魔女の子孫
浴室の鏡で自分の姿を見た。
化け物のように長くなった爪。立った状態で床に付くほどの長い髪。
自分の姿とはいえ、見ただけで気持ち悪くなる。でも、これが今の私なんだ。私の心を表していると言っていい。夢に逃げ、魔王様にすがり、最後には何もかも忘れようとした。そんな心の弱い化け物。
風斬の魔法を使ってどちらもバッサリと切った。そして念入りに焼却する。それだけの行為だが、いままでの私とは決別できるような気がしてくる。
あとは体を念入りに洗おう。自分では気づかないが、匂いがかなり酷いはずだ。石鹸一個丸ごと使い切るくらいに洗わないと。
暖かいシャワーを浴びながら手足を動かす。おそらく相当な時間を寝ていただろうが筋力の衰えはない。これは不老不死の効果なのだろう。すぐに動けるのはありがたいな。
でも、体は大丈夫でも、心は大丈夫じゃない。そんな気がする。
ヴァイアの名前を思い出して、その子孫の願いを聞いてやらなくてはいけない、そんな使命感で動けるようになっただけ。それが終わったら私はまた、眠ってしまうのではないだろうか。幸せな夢を見るために眠る。そんな状態に戻るのではないだろうか。
現実の私は孤独だ。ここは私がいるべき場所じゃない。そんな思いが拭えない。
せめて魔王様が生きていらっしゃることが分かれば、そんなことも思わないで済むだろうに。
そんなことを考えながら、体を隅々まで洗い、何度も頭と髪を洗った。
脱衣場で念入りに体を拭く。次は着替えだ。
寝る前に亜空間に入れていた服の一式は状態保存魔法の永続化で今でも新品同様だ。魔法を使っていなかったものは色々とボロボロだな。それだけの年月が過ぎたのだろう。
下着をつけ、シャツを着る。そしてズボンをはいてベルトを締めた。まずはこれだけでいいだろう。
浴室をでると何もない部屋だ。ベッドや机、椅子はあるが、他には何もない。
ベッドも机も椅子も新品のようだ。これはアビスがやってくれたのだろう。私が寝ている間もずっと新しいものに変えていてくれたのだと思う。爪や髪も切っておいてほしかったが、そこまでは気が利かなかったのだろう。
椅子に腰かけてから、ヴァイアが作ってくれた魔道具を取り出した。ありがたいことにこれはまだ使える。
コップに水を満たし、飲み干した。喉が冷やされるようで心地いい。それに体中に水分が行き渡る感じだ。
『フェル様、その、大丈夫なのですか? いくら呼び掛けても反応が無かったので、ずっと心配していたのですが』
アビスが恐る恐るという感じで話しかけてきた。ずいぶんと人っぽい反応だ。
「そうか、すまなかったな。大丈夫かどうかというと、まだ何とも言えない。ただ、やることができたのでな。眠っている場合じゃなくなった」
『どこかへ行くとおっしゃいましたが、どちらへ行かれるのですか?』
「ヴァイアの家だ。そこに住んでいるヴァイアの子孫から念話があった。どうやらヴァイアが困った時は私に念話を送れとメモを残しておいたそうだ。なので相談に乗ってやると言った」
『そんなことがあったのですか。でも、よく念話が届きましたね。チャンネルが正しかったとしても、フェル様は深い眠りについていたと思うのですが』
そういえば、何でだろうな。声が懐かしかったのか、ヴァイアという名前に反応したのか。
「理由は分からないが、念話は間違いなくあった。幻聴ではないと思う。確か魔術師ギルドのグランドマスターをやっているレヴィアと言っていた。魔女の称号を受け継いだとかも言ってたな」
『……調べてみましたが、間違いないようですね。ですが、魔術師ギルドですか』
「魔術師ギルドがなんだ?」
『いえ、私が説明するよりも、そのレヴィア様から聞いた方がいいと思います。おそらく相談がそのことだと思いますので』
「そうか。事前の知識は欲しい所だが、アビスがそう言うならそうしよう」
そういえば、どんな相談なのか聞いてなかったな。急ぎではないと言っていたが、どんな内容なのだろう。
『フェル様、行く前に一つだけ言わせてください。人界はあの頃より少しだけ変わりました』
「変わった? どんなふうに変わったんだ?」
『それはフェル様の目でご覧ください』
よく分からないが、なにか問題でもあるのだろうか。私がいた頃は平和そのものだったが、もしかしてどこかの国が戦争でも始めたのか?
「分かった。どんな風になったのかも見てこよう」
行く前に身だしなみを整えないとな。
靴下をはいてから靴を履く。ネクタイをしめてからベストを付けた。そしてジャケットを羽織る。
なんだろうな。下着だけのラフな格好よりもこの格好の方がしっくりくる。ディアやガープが作ってくれた服と靴だ。すこしだけアイツらを身近に感じるからかな。
最後に魔王様の小手を左手に着けた。小手のステルス機能が発動して透明になる。これで完璧だ。
「【転移門】」
エルリガにあるヴァイアの家近くに転移門を開いた。
「では、行ってくる。いつ戻るかは分からないが、連絡は入れるから心配しないでくれ」
『はい、お気をつけて』
アビスの言葉に頷いてから、転移門を潜った。
門を出ると、冷たい風が体を通り抜けた。ヴァイアに会いに来た時と変わらないな。今は冬なのだろう。空気が澄んでいるし、吐く息が白い。
高台にポツンと家があるのが見えた。ヴァイアの家だ。遠くから見た感じでは何も変わらない。
一歩一歩近づく。あの家にはまだヴァイアがいるような気がする。扉を叩けば、ヴァイアが出て来るんじゃないかと期待している自分がいる。そんなことはあり得ないのに。
ヴァイアの家に着く。ふと思い出して、庭の方を見た。残念ながら、庭にあったベンチはもうない。あの場所から見えるエルリガはまだあるのにな。
少しだけ寂しさを感じながら、扉を叩いた。
『はい、どちら様ですか?』
これはレヴィアの声だと思う。なぜか扉の横に付いている小さな四角いものから声が聞こえた。声を遠隔で出す魔道具か?
向こうがだれなのかを聞いているということは、両方向で使えるんだよな?
「フェルだ。相談を受けにきたんだが」
『え、嘘! こんなに早く!? あ、すみません! 今、開けますので!』
数秒後、ガコンと音がした後に、扉が自動で開いた。
『どうぞお入りください』
「わかった。邪魔するぞ」
しばらく見ないうちに、色々な魔道具が作られたのだろうか。ずいぶんと便利だとは思うけど、そこまで魔道具化する必要があるのか疑問に思うな。
家に足を踏み入れると、扉が自動で閉まり、鍵もかかったようだ。
客間にでも向かえばいいのだろうか。間取りは知っているが、ずっとあの頃のままかどうかは分からないのだが。
「お客様、こちらです」
「……ゴーレム?」
石でできたゴーレムが喋った? いや、口元に魔道具らしきものが埋め込まれている。これも遠隔で声を出しているのだろう。
ゴーレムが動き出したので、それについていくことにした。
確かに色々と変わったんだな。もしかしたら、ゴーレムを労働力として扱うようになったのだろうか。ヴァイアが開発した術式とかを応用すれば、そういう事も可能かもしれない。
ゴーレムの案内で部屋に通された。応接室だろうか。
そこには二人の人族がいた。二十代後半くらいの女性と、五歳くらいの女の子だ。
ああ、小さいヴァイアがいる。女性の左足にしがみついて、体を半分隠しながら、こちらを上目遣いで見ている姿は、まさにヴァイアを小さくした姿だ。
「ず、ずいぶん、お若いですね……? 失礼ですが、本当にフェルさん、ですか?」
「そっちもレヴィアでいいのか? 念話を送ってくれたよな?」
「はい、それは間違いないのですが、その、色々とおかしいですよね?」
「なにがおかしいんだ?」
「そもそもヴァイア様のメモは五百年も前の物です。なぜ貴方に念話が通じるのか……それに、どちらからいらしたんですか? エルリガに住んでいたわけではないですよね?」
五百年――そうか、あれからそんなに月日が流れたのか。私はそれだけの時間を夢に逃げていたわけだ……悔やむのは後だな。今はやるべきことをやろう。
「信じるかどうかは任せるが、私は不老不死でな。ヴァイアが生きていた頃から生きているんだ。それと、いた場所は迷宮都市だ。そこにあるダンジョンのアビスに住んでいる。すぐに来れたのは転移門を使って来たからだな」
レヴィアの顔がものすごいことになっている。小さいヴァイアは何のことか分かっていないようだけど。
「本物、なんですね……ヴァイア様が残したメモにそれっぽいことが書かれてはいたのですが……それに転移門ですか。失われた術式と言われているのに……あの、失礼ですが、不死教団の方じゃないですよね?」
「フシキョウダン? 不死の教団と言う意味か? なんだそれ?」
「不死教団というのは、不老不死を望む集団ですね。聖人教ほどメジャーな宗教ではないのですが、大変過激な教団でして、色々と問題を起こしているのです」
「不老不死を望むだと? 馬鹿が。不老不死なんて辛いだけだ。ともに生き、ともに死んでいけない苦しさを想像できないのか。残される恐怖から、死にたいと思っても死ねない体のどこがいいんだ」
そうは言っても、私も想像できていなかったのかもしれない。想像できていたなら、もっと色々やっていたはずだ。いまさらだけど。
吐き捨てるように言った言葉に、二人が怯えたようになった。いかん、怖がらせてどうする。
「すまない。お前達に怒ったわけじゃないんだ。その、不老不死の辛さはよく分かっているからな。お前達はそんな教団に入ろうと思うなよ」
「はい、大丈夫です。それにフェルさんの言葉を聞いて信頼できる人だと思いました」
「そうか……で、早速だが、相談とはなんだ? 何か困っているんだろう?」
色々と感情の抑制が効かない気がする。早めに話を聞いてやろう。アビスが言うには魔術師ギルドのことじゃないかとか言っていたけど、どんな問題があるのだろうか。
「実はこの子の事なんです」
レヴィアは小さいヴァイアの方を見ながらそう言った。少しだけ小さいヴァイアは体を震わせる。どうやら魔術師ギルドの事じゃないようだ。
私がそちらを見ると、目を合わせないようにレヴィアの後ろに隠れてしまった。私って怖いのだろうか。
「この子はフリートと言うのですが……」
どうしたのだろうか。レヴィアは言いにくそうにしている。
「フリートがどうかしたのか?」
「はい、これは他言無用でお願いします。実はフリートは魔法が使えないのです。魔力は将来私を凌ぐほどになりそうなのに、どうしても魔法が使えなくて……誰にも相談できなかったのですが、遺品の中からメモ帳を見つけたので、すがるような気持ちでフェルさんに連絡を」
理由は何となくわかる。フリートはヴァイアの見た目だけじゃなく、スキルまで受け継いだのだろう。
本当にヴァイアにそっくりなんだな。フリートには悪いが、なんとなく懐かしいような、嬉しいような、そんな気持ちになってしまった。
でも、当の本人は辛そうな顔をしている。
心配することはない。ヴァイアもそうだった。それでもヴァイアは歴史に名前を残せるほどの偉業を成したんだ。そんな自慢の親友の血を引いているお前がそんな顔をする必要はないぞ。
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