選挙運動
市長の家、ではなく市役所と呼ばれる場所にやって来た。
村長の家があった場所だ。アンリが王になった時に村長達は村を離れた。そしてそれ以降の村長や町長がその家に住むことになったのだが、今はその面影もなく大きな建物になってしまった。
あの家でアンリの家族と食事をしたことを思い出すな……私が来た時は結構ピーマンが出ていたけど、アンリに克服させるためだったのだろうか。結局アンリはピーマンと和解することはなかったけど。
ふと、アビスの方を見ると、心なしか寂しそうに見える。アンリはアビスのマスターだからな。色々と思うところがあるのだろう。もしかしたら、私よりもこの迷宮都市の事を大事に考えているのかもしれない。
市役所の扉を開けて中へ入る。
外で見た限りでは三階建てくらいの大きな建物だったが、中に入るとさらに広く見える。正面には冒険者ギルドにあるようなカウンターがあって、そこに何人か座っているようだ。あそこが受付なのだろう。
私達以外にも客と言うか人がいる。受付の人と話をしているようだ。空いているのは――あの女性のところだけか。さっそく市長への面会をお願いしてみよう。
「市長に会いたいのだが」
受付の女性は胡散臭そうに私の方を見た。上から下まで姿を確認してからため息をつく。なんだか嫌な感じだな。
「面会のお約束はございますか?」
面会の約束? そんなものはない。
「いや、ない」
「では、面会のお約束を取ってからにしてください。空いている予定は……一ヶ月先ですね」
それじゃ市長選が終わってるだろうが。
「市長選の事で話がしたいんだ。だから一ヶ月先じゃ困る。なんとか会えないか?」
「ですから、その市長選で忙しいのですよ。市長は再当選を狙っています。その、言いづらいのですが、貴方は魔族ですよね? シシュティ商会に与する方と会ったとしてもメリットがないのですよ」
そうか、魔族と言うのはシシュティ商会に与する種族だと思われているんだな。まずはそれを払しょくしないとダメか?
でも、それだって時間はかかるだろう。できれば並行で進めておきたい。
そんな風に悩んでいたら、アビスが私の前に立った。そして受付嬢の方を見る。
「市長に、魔族のフェルが来た、と伝えてください。それで会うかどうかを判断してもらえばいいです。ダメなら帰りますので」
私は今の市長とまったく面識がないんだけど、私の名前を出して意味があるのか?
「そうですか、それで帰ってくださるのなら確認してみます。少々お待ちください」
受付の女性が魔道具を使いだした。おそらく念話の魔道具だろう。
「今、魔族のフェル様と言う方がいらしています。市長にお会いしたいとのことですが、お約束はない――は? すぐに会う?」
女性がびっくりしている。私もびっくりしているのだが、一体どういうことなのだろう。
「は、はぁ、丁重に案内するように、ですか? 分かりました……え、えっともう一人いらっしゃるのですが……」
女性がアビスの方を見て、言葉を出さずに口だけ動かした。「お名前は?」だと思う。
「アビスだ」
アビスと言う言葉に女性は一瞬怪訝な顔を浮かべたが「アビスと言う方です」と連絡したようだ。
「は? お二人とも失礼のないようにお連れしろ、ですか。わ、分かりました」
そう言って女性は念話を終えたらしい。そして恐る恐る私達の方を見る。
「あ、あのー、もしかして偉い方、なのでしょうか……?」
「いや、そういうわけでは――」
「この方は魔族の中でも相当偉い。時間を煩わせるな。早く案内してくれ」
私が否定しようとしたところ、アビスが話を進めてしまった。いや、確かに偉い方だとは思うけど。
「は、はい! す、すぐにご案内します!」
可哀想に。女性の顔が青くなっている。なんだか申し訳ない気分だ。
女性が急いでカウンターから出てきて「こちらです」と言った。どうやら案内をしてくれるようだ。
女性の後ろを歩きながら、アビスに小さな声で話し掛けた。
「おい、脅すような真似はするな。それにこっちが下手に出るべきだろう? 市長に面識すらないんだから」
「相変わらずですね。庶民派というかなんというか。でも、もっと強気に出てください。そんなんだから舐められるのです」
え? 私って舐められてるのか?
「フェル様は見た目、十五、六なのですよ。それに小さい。さらに今の魔族はシシュティ商会に使われるだけの種族と思われているのです。例えシシュティ商会の相手以外でも、もっと偉そうにしないといけません。時間はそれほどないのですから、使える権力は使っていきましょう。今まで時間を無駄にしてたのですから、それを取り戻すためにも、偉そうにするのが嫌だとか言わずに頑張ってください」
「……はい、すみませんでした。頑張ります」
時間を無駄にしたと言うのは間違いないんだけど、言い方ってあると思うぞ?
受付の女性に連れられて扉の前に着いた。そしてノックする。
「フェル様、アビス様をお連れしました!」
声がちょっと上ずっているな。偉い私をぞんざいな態度で扱ったから後で怒られるとでも思っているのだろう。
「入って貰ってくれ」
扉越しにちょっと高い声が聞こえた。中性的な声だろうか。男か女かいまいち分からない。
女性が扉を開けて「どうぞおはいりください」と促してくれた。少しだけ安心させてやるか。
「怒ってないから気にするな。市長に言うつもりもないから安心してくれ」
扉を開けて頭を下げている女性に対して、すれ違いざまに小さな声でそう言った。女性はビクッと体を震わせてからさらに頭を下げたようだ。まあ、これで大丈夫だろう。
部屋に入ると扉が閉まる。
部屋の中には三十代ぐらいの男……いや、違うな、女性だ。男装の麗人という感じだ。顔を見ると、なんとなくだけど面影がある。あの二人の子孫か。そうか、この女性が今の市長なんだな。
「……聞いていた話の通りです……燃えるような赤い髪にニャントリオンの執事服……フェル様、それにアビス様ですね。初めまして市長のエスカと申します」
「フェルだ。こっちがアビス。えっと、私の事を知っているのか?」
「それはもちろん。不老不死の魔族で、私達の先祖が結ばれるきっかけを作ってくださったとか。私がいまこの場にいるのもフェル様のおかげでしょう」
それは言い過ぎだと思うが、そのおかげで面会できたのだから良しとするか。
「それでフェル様、今日はどういった御用でしょうか? そもそも数百年前から行方不明と聞いていたのですが。受付嬢から名前を聞いて驚きました」
「そうだな、長い間、深い眠りについていた。だが、起きたら色々と問題が起きているようなので、解決しようと思っている。その一つが、シシュティ商会と不死教団の排除だ」
「なるほど……あ、それでは私に会いに来た理由と言うのは――」
「そうだ。市長選に立候補するのだろう? お前を勝たせて、シシュティ商会を潰す」
「ああ、なんということでしょう! 百万の味方を得た思いです!」
随分と演技掛かった喜びようだ。踊り出しそう。
「その話をしたくて会いに来たんだ。ただ、具体的な話は――」
「そこからは私が」
アビスが私の言葉を遮って前に進み出た。
「フェル様は別の仕事がありますので、私がエスカ様の秘書として選挙運動を手伝いましょう。あらゆる手段を用いて市長にさせて見せますのでご安心を」
「あまり派手にやるなよ? その、違法な手段も使う気なんだろう?」
「いいですか、フェル様。法とは勝った方が決めるもの。つまり勝てば違法じゃないのです」
「そういう考えは良くないと思う」
とはいえ、今回は仕方ないだろうな。相手が相手だ。正攻法で勝てるわけでもないだろう。まあ、アビスならその辺り問題なくやってくれるはずだ。
でも、私も何かしないと申し訳ない気がする。管理者達の事もあるが、選挙を全部任せっきりというのもまずいだろう。
「選挙運動に関してはアビスとエスカに任せるが、私にもやれることはあるか?」
「それでしたら、シシュティ商会から脅されている方達を助けてやって貰えませんか? どうやら私の対立候補に票を入れるように嫌がらせや脅しをかけてくる者がいるようでして、市役所で相談を受けているのです」
エスカがそんなことを言いだした。
「どこから相談されているんだ? すぐにでも向かおう」
「分かっている所では、ニャントリオン、ローズガーデン、妖精王国ですね。昔からある店や孤児院なので、そこの関係者は市民権を持つ者が多いのです。シシュティ商会はそれを狙って嫌がらせをしています。役人を送っているのですが、あまり効果がなく……」
「そうか、シシュティ商会はその辺りにも手を出しているんだな。分かった、引き受けよう」
皆が残してくれた大事な物、それが嫌がらせをされている。万死に値する行為だ。
「早速行ってくる。アビスはどうする?」
「行きます。秘書として選挙運動をしないといけませんので」
「そうか、選挙運動か……ならエスカ、細かいことは後でアビスと決めてくれ。これから私とアビスは選挙運動をしてくる」
「畏まりました。でも、申し訳ありません。お戻りになられてすぐにこのような依頼をするなんて……」
「気にするな。さっきの場所に手を出している奴がいるなら、選挙とは関係なく対応するつもりだからな。エスカの方も色々大変だろうが、次も当選できるように頑張ってくれよ」
エスカが「命に代えましても」と言って跪いた。いや、そこまでしなくていいんだけど。
まあいいか。なら早速移動しよう。まずはニャントリオンからだ。
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