第4話 鏡の中の悪魔 中編

 放課後になり、疾音と紫輝と眞守が図書館に情報を求めに行った頃のことである。

 陸上部の日向は次の大会に向けて、着々と力を蓄えていた。だが、彼女に取り付いた怪異というものは、彼女を逃がすことはない。

 彼女はひどく打ってしまった脛を仲間に冷やしてもらいながら、上部が外れたハードルを見つめていた。

「珍しいね、ハードルがいきなり壊れるなんて」

「うん……」

 力なく、日向は頷く。元より不運に見舞われやすかった日向であったが、今日に限っては殊更そうした異変に見舞われていた。

 例えば、立てかけてあったモップが倒れてきたり、ノートがなくなっていたり、スリッパのゴム底が取れていたりといったことである。一つ一つは些細なことであったが、それらの出来事は、いやに日向の心に焼き付いた。

 ――あなたって本当に不運よね。

「えっ」

 不意に聞こえた囁きに、日向は顔を上げる。しかし、そこにあるのは怪訝な顔をした同じ部活動の仲間の顔だけだ。

「どうかした?」

「う、ううん。何でもない……」

 慌てて首を横に振って、日向は今の声を思考から追い払おうとした。だが、妙に心に残る囁きは、彼女の心の柔らかいところを苛み続ける。

 今は小さな不運だけれど、何か大きなことに繋がって、誰かを傷つけてしまうのではないか。そうした、とりとめの無い懸念が彼女の中から湧き上がる。

「きゃっ」

 その彼女の思考が強制的に引き戻されたのは、今しがた手当をしてくれていた仲間の小さな悲鳴だった。はっとして顔を上げれば、彼女のすぐ横をソフトボールの球が剛速球で通り抜けたところだった。

「あ……危ないでしょ! ちょっと!!」

 憤慨した少女がソフトボール部に向けて歩いて行くのを、日向は見ていることしかできなかった。

 ――今の球がぶつかってたらどうなったかな?

 恐ろしい考えが彼女の中によぎる。口論をする生徒たちを見ていた彼女は、いたたまれなくなって立ち上がる。脚は痛んでいたが、それ以上に心が痛み始める。

 ――全部、あなたが不幸だから。あなたが不幸を呼んでいるの。

(そんなこと言わないでよ)

 無意識のうちに、日向は囁きに返事をする。夕暮れ時の彼女の影が、一層濃厚になる。彼女は逃げるように支度をして、帰り道に飛び出していく。

「ん」

「わっ!?」

 そこで、彼女は再び眞守に遭遇した。危うくぶつかりそうになって、踏みとどまる。

「……」

 日向は、二の句を継ぐのも忘れて、眞守を見つめていた。頬に、生々しい怪我が増えていからだ。それだけではない。後ろに束ねた髪が、不自然に切れているのを見た。痩せた彼の手にも、擦り傷がたくさんついていた。

「どうしたの、その怪我……」

「……大したことじゃない」

 やはりそっけない態度で、眞守は答えた。

「特に用がないなら、僕はこれで」

「あ……」

 日向が言葉を探しているうち、眞守は淡々と別れを告げて歩き出す。すっかりひとりぼっちになってしまったような心地になって、日向は挙げかけた手を下ろし、力なく鞄の持ち手を握った。

 そんな日向を見つめている二つの影があるということは、彼女には知り得ぬことだった。


「まずくない?」

「まずいよー……」

 疾音と紫輝は、落胆する日向を物陰から見守っていた。

「支倉も怪我増えてるしー……」

「あれが彼の力なんだよ。不幸を肩代わりする。彼も多分、自分が怪我するのを覚悟しててやってる」

 紫輝が腕を組む横で、疾音も眉を寄せて唸る。

「つまり、それだけの不幸が日向さんに向いてるわけ。支倉が力を使っても、まだ足りない……」

「でも、日向さんが大怪我したとは聞いた事がないよ」

「そうだったら、支倉はもっと早く僕らに救助を求めてきたはずだから……えーと、今までは支倉だけで何とかなってたんじゃないかな?」

「怪異のせいか……何とかならないかなぁ……」

 間延びしながらも明るさのない紫輝の言葉に、疾音は消えゆく日向の背中を睨む。

「何とかするさ。そのための僕らだ」

 夕暮れが徐々に夜に染まり、怪異の時間がやってくる。その前に当番でない彼らができることといえば、この坂奇学校という場所から立ち去ることだけだった。

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怪異対策委員会 @pis_cco

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