最終話

 栗色の髪を細かい装飾の施された櫛で梳きながら、ライラはため息をついた。非常に長いこと使っているが最大の注意を払っているので櫛の歯は欠けておらず、覗きこんだ鏡に映る自分の肌に不都合を見つけてしまったわけでもない。


 不幸の象徴とされる緑色の瞳はさほど気にならなくなった。栗色の髪もそれなりに気に入り始めている。家族を忘れてしまったわけではないが、悪夢はすっかり見なくなった。


 もしもヘズに会う前に終わりを覚悟してしまっていたら。なんて恐ろしいことを考えていたのだろうと、昔の自分を叱りたいくらいだ。


「ライラ様、ご自分でなさらなくても私がいたします」

「有難う。任せるわ」


 傍にいる侍女は少々世話焼きが過ぎて、五百年も一人で生活の全てを行っていたライラは未だに慣れなかった。ライラに仕えることを誇りに思っており、とても熱心に仕事をしてくれる。王女だった頃とあまり変わらない待遇なのに、自分の変化を感じさせられていた。


 今日はヘズと森の中でした約束を果たす日だ。


『私の呪いが解けて、ライラの問題も解決したら、今度は町の中でデートしよう』


 あれから両方ともすぐに解決してしまったが、デートをするための町が出来上がるまでに時間がかかってしまった。

 二人とも今日は一日中仕事を入れずに過ごすと周囲に宣言していた。それでも緊急時に備えて城の近くを出歩く程度にする。


 侍女に選んでもらい膝上五センチのスカートをはいたライラは、その辺の町娘と変わらぬ格好のつもりでいたが、鏡の前に立つとやはり違和感がある。普段着は落ち着いた色を好むライラに着せられたのはアイスブルー。侍女にピンクとの二択を迫られてそちらを選ばざるを得なかった。


「普通より短く見えない?足元が心許ないし、やっぱり似合わないわよ」

「ライラ様の気品が隠せませんからね。まだ春先ですし、丈が長めの羽織ものをお召しになると良いですよ」

「下にタイツを履きたいのだけれど。それかブーツが履ければ……」


 ささやかながら抵抗を試みるが、侍女は首を振った。


「だめです。せっかく綺麗なおみ足なのですから出さない手はありません」

「でも私、もう五百を過ぎたお婆さんなのよ」

「時を止めたのは私と変わらない年齢だとペルケレ様から聞きました。ライラ様がご自身をお婆さんというのなら私もお婆さんになりますが?」

「そんなつもりでは……」


 世話を焼きすぎだと思っていたが、お洒落に関しては頼りがいがある。髪をゆるく編んでもらい薄く化粧を施す。

 支度をしているライラを眺めながら、ペルケレが尻尾を揺らしていた。


「なあなあ、俺もついて行っていいか?」

「だーめ。ペルケレはいつも一人で出歩いているでしょう?」

「まぁ、たまにはいいか。楽しんで来い」

「ええ、行ってくるわ」


 城の前でわざわざ待ち合わせをしたヘズもまた、町の青年と変わらぬラフな格好をしていた。お互いに見慣れぬ格好にほおを染めながらどぎまぎしている姿を、門番が見て見ぬふりをしている。


「きょ、今日はどこへ行くの?」

「余所の国から移転した店があるらしい。リンルの実をふんだんに使った甘味が名物だとラッリに勧められた」

「行きたい!」

「それから旅芸人が来てるらしい。うまく通りかかれば芸が見られるかもしれないな」


 整備された歩道をゆっくりと歩く。視察で見慣れている街の風景も、二人で歩けば新鮮に感じられた。長い金髪の非常に目立つ魔王に気付いても声をかける無粋な者は居らず、仕事を忘れて心の底から楽しむ。

 何もないところから始めた街づくりも今ではとても活気があり、厳しい制限や様々な救済処置を設けた為、貧富の差が少ない町となった。


 威勢の良い客の呼び込み。どこからともなく漂ってくる食べ物の良い匂い。

 路地裏を覗くと子供たちが遊んでいて、安物だがぼろでは無い服を着ていた。とても元気にはしゃぎまわっている。

 布地を売る店では五百年前の古い意匠が復活していたり、ライラのレシピで作った化粧品を売るお店もあった。それぞれの店長は村で世話になった人たちだ。すでにかなりの年齢になっていたが、ライラに気づくと軽く会釈をした。

 ライラたちが使っていた家は、そのまま宿屋として受け継がれている。


 昼ごろには、オープンカフェのある店で街並みを眺めながらゆっくりと食事をした。


「昔はね、こうして出歩くことはあまりなくて、窓から眺めるだけだったの。森に浸食されてその歩きたかった街すら無くなってしまったけれど、今はかなり満足しているわ。とても楽しいもの」


 食後にリンルの実を使ったスイーツを三種類も頼んだライラは、嬉しそうに頬張った。ここ最近の忙しさで体重は減っていたので、罪悪感も持たずにしっかりと味わう。

 ヘズも、異国から輸入された紅茶を飲みながら昔に思いを馳せていた。


「私は、兄の知らない場所を見て回ろうとお忍びでよく出ていた。一度貧民街に迷い込んでしまった事があって…あれは世界が違う。この街にはそんな区画を絶対に作りたくなかった」

「好きなように一から作られる機会ってなかなかないわよね。しかも自分だけではなくていろいろな人の手が入るから新たな発見もある。……かなり美味しい、違った、楽しい街になったと思うわ。ヘズのお陰ね、有り難う」

「甘いものを頬張りながら言われても。いや、ライラが幸せそうなのはとても嬉しいんだが」


 昏い鬱蒼とした森のあった場所が、日の光の当たる明るい街並みに変わった。とても眩しい眩しい場所に。ライラ自身の記憶もめまぐるしい速さで上書きされていく。

 囚われるばかりの過去はもうどこにも見当たらず、ただの思い出へと変わっていった。未来が続く幸せを、リンルの実と共に噛みしめていると、ふいに籠を持った花売りの少女が声をかけてきた。


「あの、お花いかがですか」


 オープンカフェで声を掛けてくるあたり、中々したたかだ。客は知らんぷりをして逃げられない。

 ヘズが一つ分の料金を払い、花を選ぶ。


「すぐ枯れてしまうだろうが、刹那のものにこそ価値を見出したい」

「そうね、それが長生きするコツかもしれないわ」

「長い目で見れば変化する可能性だってある」


 長生き人生の先輩であるライラが頷いた。感動したり大切に思う気持ちを失くしてしまったら、どれだけ長くても無価値になってしまう。そして大したものでなくとも思わぬところで価値が上がることもある。

 要は、気の持ちようなのだ。そして無価値へ段々と近づいていたライラの人生は、ヘズと会うのがもう少し遅かったら色々と始まる前に終わらせていたかもしれない。


「ライラ、こっちを向いて。髪に差すから」


 白い花を選んだヘズはライラのゆるく編まれた髪に差し、そのまま流れるような仕草で唇にキスを落とす。

 すっかり油断していたライラと、間近で目撃してしまった花売りの少女は真っ赤になってしまった。


「ちょっとっ!人前で!」

「これでこの花はキス一つ分の価値になった。花売りさん、有り難う」

「あ、いえ、お買い上げ有難うございました……」


 ヘズはしてやったりと笑い、少女はそそくさと逃げてしまった。顔から熱の引かないライラは、ヘズを恨めしそうに見る。


「あ、味が分からないじゃない」

「願ったりだ。デートなのにライラがリンルの実にばかり夢中になっているから」

「相手がヘズでなければ三つも頼むわけないじゃない」


 仕返しとばかりにケーキの一口分をフォークでぶすりと刺して、真っ赤になったままのライラがヘズに差し出した。ヘズの視線がケーキとライラの間を彷徨う。


「ライラ」

「年の割に子供っぽいことするとか言わないでよ?……恥ずかしいから早く食べて!」


 慌ててケーキを頬張るヘズ。何度か咀嚼しやっとの事で飲みこんだ後、むすっとした顔で言った。


「なるほど、味が分からん」

「でしょう?」


 流石にこれ以上はけんかの火種になりそうだったので「ライラが可愛過ぎて」とは言わないでおいたヘズだった。


 それから漸くヘズとライラの結婚式が盛大に行われたのは、城に住み始めてから五十年も後の事。


「―――だってのに、なんでお前は若いままで生きてるんだ、ラッリ」


 式の参列者を見ながらペルケレとラッリはおしゃべりに興じていた。ペルケレは侍女によってタキシードもどきを着させられ、むず痒い思いをしていた。


「実は私の母は人間ではなかったらしくて。ペルケレ殿の話をしたら昔の知り合いだと言われました。ペルケレ殿が神様だった時にお付き合いしたこともあるらしいですね」


 服を着ているせいで後ろ足の届かない首の後ろを掻いてもらったペルケレは、まじまじとラッリの顔を見た。


「そう言えばどことなくお前に面影が」

「父も無事に天寿を全うしたことですし、久しぶりに会いたいと申しておりました。ほら、あちらに―――」

「悪いっ、ヘズが緊張しているみたいだからちょっと行ってくる。じゃあなっ」

「ああっ、ペルケレ殿?お待ちくださいっ」


 薄いベールを被ったドレス姿のライラと正装したヘズの元に、ペルケレが駆け寄る。それまでぎこちない動きをしていたヘズがペルケレを抱きあげると、ライラはブーケを持たない方の手でペルケレの頭を撫でた。


「似合っているわよ、ペルケレ。とっても可愛い」

「ライラも。今日はいつも以上に綺麗だ」

「ふふ、有難う」


 花がほころぶような表情でライラは笑った。ライラ達のいつものやり取りに、ヘズは片眉を上げる。


「何だか妬けるな。そのまま花嫁をさらわれそうな気分だ」

「そう言うな、ヘズ。これも五百年続いただ。これからはお前が引き継ぐんだ」

「ああ、心得た」


 永遠の愛を神に対してではなくお互いに誓い合った二人は、国民の祝福を受けて幸せに包まれていた。



 臣下は代を重ねるが王と王妃は変わらぬ国。代替わりで国の方針が変わる心配もないため、臣下も、そして諸外国も安心して付き合える国として携わっていた。


 魔王と魔女の治める国。その国の名は―――




                                                               完

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呪われた王子と森の魔女 よしや @7891011

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