第11話 宿泊者たち
そう言いながらグラムルがテーブルの上のベルを鳴らすと、グラムル側の壁の端にあった扉が開いて、一人の
長い栗毛をキャップで纏め、裾の長い給仕服に身を包んだ妙齢の女性。
両手に乗せたトレイには都合六つの皿が並べられており、それらは今温めたばかりであることを主張するかのように濛々と蒸気が立ち昇っていた。
「豆とイモのポタージュです。どうぞ冷めないうちに」
目の前にサーブされたポタージュは見るからに美味しそうで、なんとも食欲をそそる甘い香りが鼻腔をくすぐる。
テーブルに並べられた料理も、手が込んでいそうなものから素材の味を生かしたシンプルなものまで、全てが見栄えからして出来のいいものだった。
流石に王宮の料理人の作るものと比べるといくらか劣るものの、洗練されすぎない美しさだからこそ、いい塩梅に食欲に訴えかけてくる。
今朝から何も口にしていないので、実のところ早く食事にありつきたくてうずうずしていた。
という心を悟られるのは流石に恥ずかしいので、誰かが手を付けるのを待っていると、
「やっと食べてもいいのか! こんなうまそうなもの初めてみたから、早く食べたくて仕方なかったんだ」
そう言って、奴隷の少年が左手で銀のスプーンを掴んでスープを掬い、口へ運んだ。
子供と同じことを思っていたことに多少恥ずかしさを覚えつつ、それを臆面もなく表に出せる少年の無垢さにまぶしさを覚える。
「うまい! こんな
早く次の
皿を少し手前に
少年が苦心している様子をはらはらして眺めていると、その斜向かいの美丈夫が言った。
「少年。さてはスープの最も美味い飲み方を知らないな?」
「え、スプーンで掬うのがマナーだって教えられたんだけど……」
「それはマナーであって、最も美味い食べ方ではない。確かにマナーは尊ばれるが、それは時と場合にもよる。……どれ、私がやって見せてあげよう」
そういうと美丈夫は、皿を片手で持ち上げてそのまま口へと運んだ。そして皿に口をつけ、豪快にスープを直接喉の奥に流し込む。喉仏を動かして一口に全てを飲み干すと、口の周りについたポタージュをぺろりと舐めて言った。
「さて、わかったかな?」
「うん!」
少年はスプーンを置いて皿を手に取り、残りのスープを一息に飲み干した。ぷはぁと息を吐いて、
「本当だ、こっちの方が美味いや!! ありがとうおじさん!」
口の周りのポタージュをぺろりと舐めた。ふと隣を見ると、無邪気に笑う少年の表情にイレーナが目を細めていた。
テーブルの上の料理が半分ほど減ったところで、不意にグラムルが言った。
「そういえば、皆さんの紹介が済んでいませんでしたね?」
「いや唐突ですね……」
こらえたつもりが、ついぽろっと口に出てしまう。
「確かに、こうして夕飯を共にした者同士が互いの名前も知らないというのは、機会の損失と言えるかもしれないな」
奴隷の少年に感謝されて味をしめたのか、その後ずっと素手で食事をとっている美丈夫が七面鳥を手掴みで頬張りつつ言うと、
「いやいいわよ、別に知りたくも無いし」
赤頭巾の女性が、煮込んだ魚の骨を器用にナイフとフォークで取りながら言う。
「まあそう言わずに。宿を共にする素敵な女性二人の名前も知らないというのは何とも心苦しい」
女性二人……。宿を共にする、ということは給仕の女性は含めていないだろうが、だとしてもこの場に女性は私とイレーナ、そして赤頭巾の女性の三人だ。
つまりあの美丈夫は、例によって私のことを男だと思っているのだろう。
「確かに、お互い名前くらいは知っておいた方がいい気はしますね」
私は静かな怒りを鎮めつつ、にこりと笑って見せる。
美丈夫は首を傾げて、「では決まりだ。まずは君から頼むよ」と私に手を向ける。上等だ。
「私は、イマジカ・アウフヘーベンと言います」
名乗ると、「ほう……」と美丈夫が声を漏らす。
「では、君があの『王女の探偵』で間違いないのかな?」
どうやら彼は、私の名前を知っていたらしい。
「そうですね。私は探偵として、王女に仕えています」
認めると、赤頭巾の女性が私に鋭い視線を向けてきた。
(な、何かしたかな……)
考えても心当たりはない。美丈夫は美丈夫で、
「やはりそうか。いや、いずれ話してみたいと思ってはいたのだが、まさかこんなところで出会えるとは」
とかなんとか言っている。会おうと思えば会えたとでもいうような口ぶりだが、私には彼のことも見覚えは無い。
奴隷の少年は美丈夫の真似をして七面鳥を手掴みで頬張りつつ「いい名前だな!」と言っていた。
「では次は……いや、
美丈夫が言うと、イレーナは首肯しつつ木板に石灰石を走らせて胸の前で翻した。
『イレーナ・モルティ。今は声が出せなくなっていますが、吟遊詩人です』
「なるほど、声の出せない吟遊詩人か。これはまた、随分酷い仕打ちにあったものだね?」
美丈夫が横目でグラムルを見るが、特に気にする様子もなく柳に風。うっすらと浮かべた笑みを崩すことすら無い。
「では次に、少年。君の名前はなんという?」
指名され、少年は杯に注がれた水で口に溜め込んでいたものを流し込む。
むせそうになりながらもなんとか息を整えて言った。
「おれは、タグディオ。みんなからはタグって呼ばれてた」
「よし、タグくんだな。了解した。食事の邪魔をして悪かったね」
「いいんだ。外の誰かとこうやって話すことなんて今までなかったから、これも楽しいしな」
「……そうか。であればよかった」
タグにとって「外の人」とは、「檻の外の人」ということだろう。そしてそれはこれまで、奴隷商かもしくはその客に限られていたはずだ。
少なくとも世間話をするような相手ではなかっただろうし、こうして外の人と普通に会話するということ自体が、タグにとっては新鮮なことなのだろう。
「では、あまり乗り気ではないようだったが、せっかくだ。君にもお願いできるかな?」
視線を向けられると、赤頭巾の女性は小さくため息を
「セニス・インベント」
特に肩書などを述べるでもなく、一言。その刺々しさとハスキーな声、そして中性的な美しさも相まって、名前の響きにも可愛らしさよりもスマートで格好のいい印象を受ける。
だが、それを伝えられてもいい気はしないであろうことは自分自身が良く分かっているので、口には出さない。
私の場合は中性的というよりそもそも男に間違えられることが多いので、前提は異なるかもしれないけど。などとセニスを見つつ一人思案していると、
「何?」
口には出していないはずなのに、セニスから怒気を
「あ、いえ、なんでもないです……」
不躾な感想が表情に出てしまっていただろうか。
(というかセニスさん、さっきの目つきといい、私にだけ当たりが強いような……)
気のせいであればいいのだが、何か気に障ることをしてしまったのなら早めに謝っておきたい。夕食の後、それとなく聞いてみることにしよう。
そして、「では最後は私だな」と前置きし、美丈夫が名乗った。
全体を見回して告げられたその名前は、信じがたいものだった。
「私は、アダムス・グーダルク」
「えっ……!?」
その名は、この国に住むものなら誰もが知る名前。
「この地を治める領主だ」
クーダルク辺境伯領を治める、夜戦において無類の強さを誇った辺境伯。
隣国との戦争を停戦に導いた、国の英雄。英雄譚に謳われる、国境線の守護者。
私たちの目の前には、伝説がいた。
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