閑話 神様の部屋

 

 日も傾いた夕暮れ時、迷宮都市の東門を一人の男が通った。


 目元が確認できないほどフードを深くかぶり、背中には大きな大剣を背負っている。ただならぬ雰囲気になんとなく目を向けてしまう者は多いが、迷宮都市へ一攫千金を夢見てきた冒険者だろうと数秒後には誰もが興味を無くしていた。


 そんな状況を知ってか知らずか、男は少しだけため息をつくと、周囲を見渡した。そしてすこしだけ首を傾げた後、近くにいた相手に話しかける。


「道を聞いてもいいか。妖精王国という宿があると聞いているのだが、どこにあるのだろうか?」


「ああ、妖精王国ならその道を西に――ひっ!」


 背後から声を掛けたのが不味かったのだろう。男が話しかけた相手は十代後半くらいの少女だった。急に振り向いた少女は、男との身長差からフードに隠された男の顔を見てしまった。


 その顔は厳つく、傷だらけだ。初見ならまず驚く。男はしまったと思い、距離を取ろうと考えた。


「すまない。怖がらせてしまったようだな。そして恩に着る。この道を西だな?」


 自分は害を成さない。そういうアピールをしながら、男は後ずさりして少女から距離を取った。充分に離れたところで、男は頭をさげて、教えてもらった道を西に進んだ。


 歩きながら男はまたため息をつく。


 男に相手を怖がらせる理由は一つもない。だが、この強面が周囲に恐怖を振りまいてしまう。人が多い所ではなるべくフードを深くかぶり、顔を見せないようにするのはマナーだと考えていた。


「あ、あの、お待ちください!」


 男は最初自分の事を引き留めているのではないと思った。だが、声は先程の少女のものだし、何度も呼び止められている。男は念のためと思い、振り返った。


「ああ、良かった。怒っているのかと」


「俺に用なのか? まさかとは思うが、怖がらせてしまった時に怪我でもしたか?」


 男と対面した者はたまに腰を抜かす。その時に地面についた腰や手を怪我する者もいた。話しかけた少女は、驚きはしたものの、立ったままだったのでそういった怪我はないと考えていたのだ。


「そうじゃありません。まず、これを見てください」


 少女は平たい丸い物を男の眼前に持ってきた。男の顔がその丸い物に映る。


「これは鏡か? これが一体……?」


 男は鏡を見て気づいた。頬のあたりから血が流れて固まっていたのだ。


 男がここへ来る途中で戦ったワイルドボアの攻撃でついた傷だった。かなり大量のワイルドボアに囲まれたので、全てを捌くことができず、何体かの突撃を受けたのだ。


 男は鏡を見ながら手で拭ってみたが、すでに固まっているのか、細かい血の塊だけが剥がれ落ちただけだった。


「もう、そんなんじゃダメですよ。お兄さんは妖精王国へ行くんですよね? なら案内しますからそこでちゃんと消毒しましょう」


「いや、そこまでしてもらう訳には――」


「いいんですよ。妖精王国は私の両親がやっている宿なんですから。お客さん……なんですよね?」


「だが、いいのか? 俺は見ての通り強面だ。さっき悲鳴をあげただろう? 怖いんじゃないのか?」


「さっきの悲鳴はその血を見たからですよ。顔が怖かったわけじゃありません」


 少女は怒りながら男にそう言った。だが、その怒った顔もだんだんと笑顔になる。


 男は目の前の少女を不思議そうに見た。


 これまで男の顔をみた女性はほとんどが悲鳴を上げた。少ないが男だって悲鳴を上げる。だが、この顔であればそれは仕方のない事だと割り切っていた。しかし、目の前の少女は恐れるどころか笑顔だ。男はそれが不思議だった。


「私が怯えないのが不思議ですか?」


 男は考えていることを当てられて少し驚く。


「よく分かるな。その通りだ。俺の顔は怖い部類だからな。面識のない相手は必ずと言っていいほど怯える」


「ここは迷宮都市ですよ? 人界中から様々な種族が集まる都市です。お兄さんくらいの顔なんて怖いうちに入りませんよ」


 男は言われて気づいた。周囲を見ると多種多様な種族が道を歩いている。人族はもちろん、エルフ、ドワーフ、ドラゴニュート、獣人、そして魔物もいる。


「ね? 人族から見たらドラゴニュートの方なんて強面を通り越してますからね!」


 それは言い過ぎだとは思いつつも、男はなるほど、と納得した。


「それにうちの宿は冒険者が多いんです。そういう人達を相手してますから、お兄さんくらい余裕ですよ!」


「そうか」


 冒険者は強面が多い。冒険者ギルドのグランドマスターもそうだ。その冒険者達を見慣れているなら免疫があるのだろう。フェレスはそう理解した。


「色々と理解できた。なら案内してもらえるか? あと、傷の消毒をお願いしたい」


「もちろんです。さあ、行きましょう。あ、そうだ、お兄さん、お名前は?」


 少女は歩きだしてから、男の方を振り向いて聞いた。


「俺はフェレスだ」


「フェレス……? もしかして冒険王!?」


「その通りだが、あまり騒がないでくれ。目立ちたくない。でも、よく知っていたな?」


 フェレスは冒険者の中では有名だ。しかし冒険者ではない一般の人に知れ渡るほどでもない。この少女が知っていることに、フェレスは驚いた。


「さっきも言った通り、うちは冒険者御用達の宿ですからね。有名な冒険者の情報には詳しいんですよ。個人的に有名な冒険者のことが好きだということもあるんですけどね」


 その言葉を聞いてフェレスは思い出した。


 ここは迷宮都市。この都市の冒険者ギルドには多くのアダマンタイトが所属したのだ。それは冒険者ギルドの本部がある王都ヴァロンよりも多いことで有名だった。


「そうだ、フェレスさんはご存知ですか? 迷宮都市にいた伝説のアダマンタイト達の事を」


「もちろん知っている。冒険者の中にはそのアダマンタイト達にあやかりたいということで、信仰している者もいるからな」


 天候を操ったという人族。一撃で大地にクレーターを作ったドワーフ。一騎当千と言われた漆黒の獣人。そしてヒヒイロカネというアダマンタイトの上に位置するランクへ至った魔族。数えあげればきりがない。


「ロマンがありますよね! 信じられないような逸話が多いんですけど、うちの宿には全部本当の事だと伝わっているんですよ!」


「そうか、妖精王国は千年続く老舗の宿だったな。もしかしたらその冒険者達も宿泊していた可能性があるわけだ」


「そうなんですよね! ふふ、フェレスさんも何十年後かそう言われるようになってくださいね? さあ、着きましたよ、宿泊手続きをしてから怪我の治療をしましょう!」


 フェレスは頷いてから建物に入った。




 フェレスは宿泊手続きを済ませてから、怪我の治療をしてもらった。治療と言っても、固まった血を濡れたタオルでふき取り、傷に消毒液を付けただけだ。


 ただそれだけの行為だったが、フェレスには少女の治療が手慣れているように見えた。おそらく他の冒険者にもそういう事をしているのだろうとフェレスは結論付ける。


 治療が終わるとフェレスは部屋に荷物を置いてから食堂の方へ足を運んだ。一人用の小さなテーブルの席に腰かけてから周囲を見渡す。


 フェレスは圧倒された。思っていたよりも相当な広さだったからだ。王都にも同じ広さの宿はない。この食堂だけで三百人は入れるだろう。そしてそんな広さにも関わらず掃除が行き届いているのか、テーブルも床もずいぶんと綺麗なことにフェレスは感心していた。


「どうかな、うちの宿は?」


 少女がウェイトレスの姿でフェレスのテーブルにやって来た。水の入ったコップを置き、フェレスの方を期待した顔で見ている。


「いい宿だな。王都でもこれほど広く綺麗なところはない」


 その言葉に少女は笑顔になった。フェレスもつられて少し笑顔になる。


「そういえば、フェレスさんはどうしてこの宿、というか、迷宮都市に? 遺跡を探すのがメインでしたよね? もしかしてアビスへ挑戦するの?」


「いや、挑戦はしない。詳しくは言えないが仕事だ。この宿に来たのは、以前、知り合いがここの事を言っていたからだな」


「そうなんだ。じゃあ、その知り合いに感謝しないとね! ここを紹介してくれて感謝してるって伝えておいて」


「……ああ、伝えておく」


 その後、少女はフェレスの注文を受けてから厨房へ向かった。


 フェレスはコップの水を飲んでから、宿の事を言っていた知り合いを思い出していた。


 知り合いと言っても単なる依頼者だった。遺跡を発見する依頼をもう何年も同じ人物から受けている。基本的にはギルドへ来た指名依頼と念話のやり取りでしかない。そのやり取りも仕事の話だけで、名前も知らなければ、プライベートな会話もしたことは無かった。


 だが、以前、迷宮都市の話になったことがある。単に調査に必要な物をここへ買うために寄る必要があると言った時だった。


 いつも余計なことは言わない依頼者だったが、その時だけは別だった。宿泊するなら、妖精王国がいい、という旨の話をしてくれたのだ。その宿は料理が絶品、そしてそこには友達がいるのだと言っていた。


 珍しいこともあるものだ、とフェレスは驚いた記憶がある。


「はい、お待ちどうさまー」


 少女が料理を運んできたので、フェレスは考えを中断する。そして目の前の料理を見た。ワイルドボアのステーキ。食欲をそそる匂いがフェレスの腹を刺激した。


 フェレスは少女に礼をいい、すぐに料理を口にする。何度か肉を噛んでから、確かに絶品だと、心の中で驚いていた。そして余韻に浸る間もなく次の肉を口に入れた。




 フェレスの目の前には空になった食器しかない。あっという間に食べ終わってしまった。依頼者からもたされる情報は遺跡だけでなく、こんなものでも正確なんだな、と心の中で感心した。


「もう食べ終わったんだ? 美味しかった?」


 少女がコップに水を注ぎながら、フェレスを笑顔で見ている。


「もちろんだ。まあ、食べる速度と食器の状況を見れば言わなくても分かると思うが」


 満足する料理にフェレスもすこしだけ軽口を叩けるほどになっていた。


「あはは、そうだね。あ、そうだ、聞かせてもらいたいんだけど、いいかな?」


「俺にか? 構わないが何を聞きたいんだ?」


「仕事に来たっていってたけど、それってうちの宿を調べに来たの?」


 フェレスの思考が一瞬止まってしまった。まったく想像していない事を聞かれたからだ。フェレスがここに来たのはアビスで見つかった本の精査であり、それは市長、そしてグランドマスターからの依頼。この宿に泊まるのは完全なプライべートなのだ。


「すまない、何を言っているか分からない。さっきも言った通り、この宿に来たのは知り合いが言っていたからだ。仕事とは何の関係もない」


「そうなんだ。ごめんなさい、変な質問をして」


 少女はすこしだけ残念そうな、安心したような不思議な表情を見せた。


「こっちが聞いてもいいか? 宿を調べにきたと言っていたが、なにか調べられるようなものがあるのか?」


 フェレスの冒険者としての部分が出た。遺跡を見つける時も色々と疑問に思わないといけない。不思議に思ったことはその場で調べておかないと生死に関わるからだ。この事でそのような影響があるとは思えないが、なんとなく気持ちが悪いので質問した。


「大したことじゃないんだけど、部屋の事を調べに来たのかなと思って」


「部屋?」


「そう。実はうちの宿って不思議な部屋が一つだけあるんだ。二階の奥の部屋なんだけどね、そこって誰も泊めちゃいけないんだよね」


 フェレスは首を傾げた。それは宿の方針であって、不思議なことは何もない。


「理由を知らないのか?」


「私の両親にも聞いたんだけどね、詳しくは知らないみたい。ただ、その部屋は満室でも貸しちゃいけないし、掃除もかかしちゃいけないんだ。そういうルールをずっと守っているんだよね」


 宿を経営している両親が理由を知らないとはどういう事情なのだろう。フェレスの頭の中は疑問で埋め尽くされた。


「でも、問題はそこじゃなくてね、いつの間にかその部屋を使った形跡が何回かあったんだよね」


「それは誰かが黙って部屋を使ったんじゃないか?」


「ううん、それはないよ。部屋には鍵が掛かっていて、マスターキーじゃないと開けられないんだ。魔道具になっているタイプの鍵だから扉を壊さない限りは絶対に入れないよ」


「なるほど、確かに不思議だな。ちなみにいつ頃からそれは続いているんだ? ご両親も理由を知らないということは、かなり前からそういうルールがあったんだろ?」


「それがね、よく分からないんだ。ただ、ご先祖様の日記があってね。少なくとも数百年前からそのルールはあったみたい」


「数百年前?」


 フェレスはその言葉に心臓を鷲掴みされた気がした。数百年前といえばセラの事が思い浮かぶ。彼女も数百年前から存在していると言われているのだ。数百年が、二百年前なのか五百年前なのかは分からない。だが、同じ数百年前の括りだ。


 そんな偶然があるわけない。そう思いつつも、フェレスはもしかしたら、という期待があった。


「フェレスさん、どうかした? 何か思い当たることがあるの?」


「ああ、すまない。そういうわけじゃないんだ。俺も気になるから、その部屋を調べさせてもらってもいいか?」


「調べてくれるんだ? あ、でも、依頼料とか払えないけど」


「個人的な興味だから必要ない。怪我を治療してくれた礼だ。ただ、何も分からない可能性の方が高いと思ってくれ」


「うん、もちろん。それに分からなくてもいいんだ」


「どうしてだ? 怖いんじゃないのか?」


「不思議だとは思うけど怖くはないかな。それに私のおじいちゃんとおばあちゃんはね、あの部屋は神様の部屋だって言ってるんだよ。私もそれを信じてるんだ。ロマンがあるからね!」


「神様の部屋?」


「おじいちゃんが若い頃にね、宿の経営が危なくなったことがあるんだって。その時にあの部屋に料理をお供えしたら、次の日にはなくなっていて、それから色々と問題が解決したみたいなんだ」


「料理をお供えするっていうのもルールの一つなのか?」


「うん、そう。困ったことがあったら、食べ物とやってほしいことを紙に書いて部屋に置いておくんだって」


「面白い話だな。神様かどうかは知らないが、誰かがいるのは間違いないのだろう。もし、調査して神様じゃなかったら言わない方がいいか?」


 少女は首を横に振る。


「お礼が言いたいから分かったら教えて。おじいちゃん達を助けてくれなかったら私が生まれることも無かったかもしれないしね!」


 少女はそう言って空になった食器を持って行った。


 その部屋を誰かが使っているのは間違いないのだろう。それはセラかもしれないし、セラじゃないかもしれない。それは調べれば分かることだ。フェレスはそう考えて、テーブルに残されたコップの水をゆっくり飲んだ。

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