した魔族ということなので問題ありません。部長達以外には人界の話を聞きたいとも伝えておりますので、ご安心ください」


 色々と手は打ってくれているのか。それならいいのかな。でも、場所は移そう。もっと端っこの方がいいだろう。


 大広間の端の方にあるテーブルに、ランダムと二人で座った。


「色々と手間を掛けさせてすまないな」


「何をおっしゃいますか。手間を掛けさせてしまったのは我々の方です。今回の件、本当に助かりました。下手をしたら人界へ攻め込む可能性がありましたからな。私もそろそろ歳でして、部長クラスの魔族を抑えきれないのです」


 軍部の部長であるアガレスか。どう考えても武闘派だよな。私が魔神であることと、シシュティ商会と縁を切れることが分かると、土下座してきたほどだったけど。


「それも含めて手間を掛けさせてる。もしかしたらお前だってシシュティ商会に攻め込みたかったんじゃないか?」


「そういう気持ちがなかったとは言えません。ですが、ウロボロスがいる限り不可能でしょう。それに我々魔族は魔界にいなくてはいけない理由がありますからな」


「すまないな。それも私のせいだ」


 オリスアやサルガナが、私のために魔界に残ると言い出した。私に手間を掛けさせるわけにはいかないと。


 あの時、無理やりにでもウロボロスを倒して人界へ移住するべきだったんじゃないかと思う。犠牲は出たかもしれないが、今よりももっといい環境を作ってやれたんじゃないかといまでも考えてしまう。


 ウロボロスの中はあの時よりも相当改善されたはずだ。でも、人界と比べるとまだまだだろう。これからも改善される可能性は高いが、それを待つよりも人界へ移住した方が早い。


 それにウロボロスが管理している大罪の称号はすべてジョゼ達が持ってアビスの中に居る。ウロボロスの戦力で言えば、今が最弱と言えるだろう。やれないことはないはずだ。


「フェル様、不穏な事を考えているのではないでしょうな?」


 ランダムが私の顔を覗き込んでいる。どうやら考え込んでしまっていたようだ。私が後悔しているのを見抜いたのだろうか。


「気になされますな。我々魔族が魔界で生きるのは、フェル様のためだけでなく、未来の魔族のためでもあります」


「未来の魔族?」


「はい、魔界は人界よりも美しかったと聞いております。それを何代か先の子孫に渡してやることができるのですぞ? それは素晴らしい事ではありませんか」


「そうかもな。魔界を浄化さえすれば、広大な大地に魔族が住むことも可能だろう」


 そうすれば自給自足が上手くいくかもしれない。牛や豚などの動物をウロボロスの外で飼う事もできるだろう。人界よりも広い大地で魔族達が繁栄する。それは悪くない未来だ。


 問題はそれが五千年も先の話なんだよな。魔族の皆に五千年も辛い暮らしをさせないといけないのは、色々とやり切れないものがある。


 ランダムはまた私の顔を覗き込んでいた。


「フェル様、ですからお気になされるな。当時の魔王から受け継いでいるのはフェル様の名前だけではありませぬ。フェル様が我々魔族にしていただいたこと、それも魔王は受け継いでおります。それにフェル様に守っていただきたい約束のことも」


「いつか浄化が終わった魔界を見て欲しいという約束のことか」


「その通りです。我々の先祖が選択し、それを我々が受け継いだ結果をフェル様にいつか見てもらいたい。それは我々魔族の夢でもあるのです」


「なんでそこまで思えるのかが分からないな。それにそんな約束は知らない者の方が多いんじゃないか? 魔族の夢というのは言い過ぎだと思うぞ?」


 ランダムは首を横に振る。そして宴をしている皆の方を指さした。


「これから余興として魔神物語の劇をやるそうです。我々魔族はあれを子供のころから聞かされているのですよ」


「魔神物語? 私の物語と言う事か? 何でそんなものが?」


「魔王ルネ様がされた人形劇を元にしています。どうぞご覧ください。それでご理解いただけると思います」


 ルネの人形劇か。魔神物語という人形劇は見たことがない。もしかしてルネはワザと私の前ではやらなかったのだろうか?


 まあいい、これを見ればわかる。私が主役ならちょっと、いやかなり嬉しいな。


 ステージの上では小さな子供達が集まっていた。多分、赤い髪の女の子が私の役なのだろう。さて、どんな話なのかな。




 魔界で苦しい生活を強いられる魔族の中から、新しい魔王が生まれる。


 その魔王は魔族の生活を改善させようと奔走した。


 数年が経ち、魔族の生活は改善されたが魔王は満足しなかった。


 そこで魔王は考える。自分が新しい神となれば、もっと魔族の生活を改善できると。


 魔王は七柱の神を倒して、新たな神、魔神となった。


 魔神は魔族達の生活を改善させるが、それでも満足できなかった。ついに魔神は自分が犠牲になって魔界の浄化を行おうとした。


 だが、それを知った魔族達は魔神を止めた。魔神の犠牲の上に生活が改善されても意味はない。それをさせないためにも、魔族達自身で魔界の浄化をするべきだとの考えに至る。


 魔族達は魔神にお願いする。我々が何年かかってでも魔界を浄化して見せると。なのでどうか犠牲にならずに魔神として魔族を見守っててほしいと、そう訴えた。


 魔神はそれを承諾して、魔族達を見守るようになる。


 時が過ぎ、美しい大地に魔神が立っている。その近くにはリンゴの木があった。魔神はその木から嬉しそうにリンゴをもぎ取る。そのリンゴを食べて満面の笑みになったところで劇は終わった。




 色々と言いたいことはある。本来の出来事とは全く違うが、それなりに正しい部分もあった気がする。この話をルネが作ったのか。


「いかがでしたでしょうか? 魔族は子供のころからこの話を聞かされるのです。我々魔族を魔神様はいつも見守ってくださっている。困ったことがあれば助けてくれるし、悪いことをすれば怒られる。そんな風に聞かされるのですよ」


 見守る、か。私はそれを放棄して夢に逃げ込んでいたけどな。


「私が魔王となり先代魔王から真実を聞いた時は心が震えました。あの話は本当だったのだと」


「事実とはずいぶん異なるけどな」


「細かいところはどうでもいいのです。重要なのはフェル様が魔神として存在し、我々のために色々とやってくださっていることなのですよ。先代魔王が言っておりましたが、いつもフェル様の事を皆に伝えたい衝動にかられたそうです。実は私もですが」


「やめてくれ。私は自分の都合で魔王を辞めた。お前達に尊敬されるような奴じゃない。魔王として名前を残す必要はない。魔王達の記憶にあるだけで十分だ」


「残念ですな。しかし、今回部長クラスにも魔神様がいらっしゃることがバレましたからな。それだけでも儂は嬉しいですぞ?」


 その気持ちに関してはよく分からないが、嬉しいなら何よりだ。


 私は自分にとって都合のいい夢の中に逃げた。魔界ではまだまだ苦しい生活をしている魔族がいると言うのに。こんなことじゃダメだな。もっとしっかりしないと。


 皆は魔神が魔族を見守っていると信じてくれているのだろう。魔神は架空の魔族だと思われてもいるが、尊敬もされているはずだ。


 私は尊敬されるような奴じゃない。でも、尊敬されている魔神にふさわしいような行動をとるべきだろう。本物を見たらガッカリした、なんてことになったら辛いし。


 どこまでやれるかは分からないが、皆の期待に応えられるような魔神になる様に一層努力しないとな。

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