今宵、鎖骨を頂戴いたします。

飛鳥休暇

今宵、鎖骨を頂戴いたします。



 びゅるりと、強く風が吹いた。遠くに見える時計台が、午前零時を告げる鐘を鳴らす。





「追い詰めたわよ! 怪盗ハウスマウス! ……いえ、J・Jジェームス・ジョーエン!」




 博物館の屋上に、フェリス・オクトの堂々たる声が木霊こだました。吹きすさぶ風が彼女の長い髪を舞い上げる。

 国際警察のバッジのついたコートがばさばさと音を立てる中、無骨な拳銃の銃口は対象をしっかりと捉えている。


 しかし、怪盗は動揺することなく「ふっふっふ」と笑みを零した――。





*****



 博物館の壁に嵌められた時計が、午後十一時半を示している。


 静まり返った博物館の中で、フェリスは辺りを警戒していた。細身のパンツスーツから伸びる長い足を肩幅ほどに開き、いつでも動き出せるよう重心を整えている。


 人形のような小さな顔の乗った首を左右に動かす度に、腰まで伸びた艶やかなブロンドがふわりと舞った。





「……そういえば、鎖骨っていうのは人間特有の構造らしいですね」




 隣にいる若い警官、トーマス・リーが背後のガラスケースをちらっと見やり呟いた。フェリスが返事もせずにいれば、彼はすぐに前を向き、わざとらしく明るい声を上げる。



「この前、ツイッターでたまたま見たんですよ。鎖骨があるのは人間だけだから、誰かを抱きしめることが出来るのは、あらゆる動物の中でも人間だけだって」




 トーマスはまた、恐る恐る視線を背後に送っている。怖いのならば見なければいいのに。胸中で悪態をつきながら、フェリスも仕方なく後ろを振り返る。




 ガラスケースの中には、白骨標本が飾られていた。

――いいえ、正確に言えば人間の白骨標本ね。

学生時代に見た様々な動物の標本を思い出しながら、フェリスは心の中で訂正する。


 その視線の先で、白骨標本の鎖骨部分がきらりと黄金色に輝いた。――そう、これこそが、この標本を希少たらしめる所以だ。



 黄金の鎖骨。



 さる地方の山から出土した、この白骨死体。特筆すべきは、鎖骨の部分だけが天然の金に覆われていること。


 それは学術的に見て、奇跡とも言える代物だった。




――いかにも、彼が好きそうじゃない。


呆れたように思いながら、フェリスは早口で呟く。




「ハリネズミ、熊、鶏」


「へ?」


「今言ったのは、すべて鎖骨のある動物よ」


「は? とりも? 鴨も? カラスもですか?」


「なぜそのチョイスかはわからないけど、鳥類にはすべからく鎖骨はあるわ」


「ええ!? それじゃあ、うさぎは?」


「うさぎには鎖骨は無いわね」


「じ、じゃあ、アリには!?」


「……アナタ、今まで一度もアリを見たことがない人間なの? そのへんにいるから、探して見てみるといいわ」


そこまで言った後、フェリスはため息を吐いた。


「つまり、そのツイッターの話はデマってわけ。アナタも警察官の端くれなら、情報源ソースはしっかり確かめることね」


 フェリスは鋭い視線を隣にいる若い警官に向ける。


 トーマスは怯えたように首をすくめた。博物館に再び沈黙が訪れる。



 時計の針が再び動いた。約束の時刻まで、まだ十五分ある。




「えぇと……やけに詳しいですね……?」




 沈黙に耐えきれなくなったのか、トーマスが再び口を開いた。フェリスが苛々しながら足を踏みならそうとも、軽い口は留まることを知らない。




「フェリス刑事は、どこでそんな知識を手に入れたんです?」


「……大学の専攻が生物学だったの」


「生物学? 生物学を学んでいた人が、なんでまた刑事なんかに……」


「……捕まえたい奴がいるのよ」


「捕まえたいやつ……。ははぁ、さては……」



と自分の方を向き、にやけるトーマスを制するように、フェリスは睨みつけた。




「何か言いたいことでもあるの?」



「い、いえ、なんでもありませんよ」



「……ふんっ」




 フェリスは鼻を鳴らし、警戒するように周囲へと視線を戻した。


 閉館後の博物館は電気もまばらで、薄暗く湿り気を帯びている。





 余計なものが存在しないような暗闇。


 それがかえって、余計な回想をフェリスの脳に浮かび上がらせた。






******




「時にフェリス君。もうすぐキミの誕生日だが、なにか欲しいものはあるかい?」



 白く輝く実験室で、ジェームスが整った顔をフェリスに向けてきた。



「これといったものは特にないわ。祝ってくれるならなんでも嬉しいと思うし……あぁ、ただガチャガチャうるさいのは苦手かも。ほら、あるじゃない。フラッシュモブとかいう」



 学生時代のフェリスが、白衣を揺らしながら答える。



「なるほど、ガチャガチャか」したり顔で頷きながら、ジェームスがにやっと笑う。「でも、僕は結構好きだな」


「なんでよ?」


「どの生物であれ、オスは須らくライバル同士なんだよ、フェリス。人間は他のオスのプロポーズを応援するがね、これは珍しいことなんだ。……本来、生物のオスというのは、己の遺伝子を残すためだけに命がけの戦いをするのさ。エゾシカは角で突き合い、カンガルーは互いに蹴り合い……」



 と、そこからしばらく、彼の動物蘊蓄うんちくが続いた。


 いつものことだ。興味のある事柄の話になると、彼は回りを気にせず話し続ける。はたから見れば、ある種の変人だ。


――でも。だからこそ、好きなのよね。


 己の惚れた弱さに呆れながら、フェリスは次に使う試薬の瓶を棚から出す。




「しかし、良いところもある人間ではあるが、ダメなところも沢山ある」



 不意に、ジェームスの声が一段低くなった。フェリスは褐色瓶片手に振り返る。


 彼は、カゴの中にいたハツカネズミを一匹取り出していた。怜悧さを感じさせる横顔は、フェリスが見たことのない感情を宿している。




「……ジェームス?」


「独占欲が強すぎるんだ。学術的に珍しいものほど、どこにも渡さずに独占している機関が多い。標本・化石・珍しい鉱物その他もろもろ。それらすべて本来はこの星からの贈り物であって、誰かのものではないはずなのにも関わらず」




 そう言って、ジェームスは手に持ったネズミに注射器を当てた。




******




 ――だからって、盗んでいいってわけではないのよ。ジェームス。




「え? 何か言いました?」



 とぼけた顔で、隣のトーマスが聞いてくる。フェリスは息を吐いた。




「何でもないわ。少し昔を思い出しただけ」


「その、生物学を学んでいた時代ですか?」


「まぁ、そんな所ね……変わった人がいたな、って思って」


「変わった人、ですか。それって、どんな方なんです?」




 トーマスが興味津々と言った様子で目を輝かせる。

 その好奇心をはらむ目が少しだけジェームスに似ている気がして、フェリスは思わず目元を緩めた。




「当時付き合ってた彼女のことをね、『キミはハダカデバネズミだ』なんて言うのよ」


「……ハダカ?」


「ハダカデバネズミ」




 トーマスは勤務中にも関わらず、ポケットからスマホを取り出し、今ほど聞いた動物を検索し始める。ややあって、うへぇと呻いた。



「バケモンみたいな見た目じゃないっすか……ソイツ、彼女のこと嫌いだったんですか?」


「逆よ。ハダカデバネズミは老化しないの。病気もめったにしない。実は不老長寿な生き物なのよ。つまり、彼にとっては『キミは永遠に美しい僕の恋人だ』って言ってるわけね」


「……だからってこんな。相当変わったヤツですね、ソイツ」



 トーマスは今一度画面を見て顔をしかめ、スマホをポケットに戻す。





「あ、痛ててて」


 ふいに、トーマスが声を上げながら右手の手首を抑えた。フェリスは首を傾げた。



「どうかしたの?」


「実は昨日、うちの署内でゴルフコンペがありまして。そこでちょっと手首をやっちゃったんですよね。今こっち、少し動かすだけで痛いんですよ」




 見せつけるように右手をあげるトーマスに向かい、フェリスは大きなため息をついた。



「まったく、なんでまたキミみたいな男が相棒に選ばれたのよ」


「仕方ないですよ。こんな小さな町、普段事件もないですし……それに、昨日のゴルフの打ち上げのせいで、ほとんどの警官は二日酔いです。僕は昨日病院に行ってたお陰で宴会には参加出来ませんでしたから。こんな僕でも、この町では使える方なんですよ」



 あっけからんとしたトーマスの答えに、フェリスはまたしてもため息をついた。




******



 ――〇月〇日、【黄金の鎖骨】を頂きに参ります。



 そんな予告状が届いたとの連絡がフェリスの携帯に入ったのは昨日の事だ。


 件の怪盗を捕まえるために全国を飛び回っていた国際警察官のフェリスは、急いで現場に駆け付けた。そして現地の警察から充てられたのが、この右手を負傷した情けない若手警官だった。



 フェリスが追うのは、一人の男である。――怪盗ハウスマウス。巷でそう呼ばれている彼の手口には、ある種の美学が存在した。



 彼が盗むのは学術的に珍しいものだけ。そして、盗まれてからある程度経つと、なぜか不思議とそれを欲していた研究所や大学から見つかったとの報告が上がる。加えて、その研究員や大学教授の言い分は決まってこうだ。


「朝来たら、なぜか研究室にコレが置いてあった」と。



――ウソだ。


フェリスはそう確信している。


 おそらく研究員や教授は、その盗品を使って研究を進めたのだ。そしてある程度必要な分が終わった段階で、警察に連絡をする。隠し方も、言い訳も、警察に通報する時機でさえ、きっと彼に指示されたものだろう。



 その鮮やかな手口と、必要としている場所に盗品を渡す姿勢から、東方の伝説の盗賊「ネズミ小僧」にちなんで、いつしか彼は【怪盗ハウスマウス】と呼ばれるようになったのだ。



――でも、それも今日までよ。絶対に捕まえてやるんだから。


 フェリスが決意を固めたその時だった。



 けたたましい警報音が、館内に鳴り響く。


 トーマスがその場で跳ね上がった。



「な、なんですか!?」


「狼狽えないで! きっとアイツの罠だわ!」




フェリスが辺りに鋭い視線を送る。と、廊下の先に白い影が走った。


――いた!


考えるよりも先に、フェリスは駆け出していた。



「あ! ちょっと待ってくださいよ!」


 トーマスも慌ててその後を追いかける。影は二人の少し先で滑るように館内を駆けていく。





「逃がさないわよ!」


 フェリスは脇にかけたホルダーから銃を抜き出し、引き金を引いた。乾いた発砲音が二発、静寂を切り裂く。


 トーマスが耳を塞ぎながら、戸惑いの声を上げた。


「ちょ、ちょっとフェリス刑事! 殺す気ですか!?」


「心配しないで。中身はゴム弾よ。……まぁ、当たれば死ぬほど痛いでしょうけど」


そう言ってフェリスは口角を上げた。


「な、なんて人だ……」


「トーマス! 私はアイツを追いかけるから、あなたは応援を呼んできて! 二日酔いの奴らも叩き起こしてくるのよ!」



 引きつった笑みを浮かべるトーマスの返事も待たず、フェリスは影の消えた方向へと急いだ。






 影を追いかけていたフェリスは、博物館二階の突き当りで立ち止まった。


 肩で息をしながら、苛立ちを堪えて暗闇に目を凝らす。恐竜の模型。化石標本。どこを見ても隠れる場所は十分にあるように思える。




 と、頭上からガタンと音が聞こえた。見上げると、屋上に続く天井の扉がうっすらと開いている。


――あそこね!


 フェリスは扉へと続く鉄のはしごに手を掛けると、一息によじ登り、屋上へと頭を出した。





 果たして、目的の影はそこにいた。男の後ろ姿だ。白いマントが風にはためき音を立てている。


 フェリスは銃を構え、男の背中に照準を合わせゆっくりと近づいていく。



「ふっふっふ」



 男の方から余裕さえ感じられる笑い声が聞こえてきた。


 フェリスは眉を潜める。





「フェリス刑事! 応援を呼んできましたよ!」


 トーマスが勢いよく扉から顔を出したかと思うと、続くように何人もの警官が現れ、怪盗を取り囲むようにポジションをとった。それを一瞥してから、フェリスは一つ頷く。



――役者は揃った。


 フェリスは己を鼓舞するように言い聞かせ、きっと目の前の男を睨みつける。



「さぁ、追い詰めたわよ! 怪盗ハウスマウス! ……いえ、J・Jジェームス・ジョーエン!」



 風の吹きすさぶ屋上でフェリスが見栄を切った。


 時計台が午前零時を告げる鐘を鳴らす。周囲を囲む警官達が、いつでも飛びかかれるよう身構える。どう考えても、フェリス達が優勢なのは間違いない。




 だというのに、怪盗は変わること無く笑っている。




「な、なにが可笑しいのよ!」


 フェリスは苛立ちを抑えきれずに、怪盗の肩に手を置き、振り向かせんと一気に引き寄せた。


すると怪盗は、空気の抜けた風船のごとくその場に崩れ落ちた。




「――え?」




 戸惑うフェリスの目に映ったのは、ハリボテの枠を纏った白いマントと、ボイスレコーダーのついたマネキンの頭だった。


 ボイスレコーダーからは「ふっふっふ」と言う笑い声だけが流れている。


 フェリスの肩越しに覗き込んだトーマスが、驚きの声を上げた。



「えぇ!? なんですかこれ!?」


「……そんな。ここまで追い詰めておいて……」


「くそ! どこへ逃げたんだ! 俺、周りを探しにいってきます!」



 いきり立ったように、トーマスは体を跳ね上げた。駆け出そうと足に力を込める。



 と、そのトーマスの腕に、カチャリと金属の輪がかけられた。



「……え?」


 トーマスは戸惑いの声と共に、手錠のかかった自身の腕と、それをかけたフェリスの顔を交互に見た。


「これはいったい……」


「……トーマス、あなたどうやってはしごを登って来たの?」



 フェリスの鋭い視線に、トーマスが顔をしかめた。



「……どうやってって、普通に、こう」


「そう……昨日負傷した右手の痛みも忘れて?」




 はしごを登る仕草をしていたトーマスは、ピタリと動きを止めた。


 フェリスは満面の笑みを浮かべる。




「残念だったわね、ジェームス。まさか変装対象がつい昨日右手を痛めるだなんて想像もつかなかったでしょ?」



「……まいったな」




 トーマスだった人物は、一つため息を吐くと、手錠の付いていないほうの腕で自身の首元を掴み一気に引き上げた。


 まるで脱皮をするかのように、人工に作られた皮の下からモデルのような美しい顔が現れる。


 フェリスは取り囲む警官を見渡し、得意げに顎を引いた。



「ついに捕まえたわよ、ジェームス。もう逃げ場はないわ」


「そうだね……もう逃げ場はない」





 ジェームスはにこりと笑う。


 そして、パチンっと指を鳴らした。





 突如として、辺りに陽気な音楽が流れ出した。




「……は? な、なによこれ」



 フェリスの戸惑いをよそに、取り囲んでいた警官が音に合わせて首を振り出す。かと思うと、手を大きく広げステップを踏み、ダンスを踊り始めた。



「ちょ、ちょっと!」



 状況が掴めないフェリスは、警官たちをキョロキョロと見渡す。


 しかし、警官たちは止まらない。どころかどんどん振りは大きくなり、果ては歌声まで聞こえだした。





――結婚しよう♪ キミとボク♪ 永遠に一緒さ~♪





 この歌は知っている。一時、爆発的に流行ったウェディングソングだ。


 フェリスはそんな思考を首を振ってかき消す。




「ジェームス! これはいったい……」



 言い終わるより先に、ジェームスはフェリスを抱き寄せる。



「黄金の鎖骨、奪いに来たよ。キミの美しく輝く鎖骨が抱きしめるのは、永遠に僕だけでいい」



「……なんて、……バカな」


 あまりのことに、フェリスの頭が追いつかなかった。思わず呆然と呟いてしまう。


「……そもそも私、フラッシュモブは嫌いって言ったわよね」


「うん。そして僕は結構好きだと言った」




 ジェームスは晴れやかに答えた。学生時代とまるで変わらない笑顔。それにフェリスは拍子抜けして、思わず噴き出す。



――あぁそうだ。こういうところも好きなんだった。


 周囲の状況がどうであれ、どこまでも己の道を突き進む姿が。淡い感情がふわりと蘇る。フェリスは観念したかのように、ジェームスの胸に自身のおでこを押し当てる。



 そして。




 フェリスはジェームスの身体を押しやり、彼の腕についたままになっていた手錠の片割れを、自身の腕に繋いだ。




「……でも、罪は罪よ。ちゃんと償ってから、またプロポーズして頂戴」




 すげなく言い放ち、フェリスは綺麗に微笑んだ。


 腕を上げ、互いを繋いだ手錠をじゃらりと鳴らせば、ジェームスが肩をすくめる。




「まったく、とんだエンゲージリングだ」


「でも、私は結構好きよ」




先ほどのジェームスと同じ返事をしたフェリスは、ところで、と周囲を見回す。








「この人たちは、一体いつまで踊っているの?」






 主役の二人を無視するかのような、無邪気な祝福のダンスと歌声は、いつまでもいつまでも終わることなく続いていた。


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