閑話 アヴェンジャー

 

 少女が熱心に祈りを捧げている。


 片膝をつき、両手の指を交互に絡めて、祈りの言葉を呟いていた。


 ステンドグラスから光が差し込み、少女を照らした。もし誰かが見ていれば息を呑んだだろう。それほどまでに美しかった。


 ここは聖人教の本部にある大聖堂。聖人教でも一部の者しか入ることは許されない。


 祈りを捧げる彼女の前には女性の像があった。聖人教の最大派閥、聖母を模した像だ。


「今日も世界が平和でありますように……」


 彼女は毎日のようにここへ訪れては一時間程度祈りを捧げる。それは彼女にとって至福の時間であり、聖母を独占できる贅沢な時間でもあった。


 彼女は聖母の建てた孤児院の出身だった。孤児であったわけではない。彼女の両親が孤児であり、その娘であった。両親は孤児院を引き継いで運営していたため、彼女も他の孤児たちと一緒に育てられた。


 小さなころからいかに聖母が素晴らしいかを聞かされていた。夜、いつも眠る前に話してくれたのは聖母の逸話だ。


 当時の邪教を内部から滅ぼした。多くの孤児院を建て子供たちを育てた。世界中に愛を説いた。尽きることのない聖母の話を聞いた彼女は、聖人教に入信する前から聖母を信仰していた。彼女にとって聖母は、人生の目標であり、第二の母だった。


 晴れて聖人教に入信してから数日後、孤児院のある都市で致死性の高い疫病が蔓延した。彼女も例外なく病にかかった。


 彼女は朦朧とする意識の中で薬を飲まされた。一瞬というほどの速さで病を克服した彼女は、この薬があればみんな助かる、そう思った。


 だが、薬を持ってきた女性は、この薬は一つしかないと言った。絶望したと同時に、なぜ自分に飲ませたのか不思議に思い、理由を聞いた。


 女性は「お前には治癒魔法の素質がある。教えてやるから皆を救え」と言った。


 治癒魔法。それは聖母が得意とした魔法。いつか学びたいと思っていたが、孤児院には魔法書を買えるほどのお金はなく、教えられる者も近くにはいなかった。彼女は女性にすぐに教えてほしい、と頭を下げた。


 彼女は死に物狂いで治癒魔法を覚えた。術式はもちろん、治癒魔法は医学に精通する必要がある。とくに病気を治すには根本的な原因を理解する必要があった。彼女は三日三晩、不眠不休で勉強した。


 疫病を治す治癒魔法を使えるようになった彼女は都市を救った。何万といる病人を一人で治療したのだ。


 治療のために都市に派遣されてきた聖人教の信者達は驚いた。着いたときには病人はおらず、この都市での死者は無し。ありえない結果だった。


 聖人教の信者達は彼女の噂を聞き、孤児院を訪ねた。


 魔力を使い切り、疲れ切っていた彼女は椅子に座ったまま寝ていた。その姿はまさに聖母の肖像画と瓜二つ。その姿に信者達は膝をついて頭を下げた。


 自分の命を顧みず、人を救った女性。曰く、聖母の再来。


 聖母の派閥には、それを象徴する聖女がいなかった。誰もが聖母という偉大な女性に敬意を払っていたため、推薦された者はすべて辞退したのだ。


 そして彼女が選ばれたが、彼女も辞退した。他の推薦された者と同じように恐れ多いと思ったからだ。


 だが、聖人教のトップが彼女を指名した。これは異例中の異例。聖母の派閥は元より、他派閥も反対する者はいなかった。


 彼女は拝命した。恐れ多いことは変わりない。だが、聖人教のトップが自分に治癒魔法を教えてくれた女性だと知り、その期待に応えることが正しいと思ったのだ。


 聖母の派閥で初の聖女。そして若干八歳で治癒魔法を使い数万の命を救った少女。


 それが聖女アルマだった。




 アルマが祈りを終え大聖堂を出ると、枢機卿が呼んでいるという報告を受けた。


 彼女はすぐに枢機卿がいる部屋を訪れた。


「よく来てくれました。聖女アルマ」


「猊下、お呼びと伺い参りました。なにか緊急の用件でしょうか?」


 アルマは自分が呼ばれた理由を知らされていない。だが、極めて重要なのだろうと判断した。枢機卿が自分を呼ぶのは極めて稀なのだ。もしかすると、また疫病が発生したのかもしれない、と気を引き締めた。


「いえいえ、緊急ではありません。実はあなたに仕事の依頼が来ているのです」


 自分に仕事。それは治癒魔法を使用する仕事なのだろうと考えた。残念ながら自分にはそれしかない。それ以外では、聖女としての象徴的な役目という事も考えられるが、それであれば枢機卿が自分を呼ぶほどではないはずだと結論付けた。


「どういった依頼でしょうか?」


「迷宮都市に向かってほしいのです」


 迷宮都市と言えば聖母様が建てた最も古い孤児院がある都市だ。


 その都市で疫病が発生したという話は聞いていない。となれば、その孤児院に行って聖女として何かするという依頼なのかもしれない。自分は聖母の聖女。あり得る、と思ってアルマははしゃぎたくなった。彼女にとって、聖母様が建てた孤児院に行けるのは、聖地巡礼に等しい行為なのだ。


「聖母様の建てた孤児院で、聖女としてなんらかのパフォーマンス……そういう事ですね?」


「違います」


 アルマは露骨に残念そうな顔をした。だが、それに気づき、すぐに笑顔を作る。


 そんなアルマの顔をみた枢機卿は柔らかく微笑む。


「聖女アルマ。貴方はまだ十歳になったばかりなのです。感情的な顔を見せてくれて構わないのですよ?」


 アルマは常に微笑んでいるような顔をしている。だが、それは作り笑い。彼女は聖母の聖女として恥ずかしくない姿を常に演じているのだ。


「そういう訳にはいきません。私は聖母様の聖女として任命されました。私が駄目な姿を見せても聖母様の素晴らしさは変わりませんが、そう思わない方がいるかもしれません。私が変なことをして、聖母様がたいしたことがないと思われたら、聖母様に顔向けできないのです」


「そんなことはありません。それに聖母様は言いました。『本当の自分をさらけ出して生きるべき』だと」


 アルマは強く頷いた。その言葉は聖母言行録に記されている。自分は三冊持っていて、一冊は擦り切れるほど読んだ。


「はい、とても深いお言葉です。私にはまだ本当の自分というものが分かっていませんが」


「貴方は聖女として、無理をしているように思えます。普通に振る舞うことが、聖母様のお言葉を守ることになるのですよ?」


「そう、でしょうか」


 アルマは無理をしているつもりはない。自分の感情が表に出てしまうのは修業が足りないからだと考えていた。だが、それは聖母様のお言葉とは違うと言われた。なら、感情の赴くままに行動するのが正しいのだろうか? それも違うような気がする、と色々な考えが浮かんだがどれもしっくりこなかった。


「少し難しかったようですね? 貴方が自分を隠し、聖母様のように振る舞っている原因は私達にあると言えるでしょう。一度謝りたいと思っていました。申し訳ありませんでした」


 枢機卿が自分に対して頭を下げて謝った。その意味を理解するまで数秒掛かった。


「猊下! 頭をあげてください! 私に謝ることなど何もありません!」


「私達は貴方に多くの期待を背負わせてしまいました。聖母様の派閥には聖女がいなかったため、貴方が聖女になったときの私達の喜びようは想像を絶するものだったのです。さらには聖人教のトップが貴方を指名したこともあり、私達は貴方を本物の聖母様のように崇めてしまいました。それが良くなかったのでしょう」


「そんな恐れ多い! それは聖母様に対する侮辱に等しい行為です!」


「そうですね。聖母様だけでなく貴方にも失礼な行為でした。聖母様は聖母様であり、貴方は貴方なのです。決して一緒にしていいものではありません」


 アルマは少し落ち着いた。話の流れを考えると以前は自分を聖母様のように崇めたが、今は違うという事なのだろう。それならばこれ以上慌てる必要はない。


「ですので、難しいかもしれませんが、聖母様の聖女としてではなく、唯のアルマとして振る舞ってくださいね」


 アルマは頷いたが、自分らしく振る舞うにはどうすればいいのか分からない。だが、それは後回しにしようと思考を切り替えた。


「さて、話が逸れてしまいましたね。依頼の話に戻しましょう」


 これからがメインの話なのだと、アルマは気を引き締める。


「依頼主は迷宮都市の市長です。依頼の内容は本の検証になります」


「本の検証ですか」


「はい。その本はアビスの最下層から見つかったそうですよ」


「アビスの最下層? それはすごいですね」


 これはアルマでも知っている。人界最大の大きさを誇り、踏破は出来ないとされていたダンジョン。その最下層で発見された本ならば、多少の興味はある。だが、なぜ自分がその検証をするのだろうかと不思議に思った。


「セラという名前に聞き覚えはありますか?」


 脈絡のない話を振られた。しかし、何かしら依頼に関係することなのだろう。質問の意図を分からずとも、その質問に答えるべきだと、アルマはセラという名前について思い出そうとした。だが、その名前を聞いたことはない。


「いえ、ありません」


「そうでしたか。貴方を推薦したのがセラという方らしいです。そして貴方が知らないのなら、一つの可能性が生まれました」


「可能性、ですか?」


「はい、面識のない人が貴方を指名する。それは聖母様が絡んでいる可能性が高いと思いませんか?」


「聖母様が?」


 それはどういうことなのだろう、とアルマは考える。そして一つの答えが頭に浮かぶ。


「見つかった本に聖母様のことが書かれている……そういう事ですね!」


「他に予想がつきません」


 アルマは心の中で歓喜した。聖母様について書かれている本は多い。もしかすると聖母様の新しいエピソードが分かるかもしれない、と思うとアルマは足が震えてきた。


「アビスは千年前からあるダンジョンです。聖母様がご存命だったのも千年前。可能性は高いと言えるでしょう」


 アルマは頬が震えた。笑いだしたい気持ちを必死に抑える。


「ですが、問題もあります」


 枢機卿が感情のない顔になった。アルマとしてもこれはかなりの問題があるのだと改めて気持ちを引き締める。


「本の検証メンバーの一人に魔女がいます」


「魔女ですか? え! 魔女!?」


 先程の喜びとは逆に今度は怒りが沸いた。聖母の派閥なら誰でも知っている。


 聖母を裏切った二人のうちの一人。初代魔女。そして現在の魔女はその血を引いている。


「貴方なら分かりますね? 聖母様には何人かの親友がいました。しかし、聖母様がお亡くなりになる直前に、二人を名指しして裏切者だと言ったのです」


 アルマは奥歯が痛いほど噛みしめて怒りに震えた。聖母様を裏切った。それだけで万死に値する。


「一人は魔術師ギルドの創始者、初代魔女です。言わなくても知っているとは思いますが」


 アルマはそれを初めて聞いたとき、そのまま魔術師ギルドに乗り込もうと考えたこともあった。


「そしてもう一人。服飾の大ブランド『ニャントリオン』の創始者です」


 猫のマークがシンボルのブランド、ニャントリオン。そこの服は絶対に買わないと心に誓っている。


「これは知っているかどうか分かりませんが、迷宮都市市長の奥様は『ニャントリオン』創始者の血筋なのです」


「そうでしたか。それは知りませんでした」


 怒りを抑え、落ち着いた口調で答える。敵とも言える奴らの関係者が、同じ検証メンバーとしてその場に来るということだ。アルマは枢機卿が何を言いたいのか分かった。


「猊下。みなまで言わずとも分かっています。その場で関係者を抹殺しろ……そういう事ですね?」


「違います。ですが、これはいい機会だと思っているのですよ」


 いい機会、というのであれば、抹殺のいい機会だが、それは先程違うと言われた。ならば、何の機会なのか。アルマは全くわからない。


「二人が裏切者であるのは間違いないでしょう。しかし、その理由は分かっていません。それを調べてもらいたいのです」


「それは直接聞く、という事でしょうか?」


「それでも構いません。どちらの家系にも伝わっていない可能性があります。聖母様に関する話がもし聞ければ儲けもの、というぐらいでしょうか」


「もし、裏切った理由がわかり、それが納得出来ないものであれば、どうすればいいでしょうか?」


「任せます。聖女アルマ。貴方の好きにしなさい」


 アルマは何も言わず笑みを浮かべる。それは聖母の肖像画と同じ笑み。だが、心の中はどす黒い感情でいっぱいの笑み。


「出発は明後日になります。護衛の準備も必要ですからね。必要ないとは思いますが、万が一のために同行させます。では、準備をお願いしますね」


「承りました」


 アルマは一礼して部屋を出た。




 アルマは自室に戻ると、部屋の壁に掛かっている聖母の肖像画に向かって祈りを捧げる。


 それが終わると、ストレッチを始めた。入念に体をほぐすと、おもむろに右手によるパンチを繰り出す。その後も、左、右とパンチを繰り出した。時には躱し、時には踏み込み、見えない相手と戦うように拳を振るった。


 三十分ほど経ってから、大きく深呼吸をして、また聖母の肖像画に向かって祈りを捧げた。


 祈りながらアルマは考える。どのように聖母様が裏切られたのかはわからない。だが、裏切られた時に聖母様はどれほどの痛みを伴ったのか。それを考えるだけで心が張り裂けそうだ。理由は関係ない。裏切者の関係者に必ず報復するのだ。


 護身用に教えてもらった格闘術。だが、治癒魔法と併用して独自の戦闘技術を身につけた。今では聖人教最強と言える。この力を振るう時が来た。


 これが私らしい振る舞いなのだろう。ならば聖母様も応援してくれるはずだ。アルマは強い意思を秘め、目を開けた。そして左足で踏み込み、右ストレートを繰り出す。空を切る音だけが聞こえた。


「やられたらやり返す。徹底的に。禍根は残さない」

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