延長戦 第22戦:藤と雷~ないものねだりのディスタンス(中編)

 なんの前触れもなく訪れた定光を、泊める方向へと話が傾いている中。一人だけ――、菊は眉間にむすりと皺を寄せさせ。



「こんな奴、泊めてやる義理なんてないと思うんだけど」



 じろりと鋭い瞳を以って、飄々とした調子の定光を睨み付けながら、彼女はきっぱりと言い立てる。


 そんな不穏な空気を醸し出している二人の間へ、梅吉が無理矢理割り込み。



「なんだよ、菊ってば。一時だけとは言え婚約者だった男に、随分と冷たいな。いいじゃないかよ、泊めるくらい。それだけで豪勢な料理が食べられるんだぞ、少しくらい我慢しろよ」


「嫌。コイツ、嫌いだもん」


「嫌いって……。

 それじゃあ、桜文はどうなんだよ? 定光を泊めるのに賛成か?」


「えっ、俺? うん、俺も泊めるくらい良いと思うけど」



 さらりと返って来た返答に、刹那、ぱんっ――! と甲高い音がその場に強く鳴り響く。続いてずんずんと鈍い音を奏でながら、菊は扉に向かって歩き出す。


 その威圧的なオーラを放っている背中を、桜文は黙り込んだまま見送り。ばたんと扉が閉まると同時、真っ赤な手形の付いた頬をくるりと梅吉へと向け。



「なんで……?」


「馬鹿だなあ。お前だけは賛成したら駄目だろう」


「えっ。どうして?」


「おい、おい。定光は、菊の元・婚約者だぞ。そんな奴が乗り込んで来た挙句、まだ諦めていない発言をしたんだ。女としては、お前に嫉妬してもらいたいんだよ」


「ううん。そうは言われてもなあ……」



 痛む頬に、藤助から受け取った氷の詰まった袋を当てながら。桜文は困惑顔を浮かばせる。


 すると、その傍らで定光は瞳をすっと細めさせ。じろじろと、桜文のことを眺めながら。



「ふうん、君が彼女の……。『馬鹿が付くほどお人好しで、馬鹿が付くほど鈍感で、馬鹿が付くほど救いようのない人』だっけ」


「え? えっと……」


「ああ、ごめん。菊さんが言っていたんだ、自分の好きな男はそんな人間だって。それって君のことだよね?」


「ううん、そうなのかな……?」


「『そうなのかな?』って、その通りじゃないかよ。

 にしても。菊ってば、そんなことを言ったんだ。ふうん。ていうか、定光くんよ。菊のこと、本気なのか? アイツは全く天正家の血は引いていないんだぞ」


「うん、そうみたいだね」


「なんだよ、やけにあっさりしているな。あんだけ天正家の血に拘っていた癖に」


「そうは言われても、仕方ないじゃないか。だって、残念なことに、天正家の血を引く女の子はいないんだもの。

 だから僕の代は諦めることにして、次の代に託そうと思ってね」



 にこりと怪しげな笑みを添え。淡々と告げる定光に、やはりコイツも天正家の血を引いていると。その執着心の強さに、誰もがそう思わずにはいられず。






 暗転。






 夕食時――……。


 晩ご飯の準備も整い、次々と兄弟達が食卓へと集まる中。



「なあ、なあ。みんなで映画を観ようぜ。定光の銀幕デビュー作、『世界の端っこで愛を叫ぶ』を」



「レンタル屋で借りて来たんだ」と、梅吉は返事を聞かぬ内からレコーダーへとディスクを挿入しており。勝手に映像を再生させる。


 そんな次男の背中越しに、牡丹は一人不満の音を上げ。



「えー。それって恋愛映画でしょう? 俺、嫌なんだけど」


「なんだよ、牡丹ってば。少しくらい我慢しろよ。せっかく本人がいるんだ、色々当時の話も聞かせてもらおうぜ。

 なあ、定光。別にいいだろう?」


「僕は構わないけど……。でも、牡丹くんは嫌みたいだね」


「ああ。牡丹は『恋愛』と名の付く物が嫌いなんだよ。映画でもドラマでもなんでもさ」



 耳にイヤホンを差し、大音量で音楽を流し出す牡丹を他所に。兄弟並びに定光は、テレビの画面に視線を傾けながらも箸を進めていく。


 時間の経過と共に、物語は佳境へと入り。画面の中では、熱いキスシーンが展開されており。気まずさ故か誰もが黙って観ている中、しかし、梅吉が不意に声を上げ。



「なあ、このキスシーンだけどさ。別に下手じゃないが、なんていうか。なんか演技臭いって言うかさー」


「うーん。そうかな」


「ああ。如何にも映画やドラマのキスシーンを見て勉強しましたーって感じで、面白味がないんだよなあ」



 じっと食い入るように画面を見つめながら。批評する梅吉に、一方の定光は平然とした調子で。



「そっか。君の言う通り、勉強したのが裏目に出ちゃったかな。女の子と付き合ったことがなかったから、初めてだったんだよね」


「へえ。なんだよ、定光ってば。キスしたことなかったんだ」



 梅吉は、口元に手を添え。にやにやと気味の悪い笑みを浮かばせる。


 すると、釣れたのは狙った獲物ではなく、全く異なる人物で。



「どうして不思議がっているんだ? キスって結婚してからするんだから、当り前だろう」


「はあ……? おい、おい、桜文よ。お前は何を言っているんだ?」


「だから、キスって普通、結婚式の時に初めてするものだろう? 誓いのキスで」


「お前はいつの時代の人間だよ……。

 大体、神前式だったら誓いのキスなんかしないだろうし、それに今は式を挙げずに入籍だけするカップルだっているんだ。そしたら一生できないじゃないか」


「え? ああ、そうか」



「それもそうか」と、納得している桜文に。梅吉は、意地の悪い顔を彼へと突き付け。



「なんだよ、桜文。お前、まだ菊とキスしていなかったのかよ」


「そうだけど」



 素直に彼が答えた瞬間、ごんっ――! と鈍い音が室内中へと鳴り響く。音のした方に視線を向ければ、桜文の頭には電子レンジが乗っており。彼はそのまま、テーブルの上に突っ伏していた。


 続けて、またしても鈍い音が轟き。すると、今度は梅吉の頭に電気ポットが乗っており。



「どうして俺まで……」


「梅吉が馬鹿なことを言い出すからでしょう」



 本日、二度目の光景とばかり。一人室内を後にする菊を見送りながらも、藤助は機械が壊れていないか確かめており。


 その背景では、いつの間にかテレビ内の物語は終焉を迎え。彼等の世界とは無関係に、一定の調子でエンディングロールが流れていた。

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