俺を穿て愛のミサイル

violet

そんな愛、重すぎて受け止めきれない

 東京スカイツリーの高さは634メートル。二つある展望台のうち、最も高い第二展望台の高さは450メートル。


 その第二展望台の窓ガラスが、俺の真後ろにあった。


 眼前に広がる東京。青い空。白い雲。眩しい太陽。


 そして真下を見る。足場は無い。


 妙に視界がぼんやりしていた。しかしすぐに慣れて気にならなくなった。


 俺は工事現場で使われていそうなチョッキを着ていた。そのチョッキには極太のワイヤーが通してあった。そのワイヤーを辿っていくと、東京スカイツリーの天辺まで伸びていた。


 びゅうっと突風が吹いた。


 すると俺は風に煽られて左右に揺れる。ぶらん、ぶらん。そしてガタンと真後ろにある第二展望台の窓ガラスにぶつかった。


「え」


 俺は声を漏らした。ようやく東京スカイツリーから宙吊りになっていることを把握した。


「う、うわぁぁぁあああ!」


 俺は取り乱した。


「なんだこれ、なんだこれ!」


 ガタン、ガタンと窓ガラスを蹴飛ばして暴れた。仕方がない。目覚めたら日本一高い建造物から宙吊りにされているのだ。


 一通り暴れたあと、俺は右手辺りに妙な感触がして、そこを見た。右手首にベルトがしてあって、そのベルトから紐が垂れていた。その紐に俺のスマホがぶら下がっていて、バイブしていたのだ。


 俺は藁にもすがる思いでそのスマホを手にとった。着信だ。俺の恋人からだった。


「し、志鶴!」


 俺は恋人の名を叫ぶ。


「おはよう祐也。ようやく起きたんだね」


 聞き慣れた声。紛れもなく志鶴の声だった。


「志鶴! はやく警察と、それと、えっと!」

「大丈夫、大丈夫。すぐお迎えが来るから。安心してね」

「ほ、本当か。た、助かった」


 俺は志鶴の言葉に安堵して、緊張していた身体の力が抜けた。


「それにしても、どうして俺はこんなことに」

「さあ? 運が悪かったね。祐也」


 運が悪いなんてものじゃないよ、と俺は言いたかったが、気力を使いすぎて言う気になれなかった。


「ねえ、話があるの」

「話? こんな時になんだよ」

「大事な話なの。お願い」


 俺は未だに宙吊りになっている。気を紛らわせたいこともあって、了承した。


「これを見て」


 スマホがバイブした。志鶴からのラインだった。画像が一枚送信されていた。


「祐也の出社前の写真。これからお仕事だから、顔が凛々しくて格好良いね」


 それは確かに出社前の俺の写真だった。だからこそ、どうしてその写真を持っているのかが奇妙だった。


 そしてまたスマホがバイブした。やはり一枚の画像が送られていた。


「祐也の仕事中の写真。祐也ってこんな顔でお仕事しているんだね。すごく真面目に仕事していて、偉いね」


 またスマホがバイブした。


「これは昼休憩の写真」


 また。


「これはタバコ中の写真」


 立て続けに送られてくる撮られた覚えのない写真に、俺は戦慄した。


「志鶴。お前まさかずっと」

「うん。見ていたよ。祐也のことずっと見てた」


 それはたとえ恋人同士であっても気持ちの悪いものだった。


「私もちょっとは悪い気もしたんだ。でもね、仕方がないじゃない。私達って休日にしか会ったことないでしょ? 平日の、お仕事中の祐也がどんな感じなのか知りたかったの」


 ふふふ、と志鶴は笑った。その異常性は、長らく付き合っていた俺でさえ知らなかったことだった。


「祐也の知らないこと、たくさん知れて楽しかったあ。まだまだ私の知らない祐也があるんだって思ったよ。だからもっと知らなくちゃって思った。ねえ、部屋で独りきりのときはどんな顔をしているの? トイレに入っている時はどんな顔? お風呂に入っている時は? もっともっと知りたいの。祐也のこと。もっともっと」


 そして志鶴は少し黙った。やがて、すうっと息を吸ったような音が響いた。


「でもさあ」


 スマホ越しでもわかるほど、志鶴の声に不気味さが増した。


 そしてスマホがバイブする。また志鶴が画像を送ったのだ。俺はその画像を見て、全身に緊張が走った。


「この女は誰」


 それは昼休憩の時。同僚の女性社員と会話している時の写真だった。


「どうしてこんなに仲良くしているの? 祐也、恋人いるよね。私が恋人だよね。なんで? なんで他の女と仲良くしているの?」

「ご、誤解だ!」


 俺は咄嗟に叫んだ。


「ただの会社の同僚だよ!」

「会社の同僚?」


 志鶴の声は、やはり不穏だった。


「知ってる知ってる。ちゃんと調べたよ。明美さん。祐也の同期で入社しているね。でもさあ、凄く仲が良さそうだよね」

「そりゃあ同僚として、付き合いで仲良くしているだけだよ!」

「付き合いで?」

「そうだよ。志鶴が考えているような如何わしいことなんてないから!」

「ふーん。会社の付き合いで。如何わしいことなんて無い。ふーん」


 そして志鶴はまた黙った。


 びゅうっとまた突風が吹いて、俺はまた揺れる。そうだ。俺は未だスカイツリーに宙吊りのままだ。


「嘘だっ!!」


 心臓が止まるかと思うほど、志鶴が大声で叫んだ。初めて聞いた志鶴の怒声。俺はまるで金縛りにあったかのように全身が強張った。


 そしてスマホがバイブする。俺は嫌な予感がして、恐る恐るスマホの画面を見た。


「ねえ。会社の付き合いでさあ。腕を組んで外を歩くなんてこと、しないよねえ」


 俺が言い訳を考えている間に、またスマホがバイブする。


「ねえ。私以外の人とキスするのって、やましいことじゃないの?」


 次々と送られてくる浮気の写真。俺は観念した。


「ごめん」


 認めざるを得なかった。俺はただ短く言った。


「ふふ。大丈夫だよ」


 予想外にも、志鶴の声は明るい。そしてスマホからなにやら物音が響いた。


「ほら、言って」


 志鶴の声は妙に遠くて、俺に言っているようではなかった。


「ぐへえっ!」


 そして、志鶴ではない女性の奇妙なうめき声が響く。


「言って。言いなさい」


 これは志鶴の声だ。やがて、はあはあと息遣いの荒い声が聞こえてきた。


「私は祐也さんと浮気をしていました」

「祐也と何をしたんだっけ。言って」

「祐也さんと食事をして、お酒を飲みました」

「それで?」

「それで、その。その場の勢いでキスをしました」


 一連の声の片方は志鶴で、もう片方は紛れもなく俺の浮気相手である明美だった。


「でもセックスはしていないの! それはまだだから」


 明美が必死で言っていることは、本当のことだった。


「うん。知ってる」


 志鶴が言った。そこまで知っているとは。


「もう祐也には近づきません。はい、言って」

「もう祐也には近づきません」

「何、祐也を呼び捨てにしてるのよ!」

「がはあっ」


 俺は固唾を飲んでそのやり取りを聞いていた。


「あ、もしもし。そういうことだから。明美さんはもう祐也には近づかないよ」


 だから安心してね、と志鶴は言った。俺は返事をすることができない。だって、この分だと俺のやましい事全部、志鶴にバレてしまっていることだろう。


「し、し、志鶴。話はまた後に、し、しよう。俺は今それどころじゃないから。俺が助かったらで。な?」

「はあ? まだ気がついてないの?」


 志鶴は呆れたように言った。動揺している俺は頭が上手く働かず、考えがまとまらない。


「あ、あの。これはどこに向かっているんですか」

「うるさい!」

「きゃあ」


 スマホからそのようなやり取りが聞こえた。うるさいと言ったのは志鶴で、もう片方は先程の明美ではない様だった。


「あのね。祐也を宙吊りにしたの、私だから。理由は、分かるよね」

「ちょ、ちょっと待て。じゃあ助けは?」

「来ないよ。呼んでる訳ないじゃん」


 その言葉に、俺は絶望した。


「じゃあ次。美也子さん」


 スマホがバイブする。しかし送られてきたものは画像ではなく、音声ファイルだった。


「音量を最大にして、再生して」


 言われた通りに俺は再生する。


『はあはあ、どう? 気持ち良い?』


 俺は咄嗟に一時停止した。


「何してるの。早く再生して」


 冷徹な志鶴の声。俺は従わざるを得ない。


『ああ、気持ち良いよ。美也子』

『志鶴だっけ? あの子胸無いもんね。こんなプレイ出来ないよね』


 確かに覚えのある会話が流れてきた。つい最近、美也子とセックスした時の会話だ。


『あの子じゃ満足出来ないって、いつも言ってるもんね』

『だからお前でしてるんだよ』


 俺にとって最も都合が悪い音声だった。何故なら聞いての通り、志鶴を貶しながらするのがほとんどだったからだ。


「ねえ、これ何してるの」


 案の定、志鶴は怒っているようだった。


「私じゃできないプレイって何。私とじゃ満足していなかったの」


 冷や汗が流れた。どんどん状況が悪化していく。


「あんたがつまらないってことよ! このっ、さっさと別れたら良かったのに!」


 スマホから流れた音声は、美也子の声だった。明美と同じく、志鶴と一緒にいるらしい。


「がっ! 痛ぁ……」

「別れる? なんで? 私と裕也は恋人同士なの。そうだよね、裕也」

「……ああ」

「ほら。なのにどうして、あなたの為に別れなきゃいけないのよ」


 志鶴が言い終えると、また美也子の呻き声が聞こえてきた。


「そうよ。あなたがいけないのよ。あなたがそそのかすから。裕也は浮気なんてする人じゃなかったのに!」


 言い終えると同時に、不気味な物音が激しく響いた。


「いやぁぁぁあああ! 痛い、痛い!」


 続いて美也子と思わしき絶叫が響いた。想像を絶する何かが行われていることは間違いなかった。


「あーあ、気を失っちゃった。もっと罰を与えなきゃならないのに」


 その言葉に、俺は鳥肌が立った。それはもう、俺の知る志鶴ではなかった。気絶するほどの苦痛を与えるなんて、まともではない。


「じゃあ次」


 その言葉に、堪らず俺は叫んだ。


「もういいよ! 志鶴! 俺が悪かったから。浮気して悪かった。ごめん!」


 すると、志鶴は沈黙した。やがて唐突にスマホがバイブする。送られてきたのは画像だった。


 その画像は、エコー写真だった。妊婦が超音波検診で撮る写真だ。


「見てこれ。胎嚢たいがが写っているでしょう。妊娠しているの。この人」


 胎嚢とは、赤ちゃんが作られる過程で出来る、赤ちゃんを包むための部屋のことだ。これがあるということは、間違いなく妊娠していることを意味している。


「萌美……」


 俺は思い当たる人物の名を呟いた。


「何よそれ」


 とてもイライラした様子で、志鶴は言った。


「ねえ。私が本命じゃなかったの? 萌美さんが本命だったの?」


 俺は沈黙した。そして周囲を見渡す。宙吊りの状態もすっかり慣れてしまった。すると視界に広がる景色が、途端に絶景に見える。


 空は青くて、雲は白い。ずっと強めの風が吹いている。眼下に広がる、立ち並ぶビル群。車は米粒程度の大きさしかなく、人は視認できない。


 そんな景色を眺めながら、俺は思う。死を、覚悟しなくては。


「俺の本命は、ずっと前から萌美だけだった」


 俺は呟くように語る。志鶴は黙ったままだ。


「萌美と結婚する予定だった。だから、お前と、お前が呼んできた女達全員と、縁を切る予定だった」


 本当にごめん、と俺は言った。申し訳ない気持ちは本当だった。女癖が酷いことも自覚していた。だから萌美以外の全員と縁を切って、綺麗さっぱりした状態で結婚する予定だった。


 来月から同居する予定もあった。萌美が妊娠したのも計画のうちだ。こうなってしまうのなら、もっと早く行動に移しておけば良かった。


「ねえ。ここにね。萌美さんもいるの」


 ほら、と志鶴は恐らく萌美にスマホを向けた。


「祐也さん」


 それはまさしく萌美の声だった。


「萌美! 大丈夫か」

「うん。大丈夫」


 しかし萌美の声は弱々しい。ひどく怯えているのは明白だった。


「ねえ祐也。萌美さんだけじゃない。さっきの明美さん。美也子さんもここにいるの」

「志鶴。今どこにいるんだ」

「ふふ。もう見えているわ」


 その言葉を聞いて、俺はすぐに周囲を見た。しかし見つかるわけがなかった。ここから見えるのは青い空と白い雲。ジオラマのように小さいビルと、米粒のような車。ああ、鳥も飛んでいる。


「あとは飛行機か……」


 はるか彼方に、飛行機が飛んでいた。


「見えているじゃない。それよ」


 なんて志鶴は言う。


「それ? それって、まさか」


 俺はその飛行機を見た。まっすぐこちらに向かってきている。


「志鶴。お前……」


 嫌な予感がして、俺は言う。


「そうだよ。その飛行機。今ね、操縦席でパイロットを脅しているの」


 あまりにも滅茶苦茶なことを言うものだから、俺は混乱した。


「お迎えに来たよ。祐也」


 背筋が凍った。


「祐也。あなたが私だけを見てくれないのは、あなた自身の愛が足りないからだと思うの」

「志鶴、やめろ!」


 志鶴がしようとしていることを察して、俺は思わず叫んだ。


「だからこの飛行機に、私と他の女を乗せたわ。私も祐也を愛しているし、この女たちも祐也を愛している。ほら、愛がたっぷりでしょう」


 飛行機は凄まじい速度で接近しているらしい。遠くにいた飛行機はもう間近に迫ってきていた。


「おい志鶴! やめろって言ってるだろ! ふざけるなよ!」


 俺は頭に血が登って怒鳴った。直視せざるを得ないほど死が間近に接近してくると、人間はこうなるらしい。


「死んでしまう程の愛を、あなたにぶち込んでやるわ!」


 そんな愛、重すぎて受け止めきれない。


 さながらミサイルのように、飛行機は俺にめがけて飛んできた。先程の絶景がまったく見えないほどに、機体が視界を埋め尽くしていた。


 ぶつかる瞬間。操縦席の様子がはっきり見えた。


 ぐったりと倒れたパイロット。窓を必死に叩く、血まみれの萌美や他の女達。


 そして目を見開いて、口をあんぐりと開けて、高笑いをしている志鶴。


 ……ッ!!


 いやだ、死にたくな





 すっかり辺りは暗くなっていた。俺と志鶴は人気の少ない道路を並んで歩いていた。


 ひゅうっと風が吹いた。肌触りの良い夜風。


「それにしても、あのVRゲーム凄かったね」


 夜風に髪を靡かせて、志鶴は言った。俺と志鶴はVRゲーム専門のゲームセンターに遊びに行っていた。家庭用のVRゲーム機とは違って、本格的な体験が出来るのがそこの売りだった。


「いやあ、超びびったよ。何だか他人事とは思えなかったし。志鶴の演技も何だか迫力があってさ」

「だって、私も他人事とは思えなかったし」


 なんて笑い合っていると、家の近くの公園まできた。


「ねえ、話があるの」


 なんて志鶴が言うものだから、俺達はとりあえず公園のベンチに腰掛ける。


「話って何?」


 俺が言うと、スマホがバイブした。志鶴からのラインだった。画像が一枚送信されていた。


「とりあえず、その写真見てくれる?」

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