第10話 楽しいディナー
長テーブルには合計七つの椅子が用意してあった。出入口から見て奥の短辺に一脚、長辺に三脚ずつ。
グラムルは入口から最も遠い短辺の席に着き、そこから反時計周りに、中性的な顔立ちをした人形のような女性、大き目の腕輪を付けた少年、一つ飛ばして、イレーナ、私、そして優男風の
テーブルの上には座席ごとに、銀のナイフとフォーク、そして
などと考えを巡らせていると、私の
「
なかなかにハスキーな声質だ。舞台で男性役などをさせるとぴったりかもしれない。身に着けているのは、ドレス風のワンピースに
するとその正面に座る美丈夫が「まあまあ、」と背もたれに深く腰を
「そう気を急かす必要もないだろう。これから私たちは、この宿に泊まるのだからね。時間はたっぷりあるさ」
「それは……そうだけど」
良く通る低い声。一目で上等なものと分かる身なりに、私よりもある上背。年齢は三十絡みといったところだろうか。だが、彼からはそれ以上の落ち着きと風格が漂っている。
その隣で、彼とは対照的にみすぼらしい恰好をした背の低い少年がおずおずと言った。
「オレにはそんなに時間がないんだけど……」
「それは確かに、そのようだね」
少年の言葉の意味は、彼の腕に嵌められた腕輪を見ればある程度察せられる。
彼の右腕に嵌められた腕輪には、黒薔薇の紋様が浮かび上がっている。つまりその腕輪は〈束縛の腕輪〉であり、彼が奴隷であることを意味している。
この街には奴隷商がいる。そしてその奴隷商は今、王都に出ている。この少年はその間に、監視の目をかいくぐって抜け出し、この宿へ来たのだろう。腕輪の呪いを解くために。
……だが、グラムルが呪いを無条件で解くとは思えないし、少年が解呪に見合うだけの金銭や対価を持ち合わせているとは思えない。
呪いが解けなければ彼は腕輪を付けたまま生きていかなければならないし、奴隷商が戻ってきて少年を探し出せば、まだ子供である彼が逃げ
法で禁じられた奴隷商を営んでいることがわかれば、その奴隷商は奴隷を解放せざるを得ない。その上で、時間をかけて呪術師に接触し、対価が必要であればそれを用意すればよかった。
今ここに来ても呪術師が気まぐれに解呪を了承する以外に解呪の道は無いし、解呪されなかった場合、その間に奴隷商が戻ってくる可能性が高い。
つまり、牢から抜け出した彼がまず向かうべきはこの宿ではなく、兵士の詰め所だったのだ。
(でも……)
ここには王女の探偵である私がいる。
奴隷商の存在は既に聞き及んでいるし、例え少年の呪いが解かれなくとも、彼に奴隷たちが捕らえられている場所まで案内してもらい、奴隷商を捕らえることはできる。
少年の選択は基本的には間違いだったが、私がその間違いを帳消しにしてみせる。
もっとも、グラムルが気まぐれに腕輪の呪いを解呪する可能性もゼロではないし、まだ具体的に私が何か行動を起こす段ではないが。
そんな私の心情を知ってか知らずか、グラムルは楽し気に言った。
「皆さんそれぞれ事情は異なるでしょうが、私に用があって来られたという点は変わりないでしょう。ですが、まず今夜は、何もかも忘れて食べて飲んで、心と身体を休めてください。皆さんのお話は、明日お一人ずつ、ゆっくりと伺いましょう」
要するに、今ここで宿泊客の抱える問題を解決し、宿泊せずに帰られてしまうことを嫌っているのだろう。
彼はあくまで、宿代として解呪金を請求するつもりなのだから。
しかし少年はその言葉を真っすぐに受け取って、
「そっか……それならしょうがないんだけどさ」
と眉を垂らす。まだ子供であることも勿論だが、奴隷として俗世から切り離されていたであろうこともあってか、世間擦れしていない心を持っているようだ。
その他の面々は、反応はそれぞれ異なりつつも、グラムルの言葉の真意を理解している様子だ。
イレーナもまた、表情をほんの少しだけ険しくしつつ、小さく嘆息していた。
グラムルは宿泊客たちの様子を見て、
「ところで皆さん、楽しい
と言った。彼は続けて、
「皆さんは今夜、この宿にお泊りになられる。それに当たって、一つ注意頂きたいことがあるのです」
「なるほど。拝聴しよう」
美丈夫が腕を組んで頷く。その他の面々からも特に異論はでず、呪術師はそれを見届けてから話し出した。
「皆さんに守って頂きたいルールは、たった一つ。今この瞬間から明日の昼食までの間、皆さんにはこの宿から出ないでいただきたい」
「出たらどうなるっていうの?」
「その場合は、私が今後その方の話に耳を傾けることは無くなるでしょう。そして私には、誰がこの宿から抜け出したのか分かります」
「ふぅん……。まあ、わかったわ。もとからどこかへ繰り出す予定もなかったしね」
その上で、グラムルはもう一つ、私たちに問いかけた。
「ではその約束を踏まえた上で、皆さんは今夜、この宿に泊まる。そして宿代は、明日お帰りになる際に提示した金額を支払って頂く。勿論、皆さんがそれぞれ『ご納得いただける金額』を提示することを約束します。……これを、了承されますか?」
彼の問いは、私たちの意思の最終確認だった。納得できる金額とは勿論、宿泊料金としての話ではないのだろう。……今ならまだ、引き返せる。呪術師の宿に泊まらず、立ち去ることもできるだろう。
だが、私にはそんな選択肢などない。むしろ、これだけたくさんの宿泊客がいる日に泊まることができるのは好都合とさえ言える。呪術師が誰かに呪いをかける可能性も、それだけ高まるのだから。
「もちろん、了承します」
私は誰よりも早くそう答えた。次いで、
「同じく、了承しよう」
「了承するわ」
「オレも、了承するぞ」
他の面々も了承の旨を返答する。
イレーナだけは声を出すことが出来ないので、首肯するだけだが。
すると呪術師は、「そちらの女性——名をイレーナ様と言いますが——彼女も首を縦に振って了承している。間違いないですね?」と問う。
どうしてわざわざそんなことを訊くのだろう? 私はイレーナの顔を見て、彼女が私に向けて頷くのを見てから「間違いありません」と答える。
するとグラムルは満足そうに「よろしい」と頷いてみせる。そして、テーブルの下から何かを取り出し、テーブルの上に載せた。
「えっ」
ライルが驚きに声を漏らす。
テーブルの上に乗せられたのは、幻獣ケルピーの皮と鱗でできたカバーと共に紐で綴じられた羊皮紙の束と、古めかしい一本の羽ペン。
そしてそれらは当然、ただの紙束と羽ペンではない。
開かれた羊皮紙に、羽ペンがひとりでに文字を刻んでいたのだ。
「それは……」
私はその魔法具を知っていた。そして、美丈夫もまた。
「〈賢者の筆記具〉か」
グラムルは「その通り」と口の端を不気味に釣り上げて言った。
「皆さんは今、宿代は明日提示されることについてはっきりと伝えられ、その上で宿泊を了承しました。そのことは、この羊皮紙に記録されています。……皆様、どうかお忘れなきように」
見ればその羊皮紙には、この部屋に入ってから今に至るまで、全ての発言が記録されていた。〈賢者の筆記具〉は〈賢者の手帳〉と〈賢者の羽ペン〉からなり、〈賢者の手帳〉には〈賢者の羽ペン〉による自動記録でしか文字を刻むことができない。
要するに、私たちは決して塗りつぶすことのできない手帳に
グラムルは手を広げ、心底楽し気に言った。
「さて、それではあらためて——、楽しい
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