延長戦 第23戦:藤と雷~ないものねだりのディスタンス(後編)

 桜文と揃って机の上に突っ伏していた梅吉だが、むくりと頭を起こし上げ。



「ったく。菊のあの暴力的な所は、やはりどうにかしないとな」


「それより、梅吉の余計なことを言う癖を直した方が早いと思うよ」



 きょろきょろと電気ポットが壊れていないかを確認しながら、藤助は呆れがちにそう返す。


 すると、そんな彼等を他所に、定光は他人事とばかり(実際にそうなのだが)。にこりと胡散臭い笑みを浮かばせ。



「君達って、いつもこんな感じなのかな? 賑やかで楽しそうだね。だけど……。

 僕なら菊さんの気持ちを理解できるし、なにより桜文くん、君より金も権力も持っている。今の世の中、やはり経済力がないと。愛だけでは上手くいかないと思うんだよね。だから。

 どうかな? 彼女を僕に譲ってはくれないだろうか。僕の方が、確実に彼女を幸せにしてあげられると思うんだけど」



 薄らと唇に嘲笑を乗せ。そう問い掛ける定光に、桜文は困惑顔を浮かばせ。



「確かに菊さんがどうして怒ったのか、俺にはよく分からないけど。でも、選ぶのは菊さんだと思う。だから、俺に言われてもなあ」



 一拍の間を置かせてから、定光はやはり堅苦しい笑みを浮かばせ。それから、ゆっくりと椅子から立ち上がり。



「そっか、確かにそうだよね。そういうことなら、直接彼女に交渉してみるよ」



 そう言い残すと、彼はリビングから出て行き。それを兄弟等は揃って見送るが、やはり梅吉がいの一番に音を上げ。



「おい、おい。桜文、いいのかよ? そんなこと言っちまって」


「いや、だって。本当のことだし」


「だからってなあ」



 梅吉が、はあと湿った息を吐き出させると、突然外側から扉が開き。かと思いきや何かが豪い勢いで中へと飛び込んで来て、桜文の頭部へと命中する。


 ころころと、床には電気スタンドが転がり。



「あーあ。だから言わんこっちゃない。おーい。桜文、大丈夫かー?」


「桜文お兄ちゃん、気を失っているよ」



 ゆさゆさと、芒が桜文の肩を軽く揺するが。彼が応えることはなく。


 こうして天正家の夜は、騒がしいながらも更けていき。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 それから、数日が経過するものの――……。


 リビングには相変わらず定光の姿が見え、彼は、にこりとテンプレートな笑みを浮かばせる。それから視線の先へ、狙いを定めるみたく薄らと瞳を細めさせ。



「菊さん。どこかでお茶でもしない? 良い喫茶店を知らないかな」


「……一人で行って来たら?」


「僕は君と行きたいんだけど。それとも、お茶よりショッピングの方がいいかな? 洋服でもジュエリーでも、なんでも好きな物を買ってあげるよ」



 にこにこと変わらぬ笑みを維持させ続ける定光とは反対に、菊の眉はどんどん釣り上がっていき。



「いらない。ていうか、何度もしつこい。なんなの、私のこと嫌いな癖に」


「嫌いだなんて、そんな。確かに始めは君を天正家の血を引く人間としか見ていなかったけど、でも、今は違う。本当に君に興味が湧いたんだ」



「どうかな」と、しつこく誘い続ける定光に。けれど、菊はそれ以上口を開くことはなく。ただ彼のことを鋭く睨み付けると、一人室内から出て行ってしまう。


 その様子を傍から見ていた梅吉は、半ば呆れた調子で口を開き。



「なあ、定光。お前、いつまでウチに居座るつもりなんだ? いい加減、そろそろ家に帰れよ」


「そうは言われても。ここでの生活は、なかなか楽しくて。君達兄弟は、見ていて飽きないからね。それに、まだ菊さんのことも落とせていないし」


「なんだよ、人のことを見せ物みたいに。俺達は、動物園の猿じゃないぞ。

 ていうか、まだ菊に拘るなんて。お前も随分としつこい性格をしているよな。あの菊を折らせるなんて、難しいとは思うが」



「精々頑張れよ」と上辺だけの声援を送ると、続けて彼も退出する。


 すると、梅吉と入れ替わる形で、今度は藤助が定光の前の席へと座り。二人きりになった室内で、彼は一呼吸置かせてからゆっくりと唇を離していき。



「ねえ、定光くん。そんなに家に帰りたくないの?」


「帰りたくないなんて。さっきも言ったけど、ここでの生活が気に入っちゃっただけだよ」



 淡々とそう返す定光に、けれど、藤助は容赦しないとばかり。間髪入れることなく。



「嘘」


「嘘って、そんなこと」


「嘘。……そんなに景梧さんに――、お父さんに会うのが怖いの?」



 真っ直ぐに藤助に見つめられ。瞬間、定光の瞳の色が、僅かながらも明らかに変化する。


 それに気付いているのか、いないのか。藤助は、自身のペースを崩すことなく口を動かし。



「本当は菊が目的じゃなくて、マスコミの所為でもなくて。お父さんに会えないから、ウチに来たんでしょう?」



 じっと、彼の瞳を見つめ続け。藤助は再び問い掛ける。


 すると、定光はわざとらしく一つ息を吐き出し。それから、すっ……と瞳を細めさせ。



「いや、彼女に会いに来たのも事実だよ。彼女は、僕のことを唯一理解してくれているからね。好意を抱いてくれていないのは分かっている。けど、それでも彼女だけだから。僕のことを分かってくれているのは」



 定光は、ゆらりと漆黒色の瞳を揺らし。



「僕は、一度も人を好きになったことがないんだ。だから、恋人と呼べる人は一人もいない。あっ。だからって、同性愛者という訳ではないよ。単純に、人を好きになれないんだろうね。

 だけど、彼女だけは違った。彼女だけは、今まで会った他の人間とは違う。彼女以外に、僕のことを理解してくれる人間なんて。この先もきっと現れない」


「そうかな。そんなことないと思うけど。

 大体、定光くんにはファンの子達がたくさんいるじゃん。その中に、定光くんのことを理解してくれている子もいると思うけどな」


「いいや。……芸能界には、元々興味なんてなかった。道を歩いていたらスカウトされただけで、本当は断るつもりだった。僕は暇な人間ではなかったからね。

 だけど、人脈を広げる為にはそういう活動に身を置くのも良いのではないかと父に勧められて、それだけで。だからファンの子達にどう思われようがどうでも良くて、あのまま引退しても構わなかったんだけど……。事務所側が、どうしても納得してくれなくてね。それで妥協案とばかり、ああいう形を取っただけで、もうあの世界に戻るつもりなんて全くないんだ。

 僕の代わりなんて、いくらでもいるのに。時間が経てば、どうせみんな直ぐに忘れるのにね」



 ふっ……と、定光の唇が歪み。その隙間から、自嘲の音が漏れる。


 それでも体裁を取り繕うとする彼に、藤助はふっと眉を下げ。



「あのさ、留学先から送って来ていた手紙だけど……。あれも本当は菊じゃなくて、天羽さんに宛てた物だったんでしょう? わざとドイツ語なんかで書いたりして。天羽さんから、君のお父さんに伝えて欲しかったんでしょう?」



 まるで幼子をあやすみたいな。藤助の態度に、定光は観念したとばかり肩を下げさせる。



「君には全てお見通しみたいだね」


「だって、似ているもん。定光くんと天羽さん。定光くん、白身魚の天麩羅好きでしょう? 天羽さんも好きなんだよ」


「あれ、もしかして知っているの? 僕とあの人との関係を」


「うん、偶然知っちゃったんだけどね。お父さんとは上手くいっていないの? やっぱり、そのことが原因?」



 こてんと首を傾げさせる藤助に、定光は小さいながらも頷いて見せ。



「……どうしてかな、あの人を頼ってしまうのは。自分でもよく分からないや。ほんの少ししか話したことさえないのに、おかしいよね」


「そうかな、俺は分かるような気がするけど。たとえまともに接したことがなくても、親子だから。それだけで、充分な理由になるんじゃないかな。

 定光くんは天羽さんのこと、あまりよく思っていないみたいだけど。俺は定光くんが羨ましいな。定光くんは知っているんだよね、桐実さんのことを。俺達の父親なんて、あんなんだよ。碌な人間ではないと思っていたけど、あの人が父親だと知った時は、やっぱりショックだったな。想像していた以上に酷くてさ。

 それに比べて天羽さんは、理想の父親像そのもので。結局は、ないものねだりなんだよね。隣の芝生は青いみたいな感じでさ。

 たとえ血が繋がっていなくても、定光くんにとっては景梧さんが父親なんでしょう? それでいいんじゃないかな」



 そう言うと、藤助はへらりと頬を綻ばせる。定光は、それを横目で眺め。



「……君は、あの人と養子縁組を結んだんだっけ?」


「うん……、とは言っても、正式な手続きはまだだけどね。苗字とか変わるとややこしいから、俺が大学を卒業してからすることになっているんだ。

 天羽さんは海外に出張中で、あと二週間は帰って来ないよ。それに、菊のことだけど、景梧さんへの手土産のつもりだったんでしょう? 駄目になっちゃった婚約を結び直せば、多少は帰りやすいもんね。

 だけど、梅吉の言う通り、菊を手懐けるのは難しいと思うよ。ううん、一生懸かっても無理かも。上手いことは言えないけど、結局は話し合うしかないと思うんだよね。景梧さんに、ちゃんと自分の気持ちを伝えた方がいいと思うよ。だって、禄に知らないって言う天羽さんを頼ってでも、景梧さんに会いたかったから日本に帰って来たんでしょう?」



 定光は、ちらりと再び藤助の顔を見つめると、「そうだね」と小さく呟き返し。






 暗転。






 リビングから所変わり。とある一室では、なにやら不穏な空気が流れており。原因を作り出している菊は、じろりと入り口で佇んでいる人物を睨み付ける。


 その鋭い視線に、桜文は一瞬息を詰まらせるもどうにか口を開かせ。



「あ、あの、菊さん。えっと、アイスを買って来たんだけど食べる……?」



 へにょりと眉を歪ませながら。桜文は詫び品を差し出すが、しかし。一方の菊はそれを受け取ろうとはせず、すっと床を指差して示す。


 そんな彼女の態度に、桜文は首を傾げさせるがそれでも従い。その場に腰を下ろさせると、次に菊はぶんぶんと手を振って見せ。



「えっと……」



(背を向けろってことだよな?)



 手を振り続ける菊に、桜文は自身で確認すると、くるりと身体を半回転させる。すると、突如背中にか細い圧力を感じ。思わず肩を跳ねさせるが、その正体が彼女の指先でなにやら文字を書いているのだと理解すると、彼はその流れへと神経を集中させる。


 が。



(えっと、なんだろう……。あっ、『バ』、『カ』。

 バカ、バカ、バカ、バカって……。)



 何度も同じ動きを繰り返す菊に、桜文は、へにょりと眉を歪めさせ。



(直接怒ってくれた方が。)



 余程楽になれるのに、と。胸を抉られていると、不意に指の動きが変わり。桜文は、再び神経を集中させる。


 目を瞑り、ゆっくりとなぞられていく線を頭の中で繋げていき。



(ええと、今度は、『大』、『キ』、『ラ』、『イ』って……。)



 最後の一画が書かれると同時。桜文は、思わず後ろを振り向いてしまう。


 すると、にゅっと白い腕が伸びて来て。襟元を掴まれたと思うと、そのまま前に引っ張られる。その引力に抗うことなく彼が素直に従うと、とある一点に圧迫感を覚え――……。


 それは直ぐにも離れていってしまったものの、甘い香りが仄かに鼻先を擽り。



「え。あれ。大嫌いって……」



 熱が残り続ける唇で桜文は疑問を紡ぐが、それに答える声はなく。代わりにぱたぱたと、遠ざかる足音ばかりが鼓膜を震わせる。


 彼は呆然と、いつまでもその場に居座り続け――。


 こうして突如前触れもなく天正家に訪れた嵐は、本人の知らない所で僅かながらも余韻を残し。何事もなかったかのように、颯爽と去って行ったのであった。

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