第12話 伝説の英雄

「ぐ、グーダルク様!?」


 思わず立ち上がり、声を出していた。


「ど、どうしてあなたがここに……?」


 国の英雄が、呪術師の宿を宿泊客として訪れる。それはどう考えても尋常じんじょうのことではない。しかし当の英雄は、


「この屋敷はもともと私の持ち物でもあったからね。宿になったと聞いて、一度くらいは泊まっておこうと思ったのだよ」


 からからと笑ってそう答えるだけ。

 確かにこの館はもともとグーダルク辺境伯の持ち物だったと聞いた。しかしだからといって、領主がたった一人でこの呪術師の宿に泊まることの答えにはなっていない。彼は一体、何のためにこの宿を訪れたのか。

 ……いや、確か食い逃げ犯を捕らえた宿の店主は、こう言っていた。『領主様もそろそろ動くかもしれない』と。つまり辺境伯はこの呪術師の宿について、自身の目で実態調査を行おうとしているのだろうか?

 だとしたら、それはあまりに豪胆ごうたんかつリスキーな行いだと言わざるを得ない。だってこの宿に泊まるということはすなわち、自身が呪いを受けてしまうかもしれないということなのだから。

 当然それは私自身にも言えることではあるが、私には王女のめいがある。王女の頼みを断ることなどできないし、王女のためであれば自身が呪いを受けることになっても構わないとさえ思っている。

 だが、国の英雄にこんな調査を命じられる人物なんてどこにもいないだろう。つまり彼は自らの意思でこの宿に足を運んでいるはずだ。


(この人は自身の立場を理解していないのだろうか……?)


 とはいえまさかそんなことを直接口に出して問うわけにもいかないので、


「そ、そうですか……」


 と引き下がる他ない。するとそこで、セニスが小さく頭を下げた。


「あ、あの。領主様とは知らず、先ほどは失礼を。申し訳ありませんでした……」


 確かに、知らなかったとは言え先ほど彼女が彼に対して取った態度は、少なくとも領主に対するものではなかった。

 すると辺境伯は、「いやいや、」と一言置いて背もたれに緩く背を預けた。


「私は今、この地の領主としてでも国の英雄としてでもなく、一人の宿泊客としてここにいる。君たちも私に対してそのようにして接してもらって構わないし、むしろそうあってくれることを望んでいるよ」


 その様子はどこまでも不敵で、人間としての器の大きさを感じさせるものだった。


「感謝します……」


 セニスが再度頭を下げ、タグが


「えっと、つまりおっさんにも普通に話しかけていいってことだよな? よかった!」


 と無邪気に笑う。(おっさん……!)と他人事ながらに冷や汗が吹き出たが、当のグーダルク辺境伯は気にする様子もなく、むしろ初めて使われたであろう呼称を受けて豪快に笑っていた。

 彼はどうやら本当に、ここでは領主としての振る舞いは封印するようだ。



 食事ディナーは進んで。テーブルに並ぶ皿からはほとんど料理が消え、綺麗に平らげられていた。


「いやあ、実に美味びみだった。これらは全て、あの給仕の女性が?」


 グーダルクが指を舐めながら尋ね——タグとグーダルク辺境伯は結局、よほどそのスタイルが気に入ったのかずっと素手で料理を掴んで食べていた——、呪術師が答える。


「ええ。当宿とうやど自慢の使用人です」

「なるほど、素晴らしい腕をお持ちだ。叶うならぜひ私の屋敷でも腕を振るって欲しいところではあるが……引き抜きは駄目かな?」

「ええ、残念ですが。彼女には、未来永劫えいごう私の従順な使用人でいることを約束頂いていますので」


 未来永劫……従順……約束……。他の誰かが言ったならそこまで気に留めるようなものではなかったかもしれないが、呪術師の口からつむがれるそれらのワードは不穏な響きをもって胸をざわつかせる。


「ふうむ……。残念だが、それでは仕方ない。潔く諦めるとしよう」

「彼女の料理が恋しくなった際には、ぜひ当宿へ。それに、まだデザートが残っていますので」


 呪術師がそう言うと、グラムルの後ろに立っていたはずの女給がいつの間にか姿を消していて、再度手にトレーを乗せて部屋に入ってきた。トレーの上には、色とりどりの果実がまるで宝石のように散りばめられたタルトが人数分乗せられている。それが自身の目の前に置かれるのを、「ほう!」とか「へぇ」とか「わぁ……!」とか「おぉ」とか思いおもいに感嘆かんたんの声を漏らして迎える。イレーナさんも声こそ出せないものの目を爛々らんらんと輝かせてうっとりしていた。

 デザートを並べ終え、女給は一礼ののち呪術師の後ろに控えた。

 見れば、デザートが盛り付けられた皿には木製のカトラリーが乗せられている。

 フルーツタルトを食するにあたっては、確かに銀製よりも木製のカトラリーの方が雰囲気に合っているだろう。

 こういった細かな点からも、与えられた仕事を淡々とこなすだけでない、女給の客人への配慮が見て取れる。

 対象は大きく違えども、同じく誰かに仕える者として、私は呪術師の後ろで姿勢を一切崩すことの無い彼女の仕事ぶりには敬意をひょうしたい。

 私が頭を下げると、彼女もまた小さくお辞儀を返してくれた。


「では早速頂くとしよう」


 辺境伯はそう言って、木のフォークを手に取ってタルトを食べ始めた。

 先ほどまでは素手で食事をしていたのだが、デザートではどうやらそうしないらしい。

 クッキー生地が持ちやすいタルトなら素手でも食べられた気はするのだが、せっかくカトラリーを分けてまで提供してくれた女給の心遣いを無駄にしないためのことかもしれない。


「……うまい!」


 色とりどりの美味しそうに次々口に運んでいく様子を見て食欲を刺激され、私もそれに習う。

 光沢を放つフルーツの合間にフォークを入れて、生地をザクっと分断する。

 生地とシロップが零れないように気を付けつつ口に運べば、甘いシロップでコーディングされたフルーツに甘じょっぱいクッキー生地がよく合って、食感も楽しい。

 この街への旅路ではろくなものを口にしていなかった分、より美味に感じられた。

 隣ではイレーナさんが左手に持ったフォークを口にくわえつつ、右手を頬にあててうっとりとしている。

 皆が絶品デザートに舌鼓を打っている中、私の斜向かいでタグが「うぅ」と小さく唸るのが聞こえた。

 見れば、右手が使えないタグは左手に木製のフォークを持ってデザートを食べているのだが、タルトの上から転がり落ちた大き目の葡萄ぶどうがどうしてもうまく掬えないようだ。

 木製のフォークは多少厚みがある分、確かに扱いが少し難しい。束縛の腕輪は利き手に付けられるので、利き手ではない左手ではより思うようにはいかないのだろう。

 その様子を見て、イレーナが木板に文字を刻んだ。


『銀のフォークの方が、使いやすいですよ』


 だが、タグは文字が読めないらしく。


「なんて書いてあるんだ?」


 と首をひねる。困ったように眉を下げるイレーナさんに変わって、私は「銀のフォークの方が使いやすいですよ、と書いてあります」とそれを伝えた。

 するとタグは「そっか!」と喜色の表情を浮かべて、銀のフォークで葡萄を掬って口に運んだ。


「んん、んまい! イレーナ姉ちゃんありがとう!」


 何のことは無い、ただの感謝の言葉。だがタグのその言葉に、イレーナはゆっくり首を振り、その目にはうっすらと涙さえ浮かべていたように見えた。

 私には、その理由が分かる気がした。

 彼女には、双子の弟がいる。……いや、いた。彼女はこの少年に、在りし日の弟の姿を重ねているのかもしれない。

 するとそこで、「あっ」とタグが声を上げた。

 どうやら銀のナイフでタルトを予め切り分けておこうとしていたところ、手を滑らせて取り落としてしまったらしい。

 ナイフはテーブルの上を滑って、タグの目の前で落下した。だが、落下音は響かなかった。

 タグは急いで床を見るが、「あれ……ない?」と首を傾げる。

 机の下を覗いて見れば、彼の足元。木製の床には小さな亀裂があった。もしかすると、そこに落ちてしまったのかもしれない。


「あ、あの、ごめんよ……わざとじゃないんだ……」


 タグが顔面を蒼白にして呪術師に謝罪する。

 すると呪術師が何かを言う前に、その後ろに控えていた女給がタグの下へと歩き出した。


「うぅ……ごめんよ……」


 無表情で歩いてくる女給から何らかの沙汰を下されることを恐れてか、タグは身を縮こまらせる。

 だが、女給はタグのすぐそばで一度しゃがんで、再度立ち上がって言った。


「旦那様。恐らくナイフは床の隙間から地下もしくは床下に落ちたものと思われます。後ほどわたくしが取りに参りますので、それでよろしいでしょうか?」


 呪術師は目を細め、一瞬の間をおいて明るい口調で言った。


「もちろん。たかがナイフ一本、弁償など求めませんよ。……ただし、見つからなかった場合はきちんと報告するように」

「承知いたしました」


 女給はそう言うと、タグに向き直り、「と、いうことです。お客様は気になさる必要はありません」と柔らかく微笑んで見せた。

 タグは「ほ、本当か? よかった……」と心底安心した様子で胸をなでおろす。

 どうやら彼女は、私が思っていた以上に優しい女性らしい。呪術師に仕えていることから、彼女もまたあるじと同じような価値観を有しているのだろうと考えていたのだが、今となっては自身の浅慮に恥じ入るばかりだ。



 そんなやりとりもありつつ、一同はデザートであるフルーツタルトもぺろりと平らげた。

 甘いものは別腹というのもあるが、純粋に全ての料理がそれだけ美味だった。

 ……あれほどまでとは言わないまでも、私も一度きちんと料理を学んでみた方がいいのかもしれない。

 多少の覚えがあれば、辛い旅路の数少ない楽しみである食事の時間が更に幸せなものになるだろうし、それになんというか、純粋に淑女しゅくじょのたしなみとしても……。

 などと益体やくたいも無いことを考えている間に、女給が食器類を全て片付け終え、夕食ディナーはお開きという雰囲気となった。

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