第13話 呪術師の秘密

「では、私はそろそろ自室に戻らせて頂きます」


 呪術師はゆるりと立ち上がり、しわの入った手を身体の前で組んでうやうやしく頭を下げる。その動作がどことなく芝居がかって見えるのは、先入観ゆえだろうか。


「お察しのこととは思いますが、皆様の目の前に置かれている鍵に記された数字がそれぞれの部屋番号になっていますので、どうぞご自由におくつろぎください」


 言い終えると、彼は部屋の出口へと向かって歩いた。そして出口の扉を開き、出ていこうとしたところでこちらを振り返って、あたかも今思い出したかのように「ああ、そうそう——」と前置きして言った。


「グーダルク様は腰にげた銅のつるぎを。イマジカ様はももに差した短剣を、それぞれ彼女——使用人のアイラに預けてください」

(……!)

「原則として、武器の持ち歩きは禁止させて頂いておりますので」


 彼はそれだけ言い残すと、不気味な微笑と共に薄暗い廊下へと消えていった。



 グーダルクに顔を向けると、彼は鳩が豆鉄砲を——とまではいかないまでも、多少驚いた様子で目を見開いてこちらを見ていた。


「グーダルク様は、腰に差した剣のことをお話しされたのですか?」

「いいや。……革帯かわおびで留めていて音もさほど出ないし、マントに隠れているからほとんど見えないはずなのだがね。とはいえ、ある程度長さもある。気づかれていたとしても不思議はないさ。問題は、銅製というところまで言い当てられたことかな。君も、短剣のことは言っていないのだろう?」

「ええ。短剣の存在はもちろん、隠し持った場所など明かすはずがありません」

「だろうね。しかし、だとすると……」


 そこに、後ろから女給——アイラが言葉を差し込む。


「旦那様はこの宿に外から持ち込まれた物——より厳密には、旦那様の持ち物ではない物は、その内容から位置まで全てを把握することができるのです。ですので、お客様たちが旦那様を前にして何かを隠し持つことはできません」

「……なるほど」

「確かに、それでは見破られても当然というわけか」


 私と辺境伯は観念して、それぞれたずさえた武器を女給に手渡す。


「ご安心ください。お帰りの際には間違いなく返却させて頂きますし、それまではわたくしが丁重に管理させて頂きますので」

「分かりました。よろしくお願いします」

「うむ。よろしく頼むよ」


 アイラが武器を持って部屋の奥の扉へ向かうと、タグが子供らしく「かっこいい剣だな! おれにも見せてくれ!」と勢いよく椅子から降りて立ち上がった。

 すると、カランと何かが床に落ちる音。


「ん? あ……! あった!」


 彼が足元から拾い上げたのは、銀のナイフだった。


「たぶん、服のポケットに入ってたんだな。気づかなかった……。姉ちゃん、さっきはありがとう。でも、隙間に落ちてはなかったから、探さなくて大丈夫だ!」


 にかっとアイラに笑いかけるタグ。それを見て、アイラも「そうですか。それは良かったです」と微笑み返す。

 何のことは無い、なくしものが見つかっただけの一幕。傍目はためにはそう見えているだろう。だが——


「なるほど……」

「ああ。指摘しなかったのではなく、できなかったと考えるのが自然だろう」


 私と辺境伯は顔を見合わせて頷く。

 それを見てイレーナは首をかしげ、セニスが「何のことよ?」といぶかし気に視線をこちらに向けた。

 相変わらず私に対しては語調も表情も強めではあるが、ベールの額部分がわずかに濡れていて少し微笑ましい気持ちになった。

 普通に食事をしていて、どうやったらそんなところが濡れるんだろう。

 ——とは流石に言えないので、「何よ?」と更に目を鋭くするセニスに「なんでもありません」と小さく咳払い。当初の質問に答える。


「まず、グラムル氏は部屋を後にする際、私とグーダルク様の隠し持っていた武器を指摘しました。ですが——」


 私の説明を、辺境伯が継ぐ。


「タグくんがナイフを落としたときも。そして今部屋を去る際も、ナイフのある場所を指摘しはしなかった」


 そこで、セニスが何かに気づいたように「ああ、なるほどね」と声を漏らす。私は説明を続けた。


「アイラさんは、『旦那様の持ち物ではない物は』と仰られた。つまりそれは裏を返せば——」


 イレーナさんも、納得したように小さく頷く。


「彼は、この宿にもともとあった物。つまり彼自身の持ち物については、その内容と位置を把握・看破することはできないのです」


 私がそう結論付けると、アイラはピクリと肩を震わせた。私の指摘は正しかったのだろう。

 彼女は自身の口が過ぎたことを後悔しているのか、あるいは、私たちにわざとそれを伝えたのか……。表情の見えない後ろ姿からは、それは読み取れなかった。

 呪術師の秘密を一つ暴いたことによる緊張感が、部屋の中を静かに満たしていく。何故ならそれは、もともとこの宿にあったものであれば彼に気取られることなく隠し持つことが可能であるということであり、それを用いて彼を害することが可能であるということに他ならないからだ。

 ……たが、そんな緊張感などおかまいなしに、「へえー、そうなのかぁ。それより、剣を見せてくれよ!」タグがアイラのもとへと駆け寄る。

 そのあまりの無邪気さに、その場を支配していた重苦しい空気は霧散していった。

 すっかり弛緩した空気の中、セニスが「はぁ、馬鹿馬鹿しい」とため息を吐いて手をひらひらと振る。


「そもそも、そんなことが分かったからって何にもならないでしょ」


 彼女は立ち上がって、出入口へとゆっくり歩いていく。


「自分の力の欠点はあの男が一番よく分かっているはずなんだから、この宿に武器になるようなものがあるとは思えないし。……第一、呪術師を殺すなんて馬鹿な真似、誰もしないでしょうしね」


 彼女の言い分は正しい。彼が自身の力の欠点について対策していないとは思えないし、そもそも呪術師を害するなんて馬鹿な真似はできはしない。

 呪術師のかけた呪いは呪術師が殺されても解けはしないし、だからこそ呪術師を殺すことは通常の殺人よりも更に重く罰せられるのだから。

 呪術師を殺せば、殺人者の復讐心は満たされるかもしれない。だが、それだけだ。その他の憎しみをこらえて解呪の方法を探していたその他被害者の解呪も不可能になってしまったのでは、あまりに滑稽で無益な結末でしかない。

 そうなることを避けるために、法は呪術師の身勝手な呪いを認めない一方で、呪術師の命を重く扱ってもいる。


「私ももう部屋に戻るわ。それと……、貴方たちに、一つだけ忠告しておくわね」


 扉に手をかけて、セニスは続けた。


「今夜、決して私の部屋を訪ねないこと」


 ……それはつまり、夜這いをするなということだろうか?

 まあ確かに、彼女ほどの美しさを持っていればこれまでにそういった経験もあったのかもしれない。

 辺境伯が「ちなみにだが、その忠告を破るとどうなる?」と最低なことを訊くと、セニスはこう返して部屋を去っていった。


「死ぬことになるわね」


 強気の言葉とは裏腹に、足早に去っていく彼女の表情がどこか焦っているように見えたのは気のせいだっただろうか。



 あの後、残った私たちも自室へと向かうことになった。

 エントランスまでは連れ立って行き、イレーナ、タグ、辺境伯は揃って二階へと上がっていったが——イレーナの荷物は辺境伯が持ってあげていた——、私は一度一階を回ってみることにした。

 ぐるりと一通り見回った後は階段を上がって、二階の造りも確認する。もちろん、探偵には欠かせない構造知覚ロケーションの魔法を用いて、目に見えない隠し部屋や抜け道がないことの確認も欠かさない。

 その結果把握できた館の構造は、二階建てで、中庭を囲むロの字型という至ってシンプルなものだった。

 その一階。エントランスには二階へと上がるための階段が左右にあって、その下に中庭へと繋がる扉がある。右側の通路は私たちが食事をした食堂に繋がっていて、左側の通路は応接間に繋がっていた。食堂の奥、女給が出入りしていた扉の向こうには厨房があり、応接間の先には物置きとして使われているいくつかの小部屋があった。また、地下へと繋がる階段があり、立ち入りを禁じられたその先には、構造知覚ロケーションで把握した限りでは地下牢があった。

 二階はよりシンプルで、左右の階段を上がった先にそれぞれ通路があり、左通路の内側に②③④号室。右通路の内側に⑤⑥⑦号室が反時計回りに設けられていた。そして左右の通路は億で繋がっていて、繋がった通路の外側には最も大きな部屋。呪術師の部屋があった。

 雪国であり屋根を薄くすると雪で潰れてしまう可能性があるためか、屋根裏は設けられていない。

 そしてやはり、館のどこにも窓は存在していなかった。

 中庭を作っておきながらそれを楽しむ窓すら用意しないというのは些か、というかかなり勿体ない気はするのだが……。

 とはいえ、どういった意図があったのかを推し量るには今の段階では材料に乏しい。私は消化しきれない一抹の違和感を抱えつつ、自室の鍵を開けて中へと入った。

 窓が無いので当然ではあるのだが、部屋の中は暗く、手燭に刺した蝋燭のあかりが無ければ何も見えはしなかっただろう。

 部屋の中に配置されたいくつかの燭台。そこに立てられた蝋燭たちに全て火をともして、ようやく部屋の中が見渡せた。

 火を灯しながらも感じていたことだが、なかなかの広さだ。

 角に設置されたベッドはゆうに二人は寝られる大きさだが、それすらひどく小さく見える。

 この部屋に限らず、各所に設えられた調度品は一目で高価なものだと分かるが、恐らくは昼も夜も真っ暗なこの屋敷において調度品の質の良し悪しなどほとんど気にならないというか、それ以前の問題だ。

 部屋の雰囲気に合わせるなら朽ちかけの木で作られた調度品が最も似合うだろう。それほどまでに、不気味な館だった。


(この館はもともと、辺境伯のものだったんだよね……)


 見て回った限り、増改築の痕跡は無かったし、もともと窓があったところをわざわざ塞いだという感じでもない。

 ——つまり、この構造は辺境伯が望んだものだったということになる。


(でも、いったいどうして……?)


 その疑問について私が考えを巡らせる前に、どこからか悲哀の籠った音色が聴こえてきた。

 微かに耳に届くのはハープの音色。……イレーナさんだ。その音は、内側の壁——つまり、中庭から聴こえる。

 私は部屋を出て、階段を降りる。近づくにつれハープの音色は少しずつ音量を増してゆき、中庭に繋がる扉を開けると、それは明確な音楽となった。

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