第9話 呪術師の宿

「——と言うのが、私が探偵になったきっかけというか、そのあらましですね。長い話で申し訳ありませんでした」


 たははと苦笑しつつ頭を下げる。

 私たちは休憩がてら、道端に積まれた煉瓦れんがに腰かけていた。

 すっかり日は傾いて、少しずつ薄暗くなってきている。

 私の過去を語り終えると、イレーナは私の目を真っすぐに見つめた。そして、文字をつづった木板を向けてくる。


『イマジカさん、私の演奏を聴いてくださいませんか?』


 いささか唐突ではあったが、断る理由もない。王女がわざわざ城の外にまで聴きに行ったという吟遊詩人の演奏を独り占めできるというのは、とても贅沢なことだろう。


「もちろん。ぜひお願いします」


 彼女は背負子しょいこに結んだ大きな箱を取り外し、蓋を開けた。そこには、白地しらじに精緻な意匠が凝らされたハープが入れられていた。

 彼女はそれを左肩に当てて固定し、左手の指に付け爪をした。

 ハープに付け爪とは珍しい気もしたが、奏者の好みやスタイルにもよるのだろう。

 彼女の指が、そして爪が、弦に添えられる。

 一呼吸置き、それらはまるで指の一本一本が別の生き物みたいに動き始めて――


 最初は、わくわくとした気持ちにさせられる躍動感のあるリズム。それでいて調和のとれた、豊かで朗らかな旋律メロディ

 だが次に訪れたのは、一転して聴くものに寂寥せきりょう感を与える音色。弦を弾く両手が徐々に遠く離れてゆく、まるで大切な人との別れを演出するかのような演奏。

 私はここでようやく、彼女の演奏が私の過去を反映したものだと気づいた。

 陰鬱いんうつな雰囲気は徐々に力強さを増し、荒々しささえ帯びていく。これは、私の抱えた怒りだ。その荒々しさが頂点に達しようとしたところで、ふいに静寂ブレイクが訪れる。

 その静寂を破るのは、たった一つの優しい音色。

 荒々しさは消え去って、木の葉から水面に落ちた雫が奏でる水音のように、極限まで抑えられた一つ一つの音が寂しさと美しさを行き来する。それらの音と音との間隔が少しずつせばまり、徐々に大きさを取り戻しクレッシェンド――

 世界は調和を取り戻し、大団円を迎える。

 ここで、終わりだと思った。私が王女と出会い、物語は一つの結末を迎えたのだと。だが、彼女は最後に、もう一つの展開を用意していた。それは、たったワンフレーズの、聴くものをいつくしむような、優しい音色。

 他の誰かが聞いても、きっとこうはならなかっただろう。だが、私はその音色を聴いて一瞬、胸を強く締め付けられた。次いで、何かが満たされていくような感覚。

 私は、自身が涙を流していることを、優しい温もりが頬を伝うまで気づかなかった。

 私には最後の音色が、アリアが私に「ありがとう」と言ったように聞こえたのだ。


 イレーナは私に、ただの演奏ではなく、妹の声を聴かせてくれた。


 ***


 私は彼女の演奏を聴き終えて、小さく拍手を送っていた。


「ありがとうございました。……素敵な演奏でした」


 すると周囲からも、幾人もの拍手の音が聴こえた。

 見れば、いつのまにか私たちの周りには何人かの子供たちが輪を作っていた。


「お姉ちゃんすごいね!」

「なんか、感動した!」


 いろいろと感想を伝えたかったのだが、そんな雰囲気でもなくなってしまった。

 だが、未だぬぐえずにいる涙によって、彼女にはもう十分伝わっているだろう。彼女の演奏によって、私の心がどれだけ救われたのかが。

 私は涙を拭い、苦笑しつつ立ち上がる。そしてイレーナに手を差し出した。

 イレーナは私の手を取って立ち上がり、笑みを浮かべて、口々に賞賛の声を漏らす子供たちにお辞儀をした。

 私たちは子供たちに別れを告げて、先を目指した。

 するとほんの数十メートル歩いたところで、ひと際大きな道に出る。

 その道は、ある屋敷の門へと続いていた。

 遠目からでも、その屋敷が異様な雰囲気を放っているのが分かる。


「あれが……」


 隣を見ると、イレーナが表情を硬くして道の先を見ていた。


「行きましょう」


 イレーナは前を向きつつ、小さく頷く。

 私たちは屋敷の門を目指し、歩みを進めた。

 隣を歩くイレーナの歩幅は、それまでよりもほんの少しだけ、小さくなっていた。



 私たちが黒々とした門の前へたどり着くと、その門はひとりでに開いた。ギィと鉄の擦れる音が、閑散かんさんとした前庭ぜんていに響く。


「入ってこい、ということでしょうね」


 イレーナもこくりと頷く。

 門の先へ足を踏み入れると、そこはまるで別世界だった。

 前庭の草花はすっかり枯れ果てていて、噴水の水も干からびている。その中にそびえるのが、レンガ造りの大きな屋敷。その屋敷には、不可解なことに窓が無かった。ここまでは美しく映ったはずの雪化粧も、どうしてかこの場ではただただ寒々しい。

 視界のどこを切り取っても陰鬱いんうつな雰囲気を帯びる、うすら寒い場所。


「これが、呪術師の宿……」


 私たちは前庭を抜けて、屋敷の正面扉を開く。

 屋敷の中には明かりも無く、ほとんど真っ暗だった。開いた扉から差し込む落ちかけの夕焼けだけが、ぼんやりとその中を赤く照らしている。

 私たちがゆっくりと中に入ると、扉はひとりでに閉じられた。

 完全なる闇。イレーナさんを背にかばい、私は周囲の気配を探る。

 すると前方に、ほとんど生気は感じられないが、うっすらと誰かがいるような気配があった。

 その周辺に目を凝らしていると、突然、シャンデリアに設けられた燭台しょくだい蝋燭ろうそくに火が灯った。赤い光が乱反射して、エントランスを怪しく照らす。

 私が目を向けていた先には、一人の男。詳しくは、老人と言うべきだろう。

 ローブの上からでもわかる病的な細身に、切り込みの入ったそでから覗くしわの刻まれた腕。まるで枯れ木のような印象を受けるが、それは間違いなく人だ。

 彼は手を広げ、不気味にかすれた声で言った。


「ようこそ、呪術師の宿へ」


 背を曲げる彼の姿は、まるで風にあおられる闇夜のやなぎのようだった。


「イマジカ様と、イレーナ様ですね?」


 私たちが来ることはどうやら既にお見通しだったらしい。目深に被ったフードで表情は見えないが、ちらりと除く口元は常に薄ら笑いを浮かべているように見えた。

「はい」と頷くと、イレーナさんも隣で同じように首肯した。


「……あなたが、呪術師グラムル様で間違いないですか?」


 直球で問うと、彼は事もなげに


「そうです」


 と答える。……やはり、この老人が呪術師グラムル……。


「お二人の到着をお待ちしておりました。さあ、皆さんがお待ちです……」


 そう言うと、グラムルはゆっくりとした足取りで右手の通路へと進んでいった。


(皆さん……? つまり、私たちの他にも誰か宿泊客がいるということ?)


 私たちは顔を見合わせ、逡巡しゅんじゅんのち彼についていくことに決めた。

 彼は手燭に火を灯し、暗い廊下の中をゆっくりと進んでいく。

 通路は一度突き当りに出て左へ曲がり、更に暫く歩くと、扉に行き当たった。グラムルがその扉を開けると――

 まず目に届いたのが、暖かな光。壁にいくつもかけられた燭台の全てに大きな蝋燭が立てられ、赤々と火を灯している。

 部屋の中心には、様々な料理が並べられた長テーブル。そしてそのテーブルを囲んで、既に三人が椅子に腰かけていた。


「お入りください」


 私たちはグラムルに促され、部屋の中へと入った。

 グラムルは部屋の奥。長テーブルの短辺に位置する椅子へ腰を下ろす。

 私たちは向かって右側に、隣り合わせで席に着く。それを見届けて、呪術師が言った。


「さあ、ようやく今日のお客様が揃われました。ここからは、夕食ディナーの時間です――」


 こうして、英雄譚の街・クランブルク……

 そして呪術師の宿を舞台とする事件の幕が、切って落とされた。

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