第7話 欺瞞
一夜は深い深い海の中に沈んでいた。
考え事をすると決まって思考の海に沈む。
ぷくぷく、ぷくぷく、ぷくぷく
海底から気泡が湧き上がる。
気泡の中には色々な単語や文章が内包されていて、それが揺らめき、くっ付き、分裂して、そしてはじけて消える。
一夜は何もない空間から思考の海に飛び込み、沈み、沈み、沈み、言葉の気泡を眺め、吸い込み、そして吐き出す。
海底は混乱の坩堝、全ての謎が詰まっているヘドロの海底に沈みこむ。
クルリと振り返ると真理の明かりが海面に揺らめく。
ゆらゆら、ゆらゆら、光が煌めき、そこに全ての回答が存在するように感じられる。
一夜は手を伸ばす。
光の方へ伸ばす手はしかし光へは届かず、言葉のあぶくがその手の周りを通り抜けて海面へ向かう。
言葉の気泡を選別し、一夜は自身に取り込む。
(旧校舎と新校舎の七不思議の違い)
(旧校舎は全てホンモノ)
(鏡面の少女)
(鏡に浮かび上がる人形)
取り込んだ言葉の分だけ一夜は少しずつ浮上する。
ゆっくり、ゆっくり、浮上していく。
(時間指定された現場調査日程)
(暗い廊下)
(朝日)
取捨選択し、取り込む言葉が多くなればなるほど、一夜の浮上速度は上がっていく。
(廊下の東端)
(魔鏡)
(近寄れない鏡)
海面に近づく一夜。
ふっと気が付く。
取り込んだすべての言葉がつながる。
ザバンッという音と共に一夜は海面に顔を出して、そして目が覚めた。
「ああ、そうだったのか」
*
週明け月曜日の放課後、一夜、ミロク、澪の一年生三人と、妃花が揃って旧校舎の部室に集まっていた。
「それで、旧校舎の七不思議の謎、分かったのかい?」
妃花がこれ見よがしに尋ねてくる。
とは言えそもそもの前提が可笑しい、元々は妃花が一夜達にホンモノの七不思議を見せると言う事で週末集まったのだったはずだ。しかし、いつの間にかそれが妃花からの問いかけに代わっている。
「つまり、これまでの一連の流れは僕らを試すために行われていた、と言う事ですね」
妃花はにやりと笑うが答えは言わない。
そのまま一夜に先を則す。
「違和感はいくつかありました。先輩が言った『旧校舎七不思議の一つ『鏡面の少女』の舞台』といった言葉もその一つです」
「何かおかしい所は有るかな?」
「先輩は鏡を指さし舞台と言いました。つまり、あの鏡はただの舞台装置で有り、オカルトとは関係ない物ではないか、と思い始めました」
一夜の話にミロクと澪が驚いた顔をする。特に事前に二人には話の内容を伝えては居なかったため、驚くのも無理はないかもしれない。
「えっ、あれ七不思議じゃないの?」
澪の言葉に一夜は首を振る。
「いや、あれは七不思議だ」
「???」
澪は不思議そうに首を傾げる。
「『笑う特別教室棟の音楽室のベートーベン』、新校舎の七不思議と同じだよ。先輩は旧校舎と新校舎の七不思議に対してなんて言ってた?」
「旧校舎の七不思議の話題が出始めたら、新校舎で起こったと改変する? だったか」
その通り、とミロクの答えに一夜は頷いた。
ここまで妃花は口を挟まず三人の話をただ聞いているだけだ。
「つまり言い換えれば、旧校舎で起こる七不思議の話題は都合が悪いため、新校舎の話題に挿げ替えたんだ。なぜか、それは先輩も言っている。旧校舎のそれ、つまりオカルトが本物だからだと」
「でも『鏡面の少女』は本物じゃないんでしょ?」
澪は再度疑問を口にする。
「違う、『鏡面の少女』が偽物な訳ではない。あの鏡それこそが鍵だ」
「鏡?」
「そう、あの鏡に映る少女と言う現象が偽物なんだ。恐らくこれも本物を隠すための欺瞞だ」
ここで妃花が手を叩く。
「なるほど素晴らしい考察だ。それで、一夜君はあの鏡に映る少女の現象は何だと考えるんだい」
「物語に出てくる探偵なんかは恐らくここで現場に皆を集めて、実際に実験をして事実を詳らかにするんでしょうが……」
一夜はそこで一呼吸置くように息を吸い込んだ。
そして思考の海の奥深くでその手に掴んだ事実を信じて口を開く。
「あれはマジックミラーですね」
一夜の言葉に部室に静寂が訪れる。
ミロクと澪はまだ理解が追い付いていないような微妙な表情を見せ、一方の妃花はとても可笑しそうな笑みを浮かべていた。
「どうしてそう思った?」
「色々と疑問はありましたが、まずはあの現象を見に行った時間です」
「時間? 四時半ごろだっけ、確か」
あの日一番最後まで寝ていたミロクが記憶を頼りに答えた。
「そう、それくらいの時間だった。あの日先輩はやたらと時計を気にしていた。まるであの現象の起こる時間が正確に分かっているみたいに」
「オカルト現象が見れる時間なんて正確にわかるモノなの?」
素朴な疑問を澪が口にする。
「再現性のあるオカルトは珍しいだろうな。しかし、先輩はまるで現象が起こる時間を知っている様だった。つまりその時間に何か因果関係がある、そう思った」
「朝の四時半頃なんて何が有るんだ? 新聞配達だってまだ来ないだろう?」
「それが有るんだ。毎日の事であまり気にしていないかもしれないが、年に一回くらいは真剣にその現象を見ようと努力するかもしれない有る現象が」
一夜が水を向けると、ミロクと澪が考え始める。
しかし大して思いつかないらしく云々と唸るだけで思考は先に進まない様だ。
そんな様子を妃花が面白そうに見つめている。
助け舟を出そうかどうしようか、そんな事を考えている顔だ。
「そう、そして時間だけでなく、場所も関係が有った」
「場所? 鏡のある場所か?」
「そうだ、何故あの鏡は旧校舎廊下の東端に有ったのだろうか。あそこで無ければいけない理由が有った」
そこまで言うと、ミロクが何か気が付いたような顔をする。
もしかして、と呟くとスマートフォンで何かを調べ始めた。
「分かったか、ミロク」
「多分だけど……。日の出、か?」
おずおずと口にするミロクの言葉が正解だった。
当日の日の出時間はおおよそ四時四十一分、これは国立天文台のホームページを探れば誰でも検索できる情報である。
妃花が日時を気にしたもの、その日が晴れているかどうかを気にしての事であるし、また見に行く時間を指定していたのも朝日が昇るタイミングを見ての事だった。
「そして、あの鏡は朝日を後ろから受ける形になる。つまり、朝日が昇る一瞬だけ私たちが鏡を見ていた側と鏡の裏側の明暗が逆転する。懐中電灯の光を切ったのもそのためですね」
「なるほどなるほど、確かに面白い説だ。しかしあそこ壁に姿見が貼り付けてあっただけだったと思ったが? 仮にアレがマジックミラーとして、どこに人形を置いているんだい」
余裕しゃくしゃくの様子の妃花。
もとより解かれる事を前提とした謎なのだろう、むしろその事情を察知しながら話す一夜の方が焦ってくる。
「簡単な事です。あの鏡の裏には空間がある、それだけの事です」
そう言うと一夜は部室に据え付けられている黒板に旧校舎の見取り図を簡単に描いた。
そして廊下の東端に一本線を引き、人一人くらいが入れるような隙間をその場所に作った。
「東端の壁に少し隙間を空けてもう一つの壁を作るんです。そしてその壁にマジックミラーを取り付ける。恐らく元有った板張りの壁には少し隙間があるのでしょう。その隙間に朝日が差し込み、少しの時間だけその部屋が照らされる。そして、照らされた部屋の光量が廊下の光量を上回りその部屋に置かれた人形の姿が浮かび上がる」
「なるほど、そして一定時間たち廊下にも明かりが溢れてくると再び明暗が逆転しただの鏡に戻ると言う事か」
話しの内容を理解してきたミロクが後を続ける。
「何、つまるところ、やっぱりあの七不思議は嘘だったって事?」
澪の不安そうな表情をし話を聞いている。
「鏡に映る少女、と言う現象が偽物だっただけだ」
「じゃあ、何が本物なの?」
一夜は先輩の方を向き、意を決したように問いかける。
「本物のオカルトは、あの人形ですね」
妃花は目を閉じ一夜の今までの解説を反芻する。
穴は多い、想像で補っている部分が目立つ。
しかし、最後に真理に到達した。
一夜は警察でも無く、研究者でも無く、探偵ですら無い。
オカルトマニアに相応しいのは寧ろ、精密な証明行為では無く、直感による事象の把握だ。
いかにその事象を分解し、判断し、そして本物を見分けられるか。
荒いながらも彼にはそれが備わっていると、妃花は感じていた。
「よし、それじゃ見に行こうか」
そう言うと、妃花は席を立ち部室を後にした。
*
一昨日の金曜日と同じように彼らは旧校舎の廊下を歩いていた。
月明かりが零れ、前よりも幾分か明るい廊下だが、それでも懐中電灯の光無しでは前に進むのもままならない状態だ。
前回と違うのは到達する場所一度見ていると言う安心感。
そのためか、前回よりも少しばかり早く到着したようにも感じた。
「概ね一夜君の話で当たっているよ」
道すがら妃花が七不思議に関して解説してくれた。
曰く、旧校舎の七不思議『鏡面の少女』は作られた七不思議である。
その理由は一夜が語った通り本物のオカルトである人形、あのビスクドールの存在を隠すため。
とは言えマジックミラー等付けずに完全に人形の存在を隠す事も出来る様に思えたが、それでは駄目だと妃花は言う。
何故ならば、それをすると完全に負の気がソコに溜まってしまうから。
負の気を貯めてしまうと、この世のモノではない何かを呼び寄せてしまうから。
完全に隠してしまうと、いつかソレの存在を忘れてしまう事になる。
だから見える位置に置く。
七不思議として語り継ぐことによりソレが居ると言う事を忘れないようにする。
忘れないと言う事は、負の気が溜まる事を抑える事にもつながる。
そういうモノが居たと言う事実を認識することがやがて浄化に繋がる。
忘れると言う事はそう言うことだ。
忘れられた存在はやがて行き場を無くし、そして増大する。
そうならない様にと、オカルト部では代々旧校舎の七不思議を語り継ぐ。
多勢の目に触れぬよう、興味本位で調べられぬよう、幾重にも欺瞞を纏いながら語り継がれる。
そして毎年新入生が入ると語り継ぐべき資質を持つかテストが行われる。
それが『鏡面の少女』の七不思議。
そして、最初の謎が解かれる時が来た。
「さあ、到着だ」
あの日と同じように面白そうに笑みを見せ鏡を指さす妃花に釣られて三人は鏡を見る。
まだ時間的に夜の帳も降り始めた頃なため、そこに有る鏡はただの光を反射するだけのモノであった。
そこにはあの美しいビスクドールの姿はどこにも映っていなかった。
「これが、本当にマジックミラーなの?」
「三人共、ちょっと目を閉じていてもらえるかい」
妃花の言葉通りに三人は大人しく従う。
目を閉じる事により、その他の感覚が研ぎ澄まされる。
鏡のある方向からガタガタと音が響き、何かが開く音がする。
暫くごそごそと妃花が動いている様子が有ったが、やがてパタンと閉じられる音がし、目を開けていいと言われた。
ゆっくりと目を開けると、目の前にはあの日見たビスクドールの姿が鏡に浮かび上がっていた。
「ひ、妃花先輩……。これって」
「どうだい、見えるかなあの人形が」
前回程ではないにせよ、鏡の中の人形が明かりに照らされ鏡面に浮かび上がっていた。
「これは、部屋の中に懐中電灯を入れましたか?」
微妙に人形の下から照らされる明かりは、先ほどまで妃花が持っていた懐中電灯の明かりだった。
「どうだい、これが『鏡面の少女』の正体さ」
そう言うと妃花はゆっくりと鏡に近づき鏡の脇に指を這わせ何やらごそごそと動かした。
先ほども聞いたガタガタと言う音と共に、何かが外れる音がして、ゆっくりと鏡が扉の様に手前側に開いてきた。
「鏡自体が扉になっていたんですね」
ミロクが中の様子を伺おうと首を伸ばすが、妃花の陰になって中の様子はうかがえない。
ちょっと待ってろ、の声と共に妃花が部屋の中に入る。
ゆっくりと何かを取り上げるような動作をしたかと思うと、後ろ足で部屋から出てきた。
そして彼女一拍置いて振り返る。
彼女の腕の中には、大き目のビスクドールが抱っこをされるように佇んでいた。
鏡越しでは無く実際に目にするビスクドールの人形は、美しい白磁の肌、そしてその髪はまるで毎日手入れをされているように艶やかで、纏う純白のドレスには一つとして埃など存在していなかった。
あまりの美しさに息を飲む三人に向かい、ニッコリとほほ笑むと妃花はこう言った。
「ところで三人はアナベル人形って知ってるかな?」
ふとももでオカルトは駆逐できるはず! 大鴉八咫 @yata_crow
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ふとももでオカルトは駆逐できるはず!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます