第五章
風邪
なんだかうるさい。扉を叩く音だろうか。昨日は遅くまで日記を書いていたのでまだ眠い。燃やすぞ。
「フェル様、大変ニャ! 早く起きてほしいニャ!」
ヤトか? 声の感じからかなり切羽詰まっているような気がする。起きるまで止めそうにないので、仕方ないから起きよう。
ベッドから起き出して扉に向かう。下着姿だが顔を出すだけなら問題ないだろう。
扉を少しだけ開けて外を伺う。珍しくヤトが慌てた様子だ。
「ヤト、どうかしたのか?」
「た、大変ニャ! ニア様が……ニア様が風邪をひいたニャ!」
なんという大事件。起こされたのにはイラッとしたけど、これは仕方ない。むしろ、よく起こしてくれたと感謝するべきだ。
「わかった、着替えてすぐに行く。ヤトも慌てるなよ。こういう時こそクールだ」
「は、はいニャ」
ヤトは食堂に向かったようだ。よし、私も着替えてすぐに向かおう。
食堂に行くと、ヤトとロンがいた。ヤトはアワアワしている。気持ちは分かるが、もう少し落ち着いてほしい。ヤトとは逆にロンは普通だ。それはそれでどうかと思う。
「ロン、ニアが風邪をひいたと聞いたが?」
「おお、フェルか。そうなんだよ。昨日、久々に限界以上まで料理をしちまったようだな。朝食なんだが、普通のパンしか――」
「そんなことはどうでもいい。ニアの容態はどうなんだ? どれくらい持ちそうだ?」
ロンが不思議そうな顔をした。なにを言ってるんだコイツは、という顔だ。そもそも、ロンは何で落ち着いているのだろうか。ニアが風邪を引いたのに薄情な奴だな。
「うん? 容態といっても朝から寝ているだけだぞ? どれくらい持ちそうってなんだ? 風邪のことか? 三日ぐらいだと思うぞ?」
ヤトがふらふらしてから倒れるように椅子にもたれかかった。私も気を抜いたら倒れそうだ。だが、ここは我慢だ。一番つらいのはニアだからな。
「ヤト、安心しろ。私が何とかしてやる。ロン、人族は風邪をひいたときにどうするんだ?」
「そうだな、たまご酒とか飲ませるぞ。あれなら俺でも作れるからな」
「たまご酒? どういうものだ?」
「卵と酒と砂糖を入れてかき混ぜた飲み物だ。温めるとさらに効果的だな」
「わかった。用意する。ヤト、リエルを連れて来て治癒魔法で何とかなるか確認してもらえ。治せなくても容態を維持してくれれば問題ない」
ヤトは椅子から立ち上がり影に潜った。リエルを呼びに行ったのだろう。なら私はたまご酒の材料をそろえなくては。
「おいおい、二人ともどうしたんだ?」
私からすればロンがどうしたんだという感じだが。いや、気が動転して事の重大さに気付いていないのか。
「ロン、気をしっかり持て。諦めちゃ駄目だぞ。ニアは必ず救ってやる」
「うん? いや、カミさんは――」
一秒が惜しい。すぐに部屋に戻って魔界に連絡だ。
急いで部屋に戻り、魔界に念話を送る。
『はーい、こちら魔界の総務部でーす。人界出張時のお土産は受け付けてませーん。お名前をどうぞー』
「フェルだ」
『あ、フェル様じゃないですか。私の準備は整いましたよ。いつでも行けます。今は開発部研究課の人選待ちですねー』
「そうか、丁度良かった。今から言う物を用意して、今日中に来い」
『はい?』
「絶対に持ってくるものを忘れるなよ? まず、ソーマ、ネクタル――」
『ちょ、ちょっと待ってください。メモしますから! 誰かメモと鉛筆貸して!』
普段から机の上に置いておかないからだ。急いでいるというのに……まだかな?
『はい、大丈夫です! どうぞ!』
「いいか、宝物庫からソーマ、ネクタル、エリクサー、ドラゴンの卵、ユニコーンの角を持ってこい。あとネギ」
『ええと、はい、メモしました。ユニコーンの角って、まだあったかな?』
「なければ野良のユニコーンを捕まえて来い。地下庭園にいるだろ」
地下庭園メビウスなら動物系の魔物が多い。一匹ぐらいなら簡単に捕まえてこれるだろう。
『あー、いますね。……実はユニコーンは私の前に現れないと言ったらどうしますか?』
「人界に来させる奴を変更する」
『大丈夫です。見栄を張りました。実はユニコーンにはモテモテです』
「そういう生々しい話を聞いている暇はない。もう大丈夫か? それなら切るぞ?」
『今日のフェル様はつれないですね……。ええと、ネギって万能のやつですか?』
「いや、長いやつで」
『食べて良し、巻いて良し、刺して良しの長ネギですね。……もしかして、だれかご病気ですか?』
刺すってなんだ? まあ、それはいい。どうやら持ってくるラインナップで気づいたようだ。
「人界で世話になっている奴が風邪をひいた。三日しか持たないから急いで来い。畜産関係は置いてきていいから」
『そういう事でしたか。分かりました。今日の夜には着けるように全速力でそちらに向かいます。今日、私は一陣の風になる……!』
「よろしく頼むぞ」
これでたまご酒の材料は大丈夫だろう。サブにエリクサーとユニコーンの角、そしてネギがあれば例え風邪でも恐れる必要は無い。あとは時間との勝負だ。
よし、食堂に戻ろう。
「おめぇら二人はなんで慌ててんだ?」
食堂に戻ると、いつものテーブルにリエルが座っていた。こんな緊急事態に何をくつろいでいるんだ。
「リエルこそ何を言ってる。ニアが風邪をひいたんだぞ? それにあと三日の命だと言った。不眠不休で治癒魔法をかけ続けろ」
「そりゃ、風邪が原因で亡くなる奴もいるけどよぉ、栄養失調とか色々と不幸が重なった時だけだぞ?」
ヤトと顔を見合わせる。おかしい、魔界で風邪をひくとかなりの確率で死ぬ。風邪はひき始めが大事なんだ。即、治さないと。だから慌てたのだが。
「人界の風邪とはどういう感じなんですかニャ?」
ヤトがリエルに問いかける。そうだな、なんとなく魔界側と人界側で風邪に対する対応が違う気がする。リエルもロンも余裕ぶってるし。
「熱が出て喉が痛くなる感じだな。あとは体がだるいとか。温かくして栄養があるものを食べたり飲んだりしていれば、三日ぐらいで治るぜ?」
「なんだそれ? 緑色の血を吐いたり、皮膚がただれたり、首が百八十度回ったりするんじゃないのか?」
「それは風邪じゃなくて、呪いかなんかだろ?」
なんだ。魔界と人界の風邪の定義が違うのか。なら、それほど心配する必要はないのかな。というか魔法でなんとかできそうだ。
「人界の風邪というのは治癒魔法で治せるのか?」
「いや、それは無理だな。風邪の原因はウィルスというものらしいんだけど、それだけじゃないみたいでな。治癒魔法で複数の原因を一個一個排除するのは難しいんだ。だから、魔法なんか使わずに、暖かくして寝ているのが一番なんだよ」
「そうか、不思議な病気だな」
「どう考えても魔界の風邪の方が不思議じゃねぇか。というか病気の症状じゃねぇぞ」
カルチャーショックというやつだな。勉強になった。
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